第4話 暴力

 夕方に帰ると華乃と進一には伝えていた。だが陽はまだ高く、人混みを逆行する七助の顔は陰り、ギラギラと異様な光を帯びる目元だけ禍々しく輝いていた。道行く人々はこの謎の威圧に道を開け、それを怪しむ警官すら声をかけられない。もちろん二人に連絡も入れなかった。西荻窪に近づくに従い七助の内情はどす黒く込み上がってきて、道を踏み蹴る一歩一歩の音は大きくなっていった。

 住処に戻り玄関の前に立つと、自分が吐いた溜息に混じり奇妙な音が部屋の中から聞こえてきた。誰にだってすぐ判る、男女の音。ベッドの軋む音と二人の興奮を確かめる声は七助の理性を蒸発させた。今になってようやく、二人のいつもとは違う振る舞いと連絡を欲しがる意味を理解できた。

 ドアの鍵を開けると押し入るように中に入り、二人の姿を認めた。散乱した衣服、その上に性別それぞれの下着が置かれ、ベッドの上ではぬらぬらと男女が蠢いている。タオルケット一枚が足元で体液の染みを吸っており、当初はあったであろうなけなしの恥じらいの名残だった。


「石花進!」


 七助は進一の本名を叫び、華乃の上に重なっていた彼を蹴り飛ばした。瞬間二人は離れ、華乃の裸体も露わになり七助の目に焼き付けられた。覚悟はしていたがショックで、自分とは違う男、それも恨むべく相手との情交の最中に叶えられた昔の夢は、七助の劣等感を急速に肥大させた。その捌け口にするように拳銃の銃口を進一に押し付け、自然と上がる撃鉄と引金に添えたままの指は、彼を本気で射殺しようとする決心の表れだった。


「実に簡単だったよ。なんで昇二さんが石花と名乗ってたかようやく解った。お前とお前の母親の名字だな。やっぱりあの人は立派だ、せめてもの思い出に偽名を女の名字にしたんだ。そんでもって、身篭らせられた相手の名をつけるたあ、てめえの母さんはよっぽど昇二さんを愛していたんだなあ。なあ、このボンクラ!」


 額に押し付けた銃口をグリグリと左右にねじり肌は赤く腫れ上がった。ついでに既に萎えきった進一の一物を靴底で踏みつける。蚊の鳴くような悲鳴が上がった。


「申し開きはないな。ここで死ね」

「ま、待ってくれ、確かに俺の名は石花進だ。どうしてそれを」

「末端に金持ち逃げされるようなカス組織の情報なんざダダ漏れだ。その辺のガキにだって知ろうと思えば知れる」

「殺さないでくれ!俺を殺したってしょうがないじゃないか」

「許せないんだよ、お前みたいな奴が昇二さんの息子だってことが」

「親父は俺たちを捨てた、俺が生まれたときから関係ない!」


 「捨てた」と聞き、七助は銃のグリップで額を殴りつけた。小さい角材で殴られたのと同じで進一は失神しかけるが、続いて七助はビンタを張り無理矢理目を覚まされる。

 進一の言うことには一理ありそうだったが、昇二は二人を捨てざるをえなかったことを七助は知っている。二十年以上前の北城会は強大で、とても身重の女を連れて逃げられるような状況ではなかった。それに女は今は亡き組長のものであったから、逃げれば逆上し殺されるかもしれなかった。二人は相談して、女は組長の許へ戻ることにしたと昇二から聞いている。戻った女は組長に深く詫び媚を振りまき、なんとか命も繋がった。産むことを許されたのも、精子に異常があってか子を成し跡継ぎを作ることの叶わぬ組長の決断で、結局昇二の計画によって誰も喪わずに済んでいると安二郎からも聞いた。


「黙れ黙れ黙れ、この親不孝者、金の次は華乃まで奪ってくつもりか。そんなことさせない、今すぐ死ね、死ね!」


 引金を握りこむように食指に力を入れるのと頰に熱い衝撃が走るのは同時だった。発射された.44スペシャル弾は射線が斜めにずれ、デスク上のスタンドの蛍光灯を破壊し壁に刺さった。壁に倒れこんだ七助が銃口から立ち上る硝煙越しに見たのは震える白い手、視線を登らせると片手でシーツを胸元で抑えた華乃の裸体と涙が伝う紅潮した顔が目に入った。七助は激情が急速に収まっていくのを血管の収縮で感じた。


「なにやってんの航成!なんでこんなことを…進一に何か恨みでもあるの⁉︎」

「こいつの親は俺の恩人だ。だのにこんないい加減なやつ」

「関係ない!関係ないよ、私たちには…助けてくれるって言ったじゃん!やめてよ、悲しいよ、航成そんなんじゃなかったじゃん…」


なんでえ、華乃。そんな顔するなよ。お前も俺の味方じゃないのか?そんなんじゃないって言われても、華乃と会わない間俺はこうなっちゃったんだよ


「進一いなくなったら私はどうすればいいの。生きていけないのに」


 七助は立ち上がり「服を着ろ」と顎で指した。銃のシリンダーを開放し残煙を吹くと火薬の焼ける臭いのままズボンに押し込んだ。


「航成…」

「行くぞ、華乃」

「行くってどこに」

「ついてこいよ」

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