3分で、伝えたいことは

風城国子智

3分で、伝えたいことは

 口コミ通りの場所に、透明プラスティックの細長い影を見つける。

 破壊されて見る影もない空間を用心深く確認する。誰も、いない。そのことにほっと胸を撫で下ろす間もなく、ヒカルは、人一人でいっぱいになってしまう空間へと、その身を滑り込ませた。

 ヒカルの腰から胸までの高さにでんと据え付けられた緑色の物体の、左側に位置する太い紐のようなもので繋がれた細い物体を、おそるおそる手に取る。

「ツーーー」

 その物体を、教わった通りに耳に当てると、聞いたことのない機械音がヒカルの耳に鋭く響いた。大丈夫、この機械は、……動いている。

 破壊された町の中を探しに探し、ようやく見つけた黄銅貨を、破れたジャケットの内ポケットから大切に取り出す。破壊が起こる前の世界では、キャッシュレス化が極限まで進んでいた。硬貨・小銭などというものは、年寄りが語る昔話。そのような世界で、やっと見つけた一枚の黄銅貨。これで3分間、電話ができるらしい。機械の表面から探しだした、黄銅貨がぴったりと嵌まるスリットに、ヒカルは手の中の、汗をかいた黄銅貨をそっと滑り込ませた。

 次は、電話番号を入力する番。機械の表面に並んだ12個のボタンを使い、突然動かなくなった携帯電話から唯一サルベージできた10桁の数字を入力する。電波が死んでしまった所為で、携帯電話は意味をなさなくなった。だが、あの町は、破壊されていない。そう、風の噂で聞いている。だから、……固定電話は、使える、はず。

「トゥルルル……」

 細長い物体の端を押しつけたままの耳に響く音が変化したことに、安堵する。何も持っていない右腕を、ヒカルは、緑色の物体の上に凭れるように置いた。

「はい、もしもし」

 声を掻き消す、ガシャンと言う音に、心臓が飛び上がる。

「もしもし?」

 しかし声は、左耳に響いている。壊れたわけではなさそうだ。

「あの、……アラカワです」

 しかし声の主は、目的のあの人ではない。震えを抑え、名を名乗る。

「まあ!」

 無事だったの! そっちの町は破壊されたと聞いたけど。驚きに満ちた声に、何とか「はい」とだけ返事をする。

 一瞬で世界を覆った「電波の死」と、町にある全ての建造物が理由もなくいきなり崩れ去る「破壊」。破壊された町では、壊れなかったもので役に立ちそうなものは全て略奪され、逃げることができる人々は皆、町を去った。破壊と略奪の痕しかないこの町に残っているものは、おそらく、この機械が入っている透明プラスチック製の建造物のみ。

「あの」

 耳に響き続ける、驚きと安堵が入り交じった声を、何とか途中で断ち切る。

 携帯電話があれば。手の中で粉々に崩れ去った小さな物体の感覚を思い出す。携帯電話があれば、あの人に、直接、電話を掛けることができたのに。胸から迫り上がってきた苦い想いに、ヒカルは無意識のうちに緑色の機械を上から強く押していた。

「アキラさん、お願いできますか?」

 それでも。目的のあの人の名を、何とか口にする。

「ああ、はいはい」

 意外とすぐに来た、無音の状態が、ヒカルの心を焦らせた。電話が繋がって、一分以上は経っている。あと何分、いや何秒、保つだろうか?

「……はい」

 突然聞こえた、あの人の声に、思考が真っ白になる。

 自分は、何を、あの人に伝えようとしていた? 言葉が、何も、浮かばない。

「もしもし?」

 苛立ちを含んだ声に、我に返る。

「今までありがとう、アキラ」

 言いたかった言葉を、ヒカルは何とか探し出した。

 次の瞬間。

「ツー、ツー、ツー……」

 左耳に響く音が、機械音に戻る。

 三分、経ってしまった。そのことに気付くまで、ヒカルは呆然と、聞こえてくる無機質な音を聞いていた。

 伝えることが、できただろうか? 透明プラスチックの板に身を預け、ずるずると、土間の床に尻餅をつく。固定されていたはずの緑色の機械が斜めに揺らぎ、ヒカルの頭の上に降ってくるのを、ヒカルは呆然と見つめていた。

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