第3話 チンピラ調査

 翌日から七助はソファで起居することとなった。二人を受け入れたことは、七助の商売を考えるとかなりお人好しで無謀な行為なのだが、元より寝具はベッドとソファしかなく両方を各人に借すほど心は広くない。朝目覚めて仲睦まじくベッドの上で布団にくるまる二人を見て嫉妬しないでもなかったが、紅潮して拳を握りしめるほどでもなくそれだけのこと。

 男の名は白田進一といった。外見としては七助の好みに合わずチャラチャラしたところがあったが、性格としてはどこか小心者で繊細な方らしくいつも華乃のことを気遣う様子があるのは好印象。華乃も七助の事務所にいる内は安心するのか、活き活きと進んで家事をしてくれた。居酒屋仕込みなのか出てくる料理はどれも一品物だが味は悪くない。

 二人の処遇について、七助は国外脱出させる気でいた。台湾になら昇二と仕事してた時から懇意にしてくれてるマフィアがいるし、裏取引の事情から密航させるのは容易い。身分証偽造のエキスパートも知人にいた。心配なのは急に街で目立つようになってきた北城会らしきヤクザ。やはり二人が吉祥寺に駆け込むのを見ていた者がいるらしい。そのあたりも味方してくれる顧客のヤクザや警察幹部に相談する気でいた。


『やあ、陣大人。元気してる?』


 定期的に消息を伝えていたとはいえ、台湾のマフィアと電話するのは久しぶりだった。七助は昔覚えた台湾語を忘れておらず、すらすらと挨拶した。


「小孩子!元気にしてたか。便りが少ないのは仕事が順調な証と思ってたけど、寂しかったぞ!」


 溌剌とショウハイツと始めたのは向こうの言葉で子どもという意味、この場合ボウズといったところか。昇二について回っていた七助はいつまでたってもこの老人からしたら孫のような存在だった。七助とは逆に、後に続いて流暢な日本語が出てくるのは日本統治時代標準語として日本語を習っていた故。七助は陣老人の歳を感じさせない活気を聞いて安心した。


「あまり連絡できなくてすまない。俺の方は元気でやってるよ」

「ならよかった。たまにはこっちに顔を出してくれよ。俺の舎弟どももお前に会いたがってるぞ」

「今に顔を出すさ。実は、今日電話したのは、ちょっと陣大人に相談したいことがあって」

「相談?なんだって言ってくれ。揉め事なら自家用機で領空侵犯してでも行くぞ。最近兵役を終えたばかりの活きのいいのもいるし」

「いやあ、そこまでしてくれるほどでもないよ。二人ばかりそっちで預かってほしいんだ」

「預かる?」

「昔からの友達さ。タチの悪いヤクザに追われてる。名前も変えさせておくから、ほとぼり冷めるまで陳さんの下に置いてほしい。最近帰化した日系台湾人として働かせていいから」

「その二人、ヤクザ向きか?」

「一人は元ヤクザだが両方そんなタマじゃない。適当に飯屋か宿屋でも、仕事を教えてやらせてくれたら助かる」

「小孩が頼むならしょうがないな。でもそ奴がヤクザに追われてるってんなら、お前も何かと危険だろう。やっぱり俺たちが行こうか?」

 七助は目を細めて笑い、腰のブルドッグを軽く叩いた。そしてふと昇二のP08が入っているロッカーを見つめる。

「俺にはブルドッグとルガー…昇二さんがいる。心配には及ばんよ」


 やることはまだあった。戸籍の抹消も考えたがまた帰国する時のことを考えるとそれも不便、とりあえずパスポートや他身分証の偽造を依頼し、台湾とも連絡をとりつつ必要な物を揃えてもらう。これらの出費は痛かった。



「まさか七助さんがチンピラと関わってるとは思いもよらなんだ。あんたはこういう人を嫌ってるとばかり思ってた」


 進一の写真が貼られた偽造パスポートにどこから横流ししたのか本物らしい大使館のスタンプを押しながら偽造屋の主人がつぶやいた。たかが組の金を持ち逃げしたくらいのチンケな出来事はこの世界では日常茶飯事で、大した事情通でもないこの主人が知ってるのは意外だった。


「俺も好きで匿ってるわけじゃない。知ってるのか?」

「有名だぜ、北城会が血眼になって末端構成員を探してるって」

「たかが金持ってズラかろうとしただけで?こんな話珍しくもないだろ」

「北城会ってのは潰れかけのヤクザだからな。最近すっかりケチになって組長までご出征して探してるらしい」

「どおりで俺が取引したときやたら値切ってきたわけだな」


 パスポートの作成が終わったのか主人は鍵付きのロッカーにしまった。あとは経歴の改竄までやってくれる。彼は手書きの控えを七助に渡して忠告するように言った。


「最近めっぽう目付きの悪い連中が増えて吉祥寺もキナ臭くなってきた。ま、あんたも気をつけることだな」

「任せとけよ。チンピラにやられる俺じゃない」


 そう啖呵切ったとはいえ、ここまで話が広がっていると色々気にはなってくる。ヤクザの情報に通じているのはやはりヤクザ。七助は顧客でもある「極道」を訪ねることにした。


 朝、ベーコンの脂が弾ける音で目を覚ます。この頃七助はソファの生活に耐えかねていてカーペットに直に布団を敷いて寝ていた。薄く目を開けると布団と毛布越しに台所に立つ華乃が見えた。

 簡単な服にエプロン姿は若い主婦。この瞬間だけは、七助に夫婦生活の幻想が与えられた。あとはこちらの目覚めに気づいた彼女が微笑みかけ、朝のキスでもしてくれたら。そこまで夢を見させてくれたら。だが思うまでもなく進一が華乃の側に寄り、彼の夢を代わりに叶えていた。やはり夢幻にしかすぎない。仕方なしに咥えて火を点ける煙草の苦味が心に沁み、ぼんやりその箱を眺め黒地に金で書かれた「JPS」の文字を指でなぞった。


「あれ、航成起きてたんだ。おはよ」


 顔を赤らめ慌てて飛びのくのは進一の方で、華乃は自身の口づけを見られてもケロッとした様子だった。この行為は二人の間では習慣であることが垣間見え、七助の寂寥感はやり場も無しに思い切り吸殻を灰皿に押し付けるだけだった。二本目に火を点けるとプレートが運ばれてきて、ベーコンにオムレツの湯気、サラダにかかったドレッシングが鼻腔をくすぐる。


「またそんなに吸って。身体に悪いよ?」

「うるせえ放っとけ」

「一日に何箱吸ってるんですか?」

「数えてない」


 「いただきます」と行儀よく手を合わせて食べ始める二人を横目に、まだ長い煙草を自分のペースで吸い続ける。このカップルを前にして場違いなのは自分であることが思い知らされた。だが、自分の家での身の置き所の不和にいい加減慣れてきていた。


「今日も出かけるの?」

「ああ。まだやることがある」

「すみません、俺たちのために」

「こっちが好きでやってるんだ、いちいち謝るなよ。あと同い年なのに敬語も気持ち悪いからやめてくれ」

「はい…」

「……」


 繰り返されるこの会話、兼ねいつも通りなのだが、二人のどこかそわそわとした様子に違和感を感じた。華乃が薄く化粧をしていることにも気づく。


「どうしたんだ、化粧なんかして」

「わかる?」

「見ればわかるさ。化粧品の香りもする。外出はさせられんぞ」

「わかってるって。たまにはメイクしないと忘れちゃうんだ」

「なんだそりゃ。前は毎日してただろうに」

「私、そのへん不器用だから」

「あっそ」


 もう一つ、普段の会話から七助に聞かなかったことを進一が言った。その声もわずかに上ずっていた。


「航成さん、今日はいつ帰るんです?」

「早くて夕方かなぁ。なんで?」

「い、いや、別に」

「別に?」

「ほら、私たちを探してるヤクザがここらにいないとも限らないから、いつ帰ってくるか判らないと心配しちゃう。帰るときに連絡入れてくれたら嬉しいんだけど」

「なんだ、そういうことか。帰る前に連絡するよ」

「ありがと」


 二人の態度に疑問を覚えながらもレタスの最後の一枚を口にする頃には忘れていた。それから食後の煙草を済ますと身支度を整え軽装で出発した。


 七助が「極道」と称する浅田組は上野、細かくいえば御徒町に在る。アメ横を統括しているとか上野一帯も傘下にあるとか噂は絶えないが、堅実にシノギを削る安定した組だった。駅を出てアメ横を横切り、雑踏とこの街の乱雑さに合わない小綺麗なビルが浅田組の本拠地だった。入口の警備員、客に応対する優男、受付の美人が凄腕のガンマンで格闘家なのかは判らない。


「お世話になっております。ニシオ貨物取扱事業所の幽径七助ですが、社長との面会はできますか?アポは取ってあります」

「幽径様ですね、社長からお話は伺っております。どうぞ」


 あとは勝手知ったるビル内を闊歩し迷わず社長室直通のエレベーターにたどり着く。許可された者にしか開かれないドアはその前に七助が立つと静かに開いた。社長室の階には執務室とプライベートルームがある。屈強なボディーガード二人が守っているのはプライベートルームの方で、とりあえず執務室の扉に進んだ。


「幽径様ですか?お話は通っております。社長はプライベートルームにおりますから、こちらへどうぞ」


 ボディーガードの一人が声をかけた。容姿の割に出てくる声は穏やかで、組長の出来のいい教育が伺われる。

 導かれた部屋は古い書斎風で、数々の渋い調度品が光り、それらに囲まれて組長の出迎えを受けた。


「やあ、お久しぶりですな。七助さん」


 ビルの外観からはイマイチ想像できない渥美清の様な男、彼が六代目浅田組組長、浅田安二郎だった。デスクの頭上には一本の軍刀が掲げられており、これが七助との関係の始まり。


 日本に来てから昇二の顧客リストに従い挨拶回りに出ていたら浅田組に当たった。受付に伝えるくらいで済ませておこうと思っていたのだが、昇二の後継だと知った安二郎は血相を変えて七助に頼み込み、太平洋戦争で紛失した父の軍刀を取り戻してほしいと頭を下げた。

 カタギだった安二郎の父は飛行下士官で、終戦となりフィリピンで武装解除された折、戦地へ持ってきていた軍刀を没収された。その軍刀は先祖伝来の刀を軍用にこしらえた物だという。戦後やさぐれて特攻崩れの仲間とヤクザ稼業を始め、大企業にもなった組は安泰だったのだが、死ぬまでその刀のことが気がかりだったそうだ。

 彼の死後、海外の刀剣コレクターがこの軍刀を所有していることが判った。その軍刀を取り戻してほしいというのが懇願の元だった。やはり昇二の弟子だということを見込んでいたからなのだが、至る所で昇二の人脈の広さと優秀な手腕を聞かされていた七助は背負うプレッシャーが大きい。それでもなんとか、紆余曲折あって軍刀を買い戻した。多大な感謝をされた七助は相手が買いかぶりすぎだということを思いつつ、その感謝が嬉しかった。


 葉巻を吹かしソファと灰皿を勧める大物、剛健な木箱の蓋を開け自分の物と同じ葉巻を差し出すが、七助は丁重に断って自身の煙草を出した。


「安二郎さん、やはり葉巻が似合いますね。タバカレラですか?さすが大物は違う」

「いやあ、タバカレラといっても安物です。七助さんはずっとJPSですな。昇二さんもそれを吸っていらした」

「三つ子の魂百までも、といったところです。昇二さんはもう一人の親みたいなものでしたから」

「間違いない。ますます昇二さんに似てきていらしてる」


 豪快に笑う二人。笑い声は外のボディガードの耳にも届いていたが、安二郎がもう一口煙を吐き出すとピタリと止み急に真面目な顔を作った。


「商談でもなく遊びにいらしたわけでもなく、調べたいことがおありだと伺いました」

「ええ。極道に通じていらっしゃる安二郎さんのお力をぜひ貨りたくて」

「揉め事とあっても、あまり力を貸すことができません。今組の者が、まあ一構成員なのですが、傷害事件を起こしてしまいましてね。それが政治家関係だったらしくて。警察に賄賂を送ってなんとか隠密にコトを済ませたのですが、監視の目が厳しくなった」

「そこは大丈夫です。自分で切り抜けてみせます。調べものだけさせていただければ」

「そうですか。情報ならばいくらでも差し上げられます」

「それだけで十分です。ありがとうございます」


 七助は本題を切り出した。事の顛末を説明すると安二郎は僅かに苦い顔をし眉をしかめた。


「北城会ですか。あの組はもう落ち目もいいところで、色々無茶してますからなあ。金を持ち逃げされたことも耳に入っています」

「ええ。確か、北城会は…」

「我々との関係が良好とはいえない。七助さんもこのことが北城会に露見すればタダじゃおかないでしょう。だからウチに来た。金を持ち逃げした人を匿っているという話なら北城会とあなた方は敵、敵の敵なら味方ですからな」

「まったく、面倒なことを抱え込んでしまいました」


 葉巻を一度灰皿に置き、安二郎は戸棚のファイルを漁り、北城会関係の資料を探した。抗争にも戦略が必要と、まるで軍隊の参謀のような考え方をする安二郎は知り得る限りの組織とその構成員の情報を集めていた。


「これが北城会の資料です。何が知りたいんですか?」

「匿った男、なかなか自身のことを語りたがらないもので。あんまり知らないのもナンだから、こっちで調べさせてもらおうと」

「なんて名なんです?」

「白田進一というんです」


 安二郎の動きが止まった。何かに気づいた様子で、顔が蒼ざめたように見えた。安二郎は黙ったままファイルのページをめくった。履歴書のような資料が現れ、顔写真の進一、少し前のもののようで、チンピラ小者の威嚇を表情に浮かべている。


「昇二さんに師事していたあなたにとって、知りたくないことかもしれません」

「どういうことです?」

「写真は本人で間違いないですね?」

「ええ」

「白田進一と『名乗っている』この男は…」

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