第10話

宮城静江には中学校時代と高校生時代に、身近な人が殺されるという事件に遭遇していた。大人でも身近な人が殺されたら相当なショックであるのに、少女の時代だったら、どんなに心に傷を負ったか分からないと、心理カウンセラーの大塚は感じていた。

だが、静江の話では周囲の助けにより、あまり時間をかけずに立ち直れたという。また、そのことが現在の心的な負担にはなっていないと断言した。

大塚はこれまで、多くのPTSD、つまり心的ストレス症候群の人と接してきた。彼らは決まって、大人になるまでに経験した悲惨な出来事がトラウマになっていることが多い。PTSDが重症になるほど、その原因となる出来事は大人になる前に経験したことだ。

それなのに、と大塚は違和感を覚えていた。静江は大塚に心の奥を隠している可能性もある。だが、大塚は静江の不可思議な表情、狂気を感じさせる瞳の奥の暗闇を思うと、静江は本当にその事件について大きな心の痛手を負ってないようだった。

そこが解せないのである。

静江の性格がストレスに極めて強い性格だったこともあるのだろうか。では、現在、不眠症がひどく、心の空虚感がどうしようもないと市役所の福祉課に相談に来ているのである。確かに、若いころは強靭な心の持ち主が、人生のたそがれ時になって心が弱くなることもある。だが、そんな心の弱さを静江からは感じられなかった。

今まで、二回面会したが、会話の主導権は静江だった。こちらの質問を遮る場面もあった。だからである、大塚はどうしようもない不安感に襲われた。

心理カウンセラーとしての自分がまだ未熟なのだろうか。静江が胸襟を開いて語ることが出来ないほど自分のカウンセラーとしての能力が低いのか。それとも、静江の言ったことは虚偽のことなのか。

二回目の面接から一週間後が次の面接日だった。

大塚は、二回目の面接の後半部分を思い出していた。

静江が二十歳を超えたころから、有力な新人女優が映画会社に入ってきたこともあり、仕事が減ってきたが、何とか仕事は続けていたという。

そして、二十五歳のときに運命の人と巡り合って、結婚したのだという。結婚生活のことは次の面接で聞くことになっている。

大塚は、次の面接の前に、どうしても事実を確認したかった。

静江が語った殺人事件について本当かどうかを確かめなければならなかった。

しかし、もう50年以上も前のことで、最寄の図書館に行ってもそのころの新聞は閲覧出来なかった。全国紙は大きな図書館に行けば見れないこともないが、何しろ東北地方で起きた事件なので、全国紙で取り上げられているかどうかも分からない、地元に行けば地方紙の当時の新聞には報道されているだろうと考えた。

実は、大塚の実父は元警察官だった。それも、警視庁捜査一課の刑事部係長まで歴任した刑事だった。年齢は76歳だが、まだ矍鑠としており、地元の警察署で子供たちに剣道を教えている気丈夫な人だったのだ。相談することにした。

「随分古い事件だな。もちろん当時の捜査関係者は高齢で、もう亡くなっている人もいるだろう。新聞で確認するだけだったら訳もないことだが」

大塚は父親に静江から聞いたことをすべて話した。

「もう俺も年だから、勘は鈍っているが、そのふたつの事件とその女性の関わり方や、今の女性の反応の仕方が少し変だな」

「やったぱりそう思いますか」

「未成年時にそれだけの悲惨な事件がふたつも身の回りに起きた事実がそもそも稀有なことだし、それがトラウマになっていないとするのは不自然だな」

「心の問題だけじゃないということですか」

「その女性が事件の核心にいるとしたら、トラウマがないということもあるという可能性の問題だ」

「でも、もし彼女が犯行に関わったら、それはそれで相当なストレスになるでしょう」

「もちろんそうだが、事件を確信的に起こしたとしたら、ストレスが逆になくなった、つまり、ストレスが大きかったから犯行に及んだという仮説も成り立つということだ」

大塚は、年老いた父親のなかにまだ刑事としての感性が息づいていることを実感した。





#11に続く。






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