佐多さん7
二日前から、仁科君が学校を休んでいた。よく本を借りに来てくれる子だった。心配になって担任の先生に聞いてみる。でも先生も詳しいことは聞いていないという。美術の先生が何か知っているかも、と教えてもらった。鎌田先生が? と疑問に思ったけど、気になったので、昼休みに美術準備室に顔を出した。先生は教材の見本を作っていた。
「ん? どうしたの」
私に気がついた先生が、言った。
「えっと、仁科君のことで」
先生の眉が一瞬ぴくっと動いた。気がした。
「仁科君、学校休んでるんです。担任の先生が、鎌田先生が何か知ってるかもって、」
なんでわかったんだろう、と小さく呟く声が聞こえた。それから、ふーっと息を吐いて、先生は言った。
「友達と喧嘩したらしいんだけど」
「友達?」
私は記憶を巡らす。仁科君と一番仲が良かった子。あの子。鈴木君?
「なぜですか?」
「それはぼくにもわからないけど」
「なんだ……。」
カバンの中には、仁科君に個人的に貸そうと思っていた小説が入っている。ネット小説が出版されて人気になったもので、学校の図書室にはまだない。風邪でも、本くらいなら読めるだろうか。持っていってもばちは当たらないだろうか。先生に仁科君の家を聞いたら教えてくれるんだろうか。
「佐多さんも、鈴木君となんかあった?」
先生がわざと手元に視線を落したまま言う。作業を続けているふりをしながら、背中で様子を探られている気がする。
「ありましたよ。私あの子に嫌われてるから」
「それはなぜ?」
「わかりません。心当たりが」
ない、と言えば嘘になるだろうか。私は目撃者で、あの子の秘密を知っている。このことを伝えるべきだろうか。嘘を吐くのは苦手だけど、本当のことをそのまま話すことも得意じゃない。どうしたらいいか迷っている間に、先生は椅子を軋ませてこちらを見た。
「先生良いこと思いついた」
しなる背もたれ。あんまりいい予感がしない。
「みんなで仁科のお見舞いに行こうか」
「みんなって?」
「佐多さんと、鈴木君と俺」
え、と私は後ずさった。先生は、じゃあ放課後。と言って取り合わない。
「でも私、習い事が」
「友達のお見舞いだし、たまには休んでもいいでしょ」
「いやでも」
「でも? たまにはサボった方がいいと思うよ。休みたいって顔に書いてある」
「先生それ、口癖ですか?」
「え?」
「顔に書いてあるって、前も言われました」
先生は笑った。
「だって佐多さん、中学生なのにすごい疲れてるから。通勤ラッシュで毎朝揉まれてる社会人みたい」
私は恥ずかしくなって、うつむいた。
そんなに疲れてるだろうか? 美術室から教室に戻る途中、トイレで鏡を見た。いつも見てるから、わからない。いつも通りに見える。先生の目がおかしいのかもしれない。それにしても、なんであの子まで誘う必要があるんだろう。本当に嫌。先生のことまで嫌いになりそう。
放課後、何事もなかったかのように、靴箱で靴を履き替えて校舎からでようとしたところに、鎌田先生と鈴木君がいて、私は思わず目を伏せて通り過ぎようとした。こらこら、と声をかけられて、捕まる。
「嫌です。なんでこの三人なんですか」
「それはだって、仁科君、友達少ないから」
「うわ、さいてー。この人教師としてサイテー」
鈴木君が周りに聞こえる声で言った。
「コラ、お前はもう少しおとなしくしてろよ」
先生が何か耳打ちする。鈴木君は舌打ちして、静かになった。
「車出すから。乗って」
先生の車は白くて地味だった。家の車より、狭い。どこの席に乗るか、鈴木君がちらりと私を見た。私は黙って後部座席に乗り込んだ。鈴木君は助手席に乗った。
仁科君の家は住宅地の真ん中にあった。インターフォンを押すと、家の人は留守で、仁科君が直接出た。仁科君はドアを開けて、面食らって固まっていた。
「あの、これ、前言ってた本」
文庫を差し出すと、仁科君はのど元を軽く抑え、それからため息をついて
「あがって」
と言った。
「大丈夫なの?」
「平気。風邪とかじゃないからうつらないよ」
脱いだ靴をそろえるとき、鈴木君がこちらに背を向けて帰ろううとしているのが見えた。鎌田先生が鈴木君の頭をクレーンゲームみたいに掴んで、くるりと向きを変えさせる。
仁科君は私たちをリビングに案内して、座らせてくれた。
「なんのご用ですか」
鎌田先生の正面に座った仁科君が、あらたまって言う。
「お見舞いですよ」
と先生は言った。仁科君は困ったような、それとも疑うような顔で、私と鈴木君の顔を交互に見た。
「ほら、なんか言うことあるでしょ」
鎌田先生が鈴木君の背中に触れる。鈴木君はその手を振り払うそぶりをして、ちらりと仁科君の方を見た。しばらくの沈黙の後、鈴木君が絞り出すような声で言った。
「悪かった」
仁科君が頭を掻く。伸びた前髪が目にかかってうっとうしそうだった。
「悪かったって――――」
消え入りそうな声で仁科君が呟く。あれ、私まだ謝ってもらってないのに、仁科君だけそんな簡単に。ずるい。と言いそうになり、知らないうちに口元がうずいた。
「どうしていいかわかんない。謝られても困るっていうか」
仁科君が言う。え、謝られても許さないというパターンもあるのか。軽く衝撃を受けて一瞬頭が真っ白になる。
「逆に一個聞くけど、なんであんなことしたの?」
仁科君が言った瞬間、鈴木君の動きが止まった。フリーズしてる。あ。の形のまま開いた口とか、泳ぐ視線とか、困ってるんだな、ということは何となく伝わってくる。
「なんでって」
なんでそんな理由とか聞くの。要んの? って鈴木君がいつもの可愛げのない調子で続けた。自分が掴みかかられた理由くらい知りたいでしょうよ、と仁科君が言うので、私も便乗してうなずいた。
「えー、え?」
鈴木君が額の辺りに手のひらをこすりつけて髪をくしゃくしゃにする。困ってる、あの鈴木君が、困ってる。私は驚いてしまって、かえってこっちがあたふたしてしまった。
「わ、私も聞きたいけど!」
声の調子がくるって、思いのほか大きな声が出てしまった。
「なんでそんな嫌うの? なんでそんな意地悪なの?」
あー。と鈴木君が低い声で言った。明らかに私のときだけ態度が悪い。うわ、わかりやすいなこの人。
「まず第一にその甘やかされた態度が嫌い」
「え」
「他人を信頼しきった様子が嫌い。疑いを知らないところがムカつく」
「そんなことない」
「いや、ある。他人が自分に危害を加えるとか思ってもみないところとか」
「基本的信頼感情ってやつだ」
窓際に突っ立っていた鎌田先生が言った。
「要は嫉妬じゃない?」
先生が言うと、勢いづいていた鈴木君が急に黙りこくった。
「認めたくない?」
ぎろ、と鈴木君が先生を睨む。
「じゃあおれも……。」
仁科君が言った。
「おれもそんなふうに、お前に思わせてたのかな。ごめん」
はっと息を呑む声が聞こえた。鈴木君が沈痛な表情でに仁科君を見ている。かすかに首を振ったように見えた。
「もう! なんでこのメンツなんだよややこしいな! 俺は……」
俺は、の後の言葉は続かなかった。頬を紅潮させて、肩を震わせている鈴木君の姿はなんだかいつもよりもすごく小さく見えて、ああ、私はこの子に怯えていたんだ。今の今まで。わたしは。
「怖がらせて、ごめんね」
思わず呟くと、鈴木君が私を見た。
「何度も言うけど、俺はお前みたいな女が一番嫌いなんだよ」
「私もあなたみたいな人大嫌い」
「そもそもお前気がついてんの? あいつの気持ち」
鈴木君が仁科君を顎で示す。
「え?」
「ちょっと、やめろって、いいよ」
仁科君がテーブルの上に体を乗り出して、鈴木君の口をふさごうとする。鈴木君はそれに動じない。私の方に向かって言葉を続ける。
「気がついてて振り回してるんならすっげぇ性格悪いぞ、お前」
「もういいわかった自分で言う!」
仁科君が大きな声を出して、みんな一瞬黙った。
「佐多さん、好きです!!!」
一瞬面くらって、思わず椅子から腰を浮かせてしまった。それから気を取り直して、
「ありがとう!」
と仁科君に負けない大きさの声で返した。仁科君は二回、三回とうなずいた。
「え、いいの? いいのそれで」
鈴木君が怪訝そうに言う。
「いい! 全然いい! あースッキリした!」
先生ありがとう! 仁科君が鎌田先生に向かって頭を下げた。
私はすっきりどころかびっくりしている。でも言われてみれば、仁科君の好意が垣間見えないこともなかった。閑古鳥の図書室に本を借りに来てくれてたこと。私の長くてつまらない話に耳を傾けてくれていたこと。そうだったのか。あまつさえ、私、自殺がどうとか、長ったらしく話してしまって、ああ、思い出すとおなかが痛くなる。
でも私、確かにあの時、救われたんだった。仁科君に話を聞いてもらえて。
「ありがとう」
私はもう一度呟いた。
仁科君はお茶を淹れてくる、と言ってキッチンに引っ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます