鈴木君09


 好き、って普通に言ったら普通に自分が好きって感情を持ってた気がしてきて、ああ、そうなんだ。好きなんだ。と思った。仁科が呆気にとられてからあげを地面に落としたせいで、床が一部過剰に光を反射して、輝いていた。特売で安かった、キャノーラ油。ほんとは揚げ油処理するのがめんどくさいから、普段は揚げ物とか全然作らない。祖母はよく作ってくれた、特にてんぷらがうまかったけど、俺はせいぜい作って揚げ焼きだ。油で焼いて、あとはオーブンに突っ込むだけ。だけど、さすがに他人に食べさせることを想定して、普通の揚げ物を意識して、たっぷりの揚げ油で揚げてみたのだった。別に誰も褒めないし、意外とめんどいんだぜ。いいけど。とか思ってたら、「うまかった、このからあげ好き。」とか言い出したから、まじこの野郎ぶち殺すぞ、と思って、何が言いたいかってよく考えてみると、普通に嬉しくてテンション上がったみたいだった。あー、好き。これが好きか。とかって実感してたら今になって心臓が思い出したみたいにバクバク言い出したから、やっぱ俺の体かなり鈍いな。



 温い血液の流れとか。にわかに上がりだす血圧とか。仁科の止まった動きとか。見開かれた目とか。鈍角の顎の線。首に流れる淡い影。

 

 ここは俺の場所で。俺しか来こない場所で。でも今は仁科がいる。仁科がいるって、俺が呼んだんだけど、つまりすべてはそういうことらしかった。自分の体の一部みたいに、切り離しがたい。取り込んでしまいたい。俺は仁科のことをそう感じている。仁科が俺のことをどう考えているかは、実際どうでもよかった。自分のフレームに仁科を閉じ込めた。そのことがとても、嬉しい。このまま時間が止まればいい。そんなことはとてもかなわないけど、でも俺は頭の中で今の時間を止めて、きっと何度も思い出すだろうと思った。焼きつけて、刻み付けて、ずっと。

 瞬きしただけで、もう朧なのに? 俺にとっての現実なんか、そんなものなのに。それなのに、永続性、みたいなものにずっとあこがれを抱いている。目を閉じただけで消えてしまわない世界のことを、思い描いている。

 結局作りすぎた弁当は全部食べ切れなくて、残った。普段一人分しか作らないから、分量がわからない。仁科が持ってきた弁当は俺が食べた。可もなく不可もなく、でも作り慣れた弁当だった。すこし祖母の味を思い出すような。

 

 重たい沈黙が垂れこめて、仁科が所在なさげにするので、俺は余ったからあげを持って立ち上がった。階段を降りる。仁科が黙ってついてくる。廊下の窓を開け放って、そこからからあげを放った。四階の窓から、非常階段の踊り場が見える。そこに投げたからあげをめがけて、鳩が飛び込んでくる。いつも中庭の大きな杉の木の上に止まっているのだ

「餌付けしてるの?」

 仁科が聞いた。それからしばらく、からあげをつつく鳩を見ながら、共食いじゃん、とか言っていたけど、ぼつりと

「ヤンキーって動物好きだよな」

 と呟いた。俺は自分のことをヤンキーと呼ばれたのが初めてだったので、笑った。

「帰属と隷属と従順と、愛情の違いが分からないんだよ」

 俺の言葉に仁科が笑う。俺もその声に重ねて笑う。

「いやまじで」

 だからペットと部下と友情とか愛情を混同するんだけど、仁科には言っても分からないと思う。説明しても、するだけ無駄。じゃあなんで話したんだって言うと、結局わかってほしかったのかな。俺も可愛いとこあんじゃん。



 俺は弁当の残りの全てを窓からぶちまけて、じゃあな。と言って仁科を置いて歩き出した。鳩は多分俺の顔すら認識してない。覚えてない。ただそこにときどき餌があることを、覚えている。記憶している。俺はそれでいい。鳩と同じでいい。だから、仁科とはもう話さないだろうなと、思った。



「あのさ」

 仁科の声が踊り場に響く。

「弁当旨かったし、もしかしてこれ、お前作ったの? ありがとう」

 全部食えなくてごめんな、という声がした。そういうとこがイラっと来るんだよなぁ。いちいちお前が謝るなよ。

「おれほんとに、お前と一緒にいるの、楽しかったんだよ」

「無意識かもしれないけど、お前、さっきから全部過去形で喋ってるからな」

 たまらず振り向いて叫んだ。仁科は黙った。

 ああ、もう。言うな。って決めてたのに。こいつの前だと本心が迂闊に零れ落ちるから困る。俺は前髪をくしゃくしゃに掻きむしって、無理に口角を上げた。

 これでいいって。言ってるだろ、ばーか。




**************



 階段を下りる途中、窓ガラスの外で、バサバサという羽音が聞こえていた。鳩がもっと大きな鳥と争っている音。カラスとか、鳶とか。脳裏に鳩を捕まえたときの羽音が鮮明によみがえって、少し笑ってしまった。子供の頃から同じことばかり繰り返している。愛しくて、近づきたくて、近づきすぎて、壊してしまう。近づきすぎて失敗して、憎まれるくらいなら、相手を壊してしまいたくなる。手に入らないものならいっそ、自分の手で傷つけて壊してしまいたい。


 手の中に響いている鼓動。ぬくもり。愛おしさと、疎ましさと。俺ならきっと、相手に受けた暴力をいつまでも覚えている。永遠に忘れない、許さないだろう。その感情をそのまま相手に投影して、俺は許されない自分の姿を目の前から消してしまいたくなる。さよなら。



 仁科のころころ変わる表情とか。屈託のない笑顔とか、全部ムカつくけど、でも好きだった。自由に笑うことを許されてる。許されている自らの存在を疑ったことすらない。はじめから与えられている人間の、強さ、とか鈍感さ、みたいなもののすべてが、俺の神経を逆なでして、俺は仁科を許せない。


 許されないのは自分だけなのに。他人全部に同じであることを期待しそうになる。でもこの感情に名前を付けるなら、愛としか言いようがなかった。心臓の辺りがずん、と重くなるような。執着、執心、同じことか。お前が俺と同じであってほしくて、でも俺は俺と同じような奴を好きにならないから、つまりはじめから矛盾している。手を伸ばした時点で負けが決まってるようなゲームだ。


 笑っちゃうような、愛だろ。

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