第28話
宮城静江は、能登半島の曽々木という海岸で大塚たちを待っていた。
海から吹く風は十月にしては強く冷たくて大塚たちの体温を急速に低下させていた。
日本海はいつものように波が高く、白い波崩れがささくれだち、風の臭いはすえていた。
静江は暗い色の上着を被るように着込んで、ほのかな光を放つ瞳だけが大塚たちの姿をとらえようとしていた。
「ここでお話しようと思いましたけど、この天候では辛いので、私が泊まっている旅館に移りませんか」
静江は、そのまま歩き出した。
大塚は、言葉のひとつも発することが出来ずに、静江の後をついていった。父親も黙ったままだった。
海岸の外れにある林を抜けて、小さなトンネルを抜けると、そこにはこじんまりとした日本旅館があった。木造で、いかにも秘湯の旅館という風情だった。
「今日はどこかホテルを予約してますか」
「一応、輪島に宿を取っていますが」
「ここへお泊りになりませんか」
「いえいえ、輪島に戻ります」
部屋に着くと、静江は窓際にある椅子に腰を落とした。大塚たちは、和室の真ん中に置かれた座布団に座った。
「どのようなお話ですか」
大塚は、恐る恐る口を開いた。
静江は、窓から見える海の遠くに視線を合わせながら、ゆっくりと話はじめた。
「私は小学生の三年のころから、音楽大学で講師をしていた教師について本格的にピアノを習い始めました。先生はときには厳しく、そしてときにはとても優しく指導してくださいました。ところが、六年生になったころから、変なことをするようになったのです。最初は軽く触れるような感じだったのですが、私が少し抵抗するようになると、興奮したのか、下着のなかに手を入れてくるようになったのです」
「そのことはご両親には話しましたか」
「とても恥ずかしかったのですが、母親に話しました。母親はまさかという感じでした。でも、私がピアノを辞めたいと言ったのですが、母は許してくれませんでした」
「とても辛かったのではありませんか」
「ピアノの先生は、触るだけでそれ以上のことはしませんでしたので、我慢しておりました。でも、中学生になったとき、いきなり襲ってきたのです」
静江は暗い目をしていた。
遠い悲しい思い出を振り絞るように口を開いた。
「私は必死に抵抗しました。先生の顔を手元にあった鉛筆で刺しました。先生は大声を上げて私から離れました。私は振り向かずに逃げ出しました」
「難を逃れたのですか」
「そうです。私は悩みました。母親にも話せなくて」
「どうして話せなかったのですか」
「母親は私をどうしてもピアニストにしたいと思っていましたから、先生にいやらしいことをされたと話しても、先生にそういうことをしないようにお願いするからと、私がピアノを辞めたいと言っても聞いてくれなかったのです」
「しかし、そんなことがあったのではもう行けないですね」
「行けない気持ちを押しこらえて行きました」
「良く行けましたね」
「先生の方も私が親に話して、大事になるのではいかと心配していたみたいで、丁寧で優しかったのです。しばらくは」
「しばらくというと?」
「一ヵ月後になると、また触ってきたのです。私はもう限界になっていました」
静江の口調は急に激しくなった。
#29に続く。
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