第6話 刺客とプラトニック

「いよいよ脱出だ。明日は美容院に行って髪型を変えてこい。ついでに黒に染め直せ」

「地味になれってこと?」

「当たり前だ。今のままだと目立ってしょうがないから、地味になれば却って偽装になるかもしれん」


 七助の精神状態は幾分か復旧し脱出への思索を語る。華乃も真面目に聞きながら明日切ることになる髪をいじくる。伸ばした髪に未練があるようだった。

 七助にもまだやることがある。二人の身分証は受け取って船の算段もつけたが、念のためにルガーとブルドッグの試射、自衛隊駐屯地に行きやるつもりで抜かりはない。

 二人はタクシーを探してウロウロしていた。バスは七助のオフィスに最寄りのバス停がないことから利用せず、駅前のタクシー乗り場も混雑していて行く気はない。近場で拾おうとしていた。


「おにいさん」


 路地裏から呼ぶ声がする。居酒屋のキャッチのようで無視したが、やたらに自分たちだけを呼んでいる。渋々男の方に足を向け近づくと猫撫で声で朗らかそうに言った。


「なに?」

「おにいさん、飲み屋決まってるんですか?」

「やっぱりキャッチか。いいよ、帰るとこなんだ。また行くから」

「めっちゃ安くしときますよ!女性の方も一緒なら、さらにお安くできますよ」

「そうかい、でも今日はいいよ」

「そうかい、じゃねえぞ」


 突然声色変わったと思うと頭に衝撃、痛いと感じる前に地面に叩きつけられた。いきなりボケた視界に二人の男が華乃に掴みかかっているのが映った。手前に空の酒瓶が転がってきてこれで殴られたようだった。


「航成!」

「こっちに来い!」

「なにするのよ離して!」


 七助に駆け寄ろうとした華乃は羽交い締めにされ暗闇へと連れ去られようとする。間違いなく北城会の刺客。一人が華乃のコートを剥ぎシャツを裂いた。レイプを試みようとしているのは目に見えていた。


「きゃあ!」

「大人しくしろ!」

「早くヤっちまおう。こいつ殺しとかなくていいのか?」

「殺すとこいつのバックがうるさいぞ。後で殺すのは白田のバカだ。組長は女犯すだけでいいって言ってた。殺したきゃ俺先に女ヤるからお前やれよ」

「やだよ、お前の後なんて」


 カチャカチャとベルトのバックルを外す音がする。華乃は破れたストッキング脱がされ降ろされたショーツも太腿あたりで丸く絡まっていたが、力限りの抵抗で蹴りを一発入れる。


「いて!畜生、抵抗すんな。おい、口を塞げ」


 拘束している方が大きな掌で顔を抑えた。華乃は恐怖に目を瞑り滲んだ涙が頬に広がる。

 七助は頭を抑えてようやく立ち上がった。拳銃を抜き躊躇なく引金に指をかけた。土嚢を高い所から落としたような重い音で.44スペシャル弾が放たれる。


「うげ」


 反応の遅い悲鳴を上げズボンを下げたまま男は倒れた。腰骨が砕かれそのまま立てなかった。華乃を抑えていた男は仲間の血が飛び散り顔色を変え、より腕に力を入れて七助に吠えた。


「おいやめろ!女がどうなってもいいのか!」


 片腕を華乃から離しジャケットの腰ポケットをまさぐる。七助が向き直って近寄る直前ようやく.25口径ジュニアコルトを取り出すも、装填せずそのまま引金を引いたため弾は発射されなかった。その隙に華乃が「えい!」肘打ちを食らわせ素早く離れた。鳩尾に肘を入れられ屈み込む男は慌ててスライドを引こうとしたがその前に七助に撃たれた。


「ぎゃあ!」

「北城会だなてめえ、殺してやる」


 もう一発叩き込むが転がり回って当たらず側の室外機に穴を開けた。肩から血を流しながら腰を負傷した仲間を立たせ遁走を図る。華乃を後ろに後退しながら残り二発を撃ち込んだ。それぞれの尻と腹に当たり鮮血が飛び散った。再装填の暇はない、ジュニアコルトを拾いショーツとストッキングを無理矢理引き上げた華乃の手を取り大通りを走った。

 タイミングよく通りかかった空車表示のタクシーを止め、只ならぬ雰囲気の二人に目を丸くする運転手に札束を押し付けた。


「西荻窪まで。あんた俺たちを怪しんでるだろうが、口外無用だ。迷惑はかけん、それ口止め料にとっとけ」

「そ、そんな困ります」

「いいから行け!」


 七助の剣幕に冷や汗で脇を濡らし発車させた。華乃が嗚咽を漏らして七助の頬に顔を押し当ててくる。金髪の小さな頭を強く抱いて七助は唇を噛んだ。脱出は早めなければならなさそうだった。


 明くる日、久々に七助のオフィスが空になった。二人を美容院に連れて行きついでに七助も髪を切ってもらう。進一と華乃は別人の如く大人しい容姿になった。「イメチェンですか?この髪も似合ってますよ」と店員の微笑みで出来上がった華乃は七助に最も馴染みがある黒髪ショートカットになっていた。進一は七三分けのようにされてしまった自身の頭を撫でながらぼやくように言った。


「やだなあこの髪。華乃も前の方がよかった」

「わかってないなお前。華乃はこの髪型が一番可愛いんだよ」

「私もまんざらでもないかな。航成が褒めてくれるならなおさら」

「ちぇ」


 二人の新しい服も買って行きオフィスに送り届けると七助は再び外出した。西荻窪駅に自衛隊の車が待っていた。連隊長の使いで、駐屯地へ赴き拳銃の試射。人払いされた射撃練習場に連隊長と七助だけの笑い声が響き、珍しいP08とブルドッグを連隊長もいじっていた。


「すみません、無理言って射撃場空けてもらって」

「いいんですよ。いつも七助さんにはお世話になってるし今日は休日で部下もいないし。それに私はガンマニアでね。珍しい銃が見れて嬉しいです。金色のKデートルガーはそのまんまモデルガンで私も持ってるけど、実銃は初めて見ました」

「昇二さんの形見です。日本に帰ってから手入れはしてても実射はしてないから動くかどうか心配で。弾薬の員数は大丈夫ですか?」

「そこは抜かりなく。.44スペシャル弾も弾丸はほじくり返しておくし、薬莢も要らないならいただきますよ。ルガーの9mmパラベラムは我が自衛隊でも使っているから心配無用です」

「それを聞いて安心しました。.44の打殻と弾頭も記念にどうぞ。P08も、よければ撃ってみますか?」

「それは願ってもない!」


 イヤーマフを着けP08のトグルを引いた。滑らかに作動して弾薬が薬室に送り込まれるだけで連隊長ははしゃいでいたが、七助の顔は真剣そのもの。狙いをつけにくいサイトの凹凸を標的に合わせ、明日これを使うことがないように祈り引金を絞った。

 連隊長に土産の9mmパラベラム弾を持たされ見送られた後、警察とテレビ局、新聞社に向かい昨夜の騒動の揉み消しを依頼しに行き頭を下げた。札束の封筒が入っていた鞄は軽くなった。これで今朝から報道されている銃撃戦のニュースは架空の犯人と背景事情にでっち上げられ追及の心配はない。帰り道二人の偽造身分証も受け取りさらに封筒は減った。


「これで押田会長ン時の稼ぎもパァだ」


 オフィスに戻ると豪華な食事が待っていた。大した食材もないのにここまで作るのは流石華乃の腕で、緊張していた七助も幾分か心が和んだ。宴の途中二人に偽造身分証を渡した。


「これで今からお前たちは台湾人だ。華乃はワン・メイリン、進一はリ・ウェンだ。向こうに着いたら陳大人によくお礼を言うんだぞ。陳大人は日本語ができるが、ちゃんと台湾語を勉強して台湾人になりきるんだ」

「なんだかワクワクしてきた」

「呑気なやつめ。遊びに行くんじゃないんだぞ。亡命ですらない密航だ」

「でも、北城会から逃れられるから嬉しいね」


 つい昨日レイプ未遂に遭ったのに華乃はけろっとしている。だが心の傷は深いはずで、昨晩帰ってからずっと進一に抱きつき号泣していたのを覚えている。気丈に振る舞っているだけだった。

 七助が止めないうちに、酒に弱いのか進一はいきなり寝始めた。夜も更けてきていた。七助が大きなあくびを一つすると華乃が皿とグラスを片付け流しにつけた。


「洗わなくていいよ。明日俺がやっとく」

「航成は明日もここに帰れるもんね」

「ああ。一人でな」

「立つ鳥跡を濁さず」

「じゃ俺も手伝う」


 華乃は手際よく皿を洗い並べていき七助はもたもたそれを拭いた。肩を並べて談笑し、家事をこなす姿はまさしく新婚夫婦の姿であろう。目が会うたび華乃はにこと笑い、七助は照れるようにはにかんだ。

 だが七助が自分で言った通り、明日脱出を成功させても帰ってくるのはひとり。そう思うとこの愛憎混じった三人の生活が懐かしく思え、二度と戻らぬ幸福が悲しかった。

 布団に潜ろうとする七助をベッドに誘ったのは華乃だった。


「でも」

「いいじゃない、ナニするわけじゃないんだし。三人仲良く同じベッドで寝ようよ」

「最後かもしれないし、しょうがねえな」

「…きて」


 七助が半身になってベッドに身体を押し込め電気を消すと、上目遣いの華乃の目が見つめているのが熱く判った。男を誘う目ではない、緊張に震え湿っていた。


「怖いか?」

「うん」

「安心しろよ。ちゃんと安全なところへ届ける」

「でも、昨日みたいのが」

「もう指一本触れさせない。昨日の一件で台湾時代の俺にすっかり戻った」

「どういうこと?」

「人殺しになる」


 華乃は「ああ」と息を吐くような声で七助の頭を抱き耳元に唇を寄せた。涙が首からうなじへと伝う。


「ごめんね、ごめんね」

「いいんだよ、慣れてる。マフィアの抗争でいくら銃を抜いたか判らない。引金引くだけの力で相手は死ぬんだ。慣れない方がどうかしてる。それに、俺は進一を殺そうとしただろ?」

「それは、航成が怒り狂って」

「俺の正体だよ。物事の手っ取り早い解決方法としてコロシを知ってしまった」


 華乃は頭を離して一度見ると、今度は切なそうに胸に顔を埋めた。キュッと七助の寝間着を握り、最後に一言。


「それでも、あなたは私たちを救ってくれるキューピッド」


 眠る直前七助は苦笑を漏らした。キューピッドといわれるには汚らしく、華乃に対する嫉妬がしっかりと心の奥底に結わえつけられている自分を嗤った。

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キューピッド・ジェラシィ 森戸喜七 @omega230

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