第八話 分身

「か、加減してやる、だと……?」

「この人数を見て、なにを戯けたことを!」

「頭がいかれているのか、お前は!」

 全く酷い罵倒である。たしかに相手は一十いちじゅう二十にじゅうを折り返し、四十しじゅうを越える大人数。一人の相手としては多すぎる。

 数の利は己達にあると確信していた男達は、一刀斎の態度に顔を真っ赤に染め上げた。

木太刀きだちがあればそちらで相手してやったんだがな。生憎持ち合わせがないから鉄の棒かたなを使う。骨の四、五本は使い物にならなくなるかもしれんが、そのときはおれを怨むなよ」

 しかし激烈の怒りをこともなげに受け流し、一刀斎は腰に差した甕割を抜く。と。

「善左衛門殿、これを片方を預かっていてくれ」

「あ、承知しました」

 背中に担いでいた荷物から、太刀の一つを抜き取って、もう一振りと看板を善左衛門へと投げ渡す。

 甕割はこの二十年、使い続けた愛刀である。刀としてこれ以上のものはないと思っているが、あの数相手、もう一本備えておいて損はない。

 本来は赴いた場所に貢ぐべしと織部に託されたものであるが、刀は武具だ。使ったところで問題なかろう。

 一刀斎は抜き取った正宗の太刀を、簡単に腰帯に差し込んだ。

 そのかん、あまりにも隙だらけ。あまりにもこちらを意に介さない有り様に、男達も怒りで身体が強張って、まるで動けていなかった。

「この……頭に乗りおって!」

「天下一などとかた酔狂すいきょう、ここで終わりにしてくれるわ!!」

 そしてようやく、怒りがやっと堰を切る。男共は刀を抜き放ち、各々構える。

(……なるほど、みな一廉ひとかどではあるようだ)

 刀を抜き放てば、意外にも刃筋は立てられている。表情は怒りで堅く固定されているが、構えに悪いところはない。相応の鍛練を積んできたのが見て取れる。

 思った以上に、くたびれそうである。

 とはいえ時間は掛けられない。まだ府中を出てはいないのだ。騒ぎを国の御上おかみに嗅ぎ付けられては手間である。

 じり、と。足の先をいくつかある纏まりの一つに向ける。

 瞬間。

「オォオオオオオオ!!」

 足を向けた先の集団、その中で一番一刀斎に近かった男が駆けだしてきた。

 同時にあちらこちらに散っていた集団からも、一人二人が走り寄ってくる。

 四方八方を、囲まれる形になるが――――。

シッッッ」

 残り一丈いちじょう、二刀二足の間合いに近付きそれぞれ寄ってきた者共が、一刀斎を囲う新たな集団となりかけたとき。一刀斎もまた動き出した。

 地を蹴る力は鋭く強く。しかし身体は急いて揺らぐこともなく、動く足は迷いなく、一刀斎を男の一人へと滞りなく運び出し、そして。

フッッ!」

 その巨体が、いとも容易く包囲を切り抜けた。

 八人の内四人は、取り囲んでいたはずの相手が眼前から影も無く消えたことで意識に間隙が生まれ、八人の内三人は、振り下ろし、突きち、振り上げた太刀が一刀斎ではなく他の者らの太刀に当たったことで面食らい、そして、八人の内最後の一人は。

「ぐ、うぉ……ッ!」

 間隙が生じるまでもなく、面食らうこともなく、意識自体が消失した。

 仲間が出した苦悶の声に、「何事か」とそちらを見遣る。

 力なく、倒れかけた仲間と、既にこちらに向き直り、太刀を構えた一刀斎の姿をその目に映ったまさにその時。

「ガッ!?」

「ごぅッ!」

「な、っぎぁ!」  

 他にも四つ、小さい絶叫。須臾瞬息たちまち起きた一連のに、端から見ていた者もなにが起きたか分からない。

「なんと見事か……」

 それを見ていた善左衛門は、思わず感嘆の声を上げる。

 なにが起きたかは分からない。だが、一刀斎がだけは分かった。

 単純なことである。足の速さがまばらな中で、己に一番近付いたものを切り抜けて、残る者らを打ち倒しただけなのだ。

 一人の人間に対して、袈裟を、脚斬りを、胴薙ぎを、唐竹割りを瞬時に放ったかのように、八人それぞれ一撃いちげき必倒ひっとうしてみせたのである。

 驚くべきは、そうだと気付いたのは全てが終わったときのこと。動きの予兆は僅かに漏れた呼吸として存在ったものの、それを技の起こりとするには、あまりにも変化が緩やかで、また、急激であった。

 その様な境地に達している者など、善左衛門は一握りも知らず、数えるのに指を折ることさえ手間である。

 天下一の剣術遣い、その称号には、一点の曇りも偽りもない。

「囲え囲え!」

「人数はこちらが上だ!」

「袋叩きにしてやれ!」

 目の前で、瞬く間に仲間八人を打ち倒されたにも関わらず、男達に怯んだ様子はない。またさっきと同じように八方十方に一刀斎の周りに付く。

 ――――悪手だ。

「同じことじゃろうて」

 左衛門入道が、呟いた。

 左衛門入道は目が見えない。だがしかし、男達の呼吸や地を踏み蹴る音、響く雄叫びに太刀風、そしてなにより心の動き。

 に渦巻く全てを読み取り、あらゆるものをあきらかにしている。

 生まれながらの盲目もうもくでないにも関わらず、そのような超抜ちょうばつ技能ぎのうを有する理由は唯一つであるがしかし、左衛門入道は、それを誇ることはない。

 なぜなら、人の心を発するものを悟ると言うことは、その流儀では修めて然るべきものであるからだ。

「オォオオオオオ!」

「デェエエエエイ!!」

 空気をつんざくその声は、よく気勢が乗っている。眼光は鋭く一刀斎を見据えており、剣には意が宿っている。

 剣とは、心を映すものである。剣は心によって、意識や感情と同じく放たれるべきものである。伝書の箇条かじょうに挙げることですらない、ごく基本、それが自然であること。

 剣を見れば、その者がつちかたくわえてきたものが現われている。剣を見れば、いまなにを思っているを察せられる。

 ただ――――。

セイッッ!」

「ぎっっ!?」

 またさっきと同じように、八人一拍子ずつ斬り伏せた。

 ――読みやすい。むしろ、読み聞かせているのではないかと思うほど。

 声に乗る気は、剣に宿る意は、刃より先に一刀斎に到達とうたつしている。意気が充実しているようでいて、四方八方に無駄に発散されている。

 それでは、いくら太刀に思いを宿そうと、振る前にこぼれ落ちてしまうというもの。

 そしてこぼれ落ちてしまうのであれば、その剣に対応するなどたやすいことである。

 ここにいる四十余り。みな技はそれなりに鍛えてきたのだろう。兵法のも当然理解しているのだろう。

 だが、それを行使するための「自力」が足りていない。

 心法が、心髄しんずいに染みついていないのだ。

 流儀を学び、理合を学び、術理を学び、しかし学んだ全ては頭の中ばかりに宿り、理屈としては知っていても、心の中に修めていない。

 だからいくらうまかろうと、巧くできていないのだ。

 ついでに言えば。

「もっと数を増やして囲んで逃げ場を潰せ! 足並み揃えて詰め寄るのだ!」

オオ!」

 十六方、むさ苦しい男達が肩が付きかねないほどに身を寄せ合い、ぐるりと一周、一刀斎を囲む。

 ……理屈を詰め込んだせいで、頭の中にはなにもつまっていないらしい。二度囲んで失敗したのを、人が足らぬせいだと思っている。

 それを補おうと人を増やしたのだろうが、だがしかし。

「ぐ、むう……!」

「邪魔だ、退け……!」

 人が集まりすぎて、にじり寄ることすら出来なくなっていた。

 やはりこの四十余人という数は、一人の相手としてはのだ。

 詰め寄りきって鉄の棒で叩こうとしたとして、向かいにいる相手が邪魔だ。そも詰め寄ろうとも隣のものが邪魔をする。

 一刀斎にとってそれは、数十年前から承知しきったことである。

「…………」

 ジリ、と足を僅かに動かすと、足元にあった小石がカラリと小さく音を立てる。それだけで男達の動きが鈍った。

 心赴くままと言えば心法そのものと言えるだろうが、心に培った理合が反映されていない。

 あるいは、身体を動かすほどの理合が、心に蓄えられていないのか。

「この!」

「ッ!」

 約一名、真正面に立っていた男が一刀斎の視線に焦れたのか、一歩先に動き出す。

 一刀斎はすかさず、今し方足に触れた小石を男の方へと蹴り上げる。飛んだ小石は真っ直ぐ男の顔面へ飛び、文字通り、出鼻を挫かれた男は面食らって目も眉も唇も、全てが鼻へと寄った。

「オ、オオオ!!」

 怯んだ男を押し退けて、両隣にいた男達が一刀斎へと駆け寄ってきた。それを皮切りに、他の男達もなだれ込むように、隣の者共を肘で足で後ろへ押し退けながら迫り来る。

 統率がまるで取れていない動きだがしかし、ある意味で一番厄介で面倒であった。我武者羅に動く輩が一人二人ならまだしも、十人近くいられては刺さる意識がザラザラと肌を撫で上げて、気を張り回すのにも一苦労である。

 だから。

ァッッ!」

 先と同じように、この囲いから、抜け出すが吉である。先んじて参った男二人を纏めて一閃胴を打ち、腰を曲げた片割れを引っつかんで左に投げ捨て、もう一人は蹴り飛ばして押し返す。

 左の集団は飛んできた仲間に足を止め、前の集団は飛ばされた仲間にもろにぶつかり倒れ込む。

 円形えんがたじんもどきは、瞬く間に瓦解がかいした。

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