第三十六話 こころとは

切落きりおとし、ですか」

 先に振るったのは、こちらである。刑部ぎょうぶ自身も、速さと力をよく乗せられた剣だったと自負している。

 しかしながらその剣は、一刀斎の体を外れてしまっている。

 対して一刀斎の木刀は刑部の眼前に置かれていて、刑部の手には、骨が軋むジンとした痛みが生じていた。

「いったいなにが……」

「相手の撃つのに剣を合わせる。剣にはかさねがあるだろう。二つ合わせれば二つ分の厚みで反れる。早い位置で合わせれば、より大きく反れていく。そうすれば相手の剣は中心から大きく離れ、己の剣が相手に当たる。それが切落だ」

「ですが、それでは自身の剣も反れるのでは?」

「そうしないための鍛練だ」

 師と選んだ相手にそう言われると、納得する他ない。

 刑部も一刀斎との稽古でその気質を知っている。

 木訥ぼくとつとし常に口を真一文字に結んでいるが、一度開けば語られる流儀は分かりやすく親しみやすい。裏も表もない傑物である。

 そういうところは、己の親友と似ていると感じるときがあり、どこか安心し鍛練の緊張がいくらか解れる。

 だがしかし時折ときおり、さすが武に生を捧げていた者と言うべきか。刑部が知らぬ理念を抱いているのを感じる。

 かといって、理解できぬと諦める刑部ではないが。

「剣とは心で振るものだ。心が定まれば剣がぶれることはない。心を正しく据え置けば、肉が骨を真っ直ぐささえる。力の道が大きくひらける。そうすれば刀は金剛こんごうだ」

「それも、先生の言う心法しんぽうですか?」

「ああ」

 理屈ではなく、心で剣を動かすすべ

 心の動き、はたらき、それに応じて体を動かす法。

 感情、意志、気配、心で発せられるそれらと同じように、心でもって剣技を発する技法。それが心法だ。

 心とは人の根幹であり、人が発する全てのものが、最も初めに生まれる場所だ。

 故に、剣が心から直接発することが出来たのならば、その太刀はなにより鋭く、なにより素早く、なにより優れたものになるのではないか。

 その心が磨かれていれば、なおのことだ。

「体を鍛えれば心も共に強靱となる。意識を研ぎ澄ませば心も自然と磨かれる。稽古鍛練の中で起こした意識、体の動きを心魂しんこんへと送り込んで糧とする。今やっている稽古は、そういうものだ」

 柳生やぎゅう新左衛門しんざえもん古藤田ことうだ勘解由左衛門かげゆざえもんのように、理屈や理合を窮極まで突き詰め纏め上げ、自分の中に叩き込む者もいれば、一刀斎のように、実際の経験を吸収し、己の中にある術理理合をただ心の中で構築し、自分の糧とする感覚で剣を修める者もいる。

 まだ稽古を初めて日は浅く、刑部がどちら側であるかは分からない。

 今はとにかく、技術を体隅々、遍く髄に染みつかせて心に溜める段階である。

「御身にはまずこれを覚えて貰う。その為に一度合わせた。次から剣を振るときは、おれが目の前にいると思い剣を振れ。もう二十本振って朝の稽古は終いだ」

「……その前に、一つだけよろしいでしょうか」

「うん?」

 手に痛みが残るのか、木刀を握る手を見ながら刑部がうてきた。

 その面立ちは刑部にしては珍しく、神妙しんみょうとし春のような笑顔がない。

 さすがに急に鍛練の質を上げて疲れが出たかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。

「どうした、なにかあったか」

「心というのは、いったいなんでしょうか」

「…………」

 刑部のしたその訊いに、一刀斎は顎を撫でた。

 心とはなんなのか、刑部に聞かれるまで深く考えたことがなかったからだ。

「いえ、私も心という言葉が示すものがなにかは分かります。意識や、感情や、信念といったもの大元であると。しかしながら、なぜ人間はそれを糧に力を出すことが出来るのでしょうか」

 心法を弁える武芸者達は心というものを己の手足のように使っている。手がなんのためにあるのか、足がなんのためにあるのか、そんなもの生まれたとき既に承知していて、なんであるかなど考えない。

 刑部から突き付けられたその言葉の衝撃は、一刀斎の眸と、なによりその、心も揺らした。

「先生?」

「いや、なんでもない。心とはなにか、か…………。すまんが分からんな。考えたことがない」

 なにか訊かれれば即座に答えてきた一刀斎であったが、珍しく間を置いた。

 それでもお茶を濁すことはなく、ハッキリと無識むしきを詫びる。

「いえ、謝られるようなことでは。……僕も心は常にあるものと思ってきましたから。こうして剣を学び、ふと思ってしまったんです。なぜ心は人に力を与えるのか……」

 飯を腹に収めれば力が出る。体を動かせば当然疲れる。それは人間として生来から備え持った機能である。心が有している役割は人間に活力を与えることであろう。

 だが、その活力とはなんなのか。

 剣に乗る威力でも無し、拳を握る力でも無し、地面を蹴出し、駆ける力でも無い。

 そうなる前の、。それを生み出すものが心であろう。

 だがそのもとは、いったいいずこから沸いて出てくるものなのか――――。


「心が生み出すものとはなにかか?」

「ああ」

 今日も今日とて登城する刑部や治部を見送った一刀斎が足を運んだのは、月白の元だった。

 月白は奔放で才走り軽はずみな女ではあるが、しかし、伯父である曲直瀬道三の元で医学を――盗みながらだが――学び、また道三は僧侶であり、寺育ちであるためそれ相応の教養も有している。

 となれば、頼りにするのも間違いではないだろう。

 今いるのは、瑠璃光るりこうの裏手にある小さな庭である。

 庭にはいくつかの草花が植えられており、月白は柄杓で掬った水を撒いていた。

「刑部に訊かれたのだが、心について今まで一度も考えたことが無かったものでな。なぜ武芸者は心を拠り所とし、心はそれに答えるように力を出すのか。すっかりそういう能があるものだからと判じていた」

「まあ、実際そういうものだからね、心というのは。……しかし、ふふ、心か。柳生の郷を思い出すな」

「……そうだな」

 それは二十与にじゅうよ年前のことである。初めて月白と出会ったとき、その言葉で一刀斎の道は開けた。

 一刀斎の剣は、人の悪意こそを断ち斬る剣だと。煩悩こそを断ち斬れる者だと、そう称えていた。

「心は……仏の教えでは「しき」とも呼ばれるものだ。見る聞く触る、嗅ぐに味わう、そして喜怒哀楽という他者から与えられる感覚、体の動きを刹那よりも短い時間で刻み取る身業、己の口から発したあらゆる口業、己の内から起こる意図や感情といった意業。自動であれ他動であれ、己の行い、得たものが堆積たいせきし、また生じる場所だ」

 女にしては低く、それでも涼やかで玲瓏れいろうとした声で語る。仏教の言葉で語られる内容はさっぱりだが、分かるところをかいつまめば、「全ての原点で、全てが収まる場所」ということだろう。

「例えばそうだな。ちょうどいいか。わたしはこうして草花を育てているが、この土を心としようか」

 そう言うと月白はしゃがみ込み、草木の元からなにかを拾い上げて立ち上がる。

 豊かな尻が重たいのか、「よいしょ」と勢いがついていた。

「これは、この花が生み出し、落とした種だ。この種は土に還り、また同じ花を咲かせるわけだが」

「――――。なるほど、花となり種を生む、という花の一生が、その種粒に蓄えられているわけか。それが、心たる地面に戻ると」

「さすがだな。間の抜けた顔をしている割りに察しが良い」

 一言余計であるが、先ほど心の中で散々にこき下ろしていた手前なにも言えるわけもなく。なによりその、年の割にあどけなさを残す笑顔に悪気あっけが抜かれる

「あらゆる行い、現行げんぎょうというが、全てを込められた種子しゅうじは識――心へと溜められていく。その種子は必要となったとき、心の中から意識という形で発芽し、言葉や行動という形で花を開かせる。そして事が終われば種子として、また心へと帰って行くのさ」

 月白の解説に、一刀斎は目をみはる。月白が語った一連いちれんに、身に覚えがある。

 こころほのおの形をしている一刀斎にとってそれは、「炎に薪をべる」という形ではあるが、常日頃、あるいは危機に陥ったとき、咄嗟に行ってきたことでもある。

「武芸者であるなら稽古や鍛練をするが、それも同じだろうね。手を意識して稽古という形で身体を動かすことを何度も続ける。続ける内に心にそれが蓄積され、より洗練された形で花咲くのさ」

「……つまり、心が生み出す力の素は」

「ああ、今まで培ってきた己の全て、加えて、今まで受けてきた、他者からの影響だよ」

 拾った種を、袂から出した手拭いで包みながら、月白は言葉を続ける。

 その口から出た言葉に、一刀斎は再び目を見開いた。

「そのような心の働きを、心法しんぽうと言うんだ」

 その言葉はあまりにも、一刀斎にとって馴染み深いものであったから。

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