朝張線を救った最後の三分間(KAC6)
つとむュー
朝張線を救った最後の三分間
「とにかく、最後の三分間がすごいんだから!」
そんな風に香織に誘われて、俺は今、ローカル線に揺られている。関東平野の片隅を、ゴトゴトとディーゼル列車に乗って。
――もしかして、こいつ鉄子だったのか?
そんな素振りは全く見せなかった香織。
先週のデートの最後に「今度は朝張線に乗ろうよ」と誘われた時、真剣にその可能性を疑った。
香織とは、大学のテニスサークルで知り合った。
可愛いというよりかは美人の部類に入るシャープな顔立ちと、それに負けないくらい尖ったファッションセンスが気に入り、俺は彼女に交際を申し込んだ。そして三ヶ月前のクリスマスイブに、ようやくオーケーを貰えたのだ。
初詣から始まったデートは、映画、食事、ショッピングと徐々にステップアップし、誘われた遊園地も湾岸地域の夢の国と、ごく一般的だった。その間、鉄道に関する話題は無かったし、鉄道が写るポスターをチラ見することも無かったし、鉄道について寝言を漏らすことも無かった。
でも、交際三ヶ月目のなんとかって言うもんな。
まさか、ようやく本性が表れ始めた……とか?
しかしだ。
鉄子に相応しくないぞ、今日のデートの格好は。
朝張線のディーゼル列車の対面シート。向かい合って座ってスマホいじりに夢中になっている香織の服装は、とても鉄子のものとは思えないのだ。
戸袋に引き込まれそうなひらひらのプリーツスカート、ホームを駆けるとすっ転びそうな厚底のサンダル。薄いハンドバッグにはとても一眼レフカメラは入りそうもないし、車内を舐めまわすように観察する様子もない。
話題もテニスや映画やサークルの女友達の噂話ばかりで、鉄道のテの字もない。それどころか、話題が途切れた時は車窓を眺めることもせず、スマホに夢中になっている。
いったい何が、香織の心を捉えたんだろう?
香織は本当に鉄子なんだろうか?
『とにかく、最後の三分間がすごいんだから!』
俺は、このデートに誘われた時の彼女の言葉を思い出していた。
きっと、このセリフにヒントがあるに違いない。
だから俺もスマホを取り出し、地図アプリで路線を調べ始めた。
列車は現在、終着駅から二つ前の青氷沢駅を出たところだ。
地図アプリでも、現在位置は青氷沢と次の駅の間を示している。
次の駅は猪ノ谷。この猪ノ谷駅から終着の朝張駅までは、ずっとトンネルが続いている。
全く分からない。
なぜ香織が、俺を朝張線の旅に誘ったのか?
渓谷沿いに走っているわけでもなく、鉄橋があるわけでもない。
最後はただひたすらにトンネル内を走る三分間。地図から読み取れる情報は、そんなところだった。
そうこうしているうちに、列車は猪ノ谷駅のホームに滑り込む。
猪ノ谷駅到着を知らせるアナウンスに反応して、香織には嬉しそうに顔を上げた。
「ほら、いよいよだよ。今日はどんな演出なのか、楽しみだなぁ……」
演出?
もしかして、列車の中で何か出し物でもあるのか?
車掌さんが、素敵な歌を披露してくれる……とか?
不思議に思う俺をよそに列車は猪ノ谷駅を出発し、すぐトンネルに入る。
すると俺の予想に反し、しばらくして車窓が明るくなったのだ。地図上では、トンネルは三分間続くというのに。
「ええっ!? 何? この景色……!?」
俺が驚くのも無理はない。
いつの間にか、列車は標高が千メートルを越えるような山岳の鉄橋の上を走っていた。
その証拠に、遥か眼下には氷河湖のようなエメラルドグリーンの湖面が光っている。
「マジ? これって日本?」
ここは関東平野の片隅だったはず。
こんな湖があるなんて聞いたことがない。
驚いたのは景色だけではなかった。
みるみる太陽が地平線に沈んでいく。
エメラルドグリーンだった湖面はオレンジに輝き、やがて湖岸の街並みに光が灯る。見上げると満天の星空。それはそれは夢のような景色だった。
「綺麗ねぇ……」
目の前の香織は、うっとりと車窓を眺めている。
その姿はまるで、ピーターパンの前に現れたウェンディのよう。
その瞬間、列車は再びトンネルに入る。
直後にトンネルを抜けたかと思うと、そこはすでに終着の朝張駅だった。
「ねぇ、すごかったでしょ?」
香織が俺の顔を覗き込む。
「あ、ああ……」
本当にすごかった。
景色が美しすぎて、それに見とれる香織も素敵すぎて、俺は言葉を失っていた。
「さっきのってプロジェクションマッピングなんだって。朝張線復活の切り札らしいよ」
朝張駅前のお洒落なレストランでランチを食べながら、香織が詳しく教えてくれた。
乗客数が減って廃止が検討されていた朝張線。廃止反対を訴える地元有志が目を付けたのは、列車が最後に走る三分間のトンネルだった。
――ここに素敵な景色を映し出すことができたら?
トンネル内を塗装による銀幕仕様にして、列車に特殊なプロジェクターを取り付けて、試行錯誤を繰り返しながらリアリティ溢れる映像を映し出すことに成功したのは、つい最近のことだったらしい。
この映像目当てで乗客数は一気に数倍に跳ね上がり、とりあえず廃止は回避されることになったという。
「さっきの映像なんだけど、リピーターを確保するために定期的に変わるのよ。この間、サークルの美希と来た時なんて、湖上をジャバジャバと走ってたんだから」
ええっ、湖上をジャバジャバだって?
「なんか、とあるアニメをモチーフにしてるんじゃないかって美希は言ってた。私にはウユニ塩湖を走っているみたいに見えたんだけど、それはそれで綺麗だったんだから……」
遠い目をしながらうっとりと回想に浸る香織。
それって、もしかして、セントチヒロのなんとかってやつじゃないのかっ!?
もしアニメ企画が実施されることがあったら、また来てみようと俺は決意するのであった。
一ヶ月後。
朝張線で待望のアニメ企画が実施されると聞いて、俺は再びディーゼル列車に乗っていた。
香織は用事があって来ることができず、残念だったけど。
猪ノ谷駅を出た列車はトンネルに入る。
そして車窓がプロジェクションマッピングに切り替わると、そこは夜の景色だった。
ボーッとけたたましく汽笛が鳴り、シュッシュッシュッっとドラフト音が腹の底に響く。それはまるで、立体映像がウリの座席が動く映画館のように。
すると列車はゆっくりと、線路から浮き上がったのだ。光を灯す街並みはだんだんと眼下に小さくなっていく。
そう、それは宇宙を旅する蒸気機関車。
「これだよ、これ。ずっと昔から、この景色が見たかったんだ……」
涙が溢れて来た。
夢にまで見た光景に今、俺は包まれている。
この最後の三分間が本当に愛おしいと思う。だって俺の名前は鉄郎なんだから。
朝張線を救った最後の三分間(KAC6) つとむュー @tsutomyu
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