軍人、廃墟にて

ジト目ネコ

第1話

美しい夜だった。平時は星など一つとして見えぬ夜空が、今は銀河の光で煌めいている。星空を台無しにしていた文明の明かりが、全て消失しているためだ。

ここら一帯の建物は、ほとんどが破壊されている。原形を留めていない物も少なくない。人の気配は感じられず、動くものはない。時折、春の陽気を伴った風が吹いて、道端に生えている小さな植物を揺らしている。


全ては戦争が生み出した景色だ。


かつてここには街があった。人が栄えた美しい街だった。しかし、空爆の雨に曝され、銃火の滝に打たれ、火の海に包まれた。

最早、街の美しかった頃の名残は、瓦礫の散らばった道路や、運良く半壊に留まった建物などには見られない。

ここには街の残骸しかない。

そんな街の残骸の、廃墟と化した見晴らしのいい5階建ての建物に我々はいた。僕は建物の5階の窓の一つに取り付いていた。すぐそばにライフル銃と無線機を置いて、暗視双眼鏡を覗いていた。

「敵が本当にここを通るのか怪しいものだ」

僕の隣でカム・キッドが言った。彼のそばには弾帯を装着したマシンガンがあった。彼は壁際に座り込んで煙草をふかしていた。暗闇の中に煙草の明かりが浮かび上がっていた。

「お前、ちょっと偵察がてら敵を探して聞いてこいよ。『やあ、僕たちはこの先で待ち伏せしている者だが、君たちは本当に来るのかい?』って」

僕は今日だけで、カムが同じことを言うのを六度聞いていた。少々、うんざりしていた

「まだ死にたくはないな」

「ならその口を閉じることだな」

「どうして?」

「お前の無駄話が原因で待ち伏せがバレてみろ。笑い物だぞ?それに僕はまだ死にたくないんだ」

「回りくどいじゃないか。『静かにしてくれないか』って、素直に言えないのか」

「減らず口め」

「数ある俺の美点の一つだ」

カムは煙草を咥えたままニヤリと口元を歪めた。不揃いな歯が煙草を挟んでいるのが見えた。僕もつられて口元が歪んだ。

「まあ、隊長が言うには敵が来るのにはまだ時間があるそうだ。けれども僕はもしもに備えて警戒していたいだけさ」

「おっと、命令を疑うってのかい?」

「減らず口め」

僕が言うと、カムが鼻で笑った。

「今のうちに何か腹に入れておこうや。何か食い物を取ってこよう」カムは煙草をポイと捨てて、靴で踏みつけながら立ち上がった。

「確かカップ麺があったはずだ。取ってきてくれ。お湯を忘れるなよ」

「おう」

カムは立ち去った。カムが去って、廃墟が本来持っていた静けさが僕にもたらされた。ピアノの音色でも聞こえてきそうな静けさだ。

僕は暗視双眼鏡を使わずに外を見た。夜空の星やら月やらが地上をぼんやりと照らしていた。敵の姿がなければ、見方の姿も見えない。ただ、廃墟の街並みがあった。

カムが通算七度も「敵は本当にいるのか」た、言うのも理解できる。

後ろからわずかに足音が聞こえて僕は振り返った。カムがカップ麺を二つ持ってそこに立っていた。カップ麺の上にプラスチックのフォークを載せている。

「3分」カムは短く言った。

「忘れずにお湯を注げたらしい」

僕はカップ麺とフォークを受け取った。カムは先刻まで煙草を吹かせていた壁際の床に座り込んだ。

「それにしてもここには何も無いな」

「僕たちが今いる廃墟があるし、瓦礫と道がある。」

「そんなもんは無に等しい。この街の住人なら別だが俺たちには関係無い」

「なら、敵がいるだろ」

「敵もまたある意味では無だね」

「でも奴らの目の前に出て行って、奴らを無視していたら銃を撃ってくるぞ」

「ある意味ではって俺は言ったよな」

「どう言う意味だい」

「そりゃあ…あれだよ。俺たちの軍が戦っている敵も人間だろ?」

「そうだ。少なくとも奴らはタコ足の生えた宇宙人には見えない」

「なら、戦争が終われば敵じゃない。」

「ふうん、無か?」

「無だ」

「ああ、廃墟と夜と戦争がお前を哲学者にしちまったよ、カム」

「凡人め」彼は哲学者を気取っているらしく、大袈裟に胸を張って言った。

不意に会話が途切れた。束の間、場が廃墟に戻った。

「どうして俺は戦っているんだ?」

「殺されないために敵を殺すためだろ、哲学者」

「殺されたくなけりゃ兵士になんてならない。しかし俺は兵士だが、敵を殺したくて殺してるわけじゃない。」

「…敗北主義に目覚めたか?」僕は周りに同僚や上官がいないことを感謝した。

「いや、まさか。だから、多分あれだよ。俺は個人的な怨みで戦っているわけでもないし、戦いが好きで戦っているわけでもないんだ」

「みんなそうさ。みんな同じさ」

「そうか…。」

僕は思うところを正直に話すことにした。

「なあ、別に戦う理由がなくてもいいじゃないか。金を稼げるし、軍隊にいれば衣食住の面倒を見てくれる。」僕は舌で唇を湿らせた。「何より世の中大概のことは究極的には無意味なんだから、あまり深刻に考えるなよ」

「そうか」

「ああ、そうさ。でも覚えておけよ、意味があるとすればそれは感情だ。その時々に何を感じるかだ。」

「カップ麺は…うまいとかか?そんなことでいいのか?」

「それでいいんだ」

と、そこまで言った時だった。そばに置いていた無線機がピーッと、音をたてた。

「こちら○○隊……だ。敵が現れた。応援頼む」

僕は暗闇の中でカムと目を合わせた。

「聞こえていたな。行くぞ」

「おう」

僕とカムはカップ麺の蓋を剥がし、味の染み込んだ麺を急いで掻き込み、慌ただしく装備を整え、廃墟をでた。

それでもカップ麺は美味しかった。

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