最終話
大塚は、自宅の郵便受けに置かれてあった静江からの手紙を開いた。
「大塚先生へ私はもうあなたたちから遠い世界にいます。前に告白したとおり、私が殺人の真犯人です。そのことに偽りはありません。母が自分が犯人だと言ったとすれば、それは私を庇うためです。母は私がまだ女優をしていると信じています。だからほとんど面会にも来ないのだと思っているのです。ですから、もう母には会わないでください。そして、深井園子さんのことですが、実は私と一緒にいます。私は自宅を売却しました。そのお金で海外に来ております。たぶん、命のある限り、日本へは帰らないと思います。園子さんと、映画界にいたころの話をしながら暮らしていこうと思います。では、お元気で」
大塚は静江にすまないことをしたと思っていた。
もうとっくに時効になっている事件を蒸し返して、静江を追い詰めてしまった。彼女のために死んだ人間は何人もいる。
彼女が犯人だとしても、それを暴くことが目的ではなかったのに、彼女を追い詰め、現実世界から逃亡させてしまったたことは、それで良かったのかという思いが強かった。
「静江さんの手紙は本当のことでしょうか」
静江の家からの帰り道、最寄の駅のそばで入った居酒屋で大塚は父親に聞いた。
「海外に行ったことは本当だろ。だが、静江が真犯人であるかどうか、結局は分からない」
「どういう意味ですか」
「いまからでは何も実証できない。だから、想像でしか語れないことだが、正直に言って、この事件の調査をしてみて、ますますこの事件のことが分からなくなってきたんだ」
「静江さんが真犯人とは思えないということですか」
「それも言える。母親かも知れないし、実は捕まった犯人たちがやはり真犯人だったということもある」
「じゃあ、最初の事件の犯人が残した、Nのためにという言葉の意味は何ですか」
「そのとおりの意味じゃないか。つまり、Nのために殺したということさ。そのことを静江はまったく知らなかったという可能性もある」
「確かにそう言われればですけど、そうなると、我々がこの事件を調査した意味がまったく無くなるんじゃないですか」
「結果的に静江を外国に逃がすことになったんだから意味がないわけじゃない」
「どういう意味があるのですか」
「毎日眠られないほど静江の心は不安定になっていた。そこでお前がカウンセラーとして接触した。その悩みは、過去に起きた殺人事件のせいではないかとお前は考えた。そこで、私も加わって調査した。その結果、静江が犯人たちを裏で操っているのではないかという事実を見つけ出した。しかも、最後の事件のアリバイまで崩して、真犯人は静江ではないかという証拠を見つけるかも知れないという段階まで来た。それがもし、静江の最初からの目的だったとしたらどうだ」
確かに父親の言うとおりだと大塚は思った。
「私は最初から静江さんの思うように操られたのではないかと思ってました」
「そのとおりだ。事件のことを話したのは静江からだろ」
「彼女の人生の経過を聞いていたのですから、当然のことだと思います」
「普通、悲惨な過去のことは語りたくない。話すとしても、焦点をぼかして話すのではないだろうか」
「そうですね。ほとんど何も隠すことなく、すらすらと話しましたからね」
「お前がカウンセラーとしてちゃんと仕事をするなら、必ず事件について調査をするのではないかと静江は考えたのではないか」
大塚は、静江を追い込んだという罪の意識を持ったことが誤った考えだったと悟った。
では何故、静江は追い込まれたと思われるような方向に持っていったのだろ。
「誰にでもあることさ。自分の人生をリセットしたいということは。だが、時は戻せない。このまま。誰にも知られずに外国に行って、現実を逃避するようなことをしても、それでは静江は何も意味を持たないと考えたのではないのかな」
「どういうことでしょう」
「つまり、自分を追い込まれた情況にして、逃亡するように外国に行って身を隠す。共犯者である、園子も連れていけば不安も少なくなる。我々は、彼女の最後の第二の人生をやり直すお手伝いをしたまでのことさ」
父親はそういうと、目の前のコップにあったビールを飲み干した。
大塚はもう静江のことを忘れるしかないと思っていた。
そうしないと、空しさばかりが胸に押し寄せてきて悲しくなるからであった。
ふたりはその夜、正体が無くなるまで酔いつぶれた。
終わり。
老女の覚醒 egochann @egochann
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