待つ者の英雄譚

兵藤晴佳

第1話

「期待してはいないんだけど」

 監禁された部屋の中で、自分の声の他に聞こえるのは、振り子時計の音だけだ。

 引き裂かれたドレスの胸を隠すこともできず、私は檻の中でつぶやいた。

 戦で捕らえられた主を助けるためには、この方法しかなかった。

「これも人生というものかな」

 同じ神を信じる者同士が、偶像を崇めるか崇めないか、その程度のことで争っているのがこの戦である。こんなことのために、生まれてから身も心も浄めてきたのではない。

「不条理……」

 そんなことを考えてはいけない。神に仕える者は、いつ死んでもいいという覚悟を決めておくものだ。

 自ら命を絶つのでない限り。

「だから、そう簡単に死んでなるものか」

 生き残れる可能性は、ないわけではなかった。ただし、それは己の知恵とm行動力ではなく、人頼みである。

「姫様が、味方のもとにたどりついてくださればよいのだけれど」

 尼僧の姿ならば、敵の進行のもとに安全は確保されるという判断は正しかった。

 使者と称して姫様と二人きりになり、服を交換したまではよかった。

 姫君は敵の城を脱出し、私を送ってきた護衛と共に本国へ戻った。

 だが、私はというと……。

 いくら修道院で礼儀作法を叩きこまれてきたとはいえ、生まれ育ちの違いはどこかでバレるものだ。

 人質に取った敵国の姫とすり替わった下賤の者だと分かった途端に、城の男たちから騎士道精神は消えてなくなった。

 利用価値のない私は、きっかり1時間後に処刑されると決まった。


「3420回」

 姫様は、必ず味方を連れて1時間で戻ると言った。

 時計の振り子が時を刻む音を地道に数えて、残りの時間を計算してみる。

 あと180回、つまり、あと3分間しかない。

 部屋の戸が開いて、男が1人入ってきた。

「そろそろ、時間だな」

 無駄だとは知りながら、言い返してみた。

「あと、3分ある」

「なら、待ってやろう。私も騎士だ、約束は守る」

 私の処刑を任されているらしい。いくら下賤の身だとはいえ、最後の尊厳くらいは守ってもらえるらしい。

「だが、その3分でできることはさせてもらう」

 言うなり、男は私のブラウスを両肩から引き裂いて、胸を露わにした。

「何を……」

「このくらいの役得はないとな」

 冷たい床の上に押し転がされた私は、姫様の服を引き剥がされながらも、尼僧として振る舞い続けた。

「信じ方が違うとはいえ、私たちは同じ神様に見られているのですよ」

「そんな芝居はやめな……お前が尼さんじゃないってことはとっくに分かってる」

 だが、私は諦めなかった。せめて、貞操だけは守りたかったのだ。

「おやめなさい……神の掟に背くことです、これは。信じ方が違うとはいえ、同じ神様に見られているのですよ」

「そんなもの、ハナっから信じちゃあいない……この戦が始まったときからな」

「あなたはまだ、生まれていないはずよ」

 見たところ、まだ若い。30歳にはなっていないだろう。戦が始まったのは40年前のはずだ。

「どこぞの貴族と婢の、10年の交際の後に俺は生まれたのさ、不義密通の子としてな。どこぞの貴族の養子に出されて、それからは男妾同様の人生よ。その代償が、騎士の身分というわけさ」

 時計が鳴った。

「処刑の時です……」

 この男に汚されるくらいなら、死んだほうがマシだ。

 だが、男は言った。

「お前の魂の死の時なのさ」

 無残な裸を晒されて、私は覚悟を決めた。

 その時だった。

 轟音とともに城が揺れた。鬨の声と共に、場内が剣戟の響きに満たされる。

 部屋の戸が開いて、飛び込んで来た若い味方の騎士が、私にのしかかる敵の騎士の背中を剣で突いて絶命させた。

「待たせたわね……あーあ、ドレスが台無し」

 兜を脱いだ下にあったのは、まばゆいばかりの姫君の顔だった。

 私は安堵の息と共につぶやいた。

「おかげさまで、初めて出会いましたよ……同じ境遇の男に」

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待つ者の英雄譚 兵藤晴佳 @hyoudo

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