第二十九話 言葉

 実際に典膳てんぜんの剣を見て、一刀斎は舌を巻いた。

 立ち姿に無理はなく、身体の中心に芯が一本、真っ直ぐ通っている。

 振り上げ、下ろされる剣は規則正しく、等しい間隔で、全く同じところを通っていた。

 少しを気にして集中を欠いているようだが、技は精細で乱れていない。動きが身体へとしかと刻み込まれているのだろう。元服したての十半ばで、よくもそこまで技を身に付けた。内に宿すその才力さいりょくは、一刀斎ですら計れない。

 ――――だが。

(巧いことには、巧いが……)

 巧い。優れた剣捌きだ。素直に目をみはるものがある。

 ただ、「それだけ」だった。

 初めて相見えたときに生じた、こころが武者震いするほどの感覚をまるで越えない。確かにその剣腕は巧みであるが、一刀斎の想像と鑑定を、越えていない。

 その理由は振るわれる剣を見れば疑念も浮かぶこともなく、瞭然りょうぜんとしていた。

 典膳の振る剣には、く力がかよっている。加えて、しかと剣の軌道の意味を理解している。一人打ちであっても、斬り結ぶ相手のことを想定できている。

 だがしかし、剣に力や意が宿っていたとしても。

(心が乗っていない)

 その剣に必殺ひっさつ脅威きょういを感じても、それ以外のなんの感慨も抱けない。

 典膳は身体と技術で剣を振ってはいるものの、こころで、剣を振っていない。

御身おんみの剣は整っているな。巧みな技倆ぎりょうだ」

 それは、心の底から出た称賛の言葉である。見事という他ない技術を、典膳は身に付けている。しかしながら。

「……ありがとうございます」

 一刀斎の言葉を受けて、典膳は目を僅かにしかめる。

 己の「足りず」に気付いているのか。それとも剣を褒められるのが苦手なのか。

 目が歪んだ理由は知らぬが。

「だが巧いだけだ。その若さでそこまで技術を身に付けたのは見事だが、それだけでしかない」

 一刀斎は、その言葉を言わずにはいられなかった。


「線を、なぞっているだけ……?」

「少なくとも、おれにはそう見えた。御身は、まだ己を使い尽くしていない。巧みではあるが、まだ未熟だ」

 それは、一刀斎ほどの剣士から見れば二十は年下の剣士など、未熟に見えても仕方ないだろう。

 そう反論が口を突いて出そうになったが、が身体の奥から喉を通り、言葉を腹の底まで引き戻した。

 一刀斎の評に典膳に対するあなどりはない。己の腕へのおごりもない。

 ただ淡々とただちにつような、先の剣にも似た鋭さと重さと速さとをあわそなえた舌鋒ぜっぽうであった。

「…………未熟と言われたのは、初めてです」

「だろうな。あれほどの技を見て未熟とのたまえる者はよほどの阿呆か、心法しんぽうに重きを置く武芸者ぐらいだろう」

「心法? 心の持ちようですか?」

こちらではそういう意味合いか」

 剣を打つときに思うこと。技を振るときに念じること。武を活用するにあたり、保持すべき思念の形。

 それが心法だと典膳は解釈している。

 だが、一刀斎のいう心法は、それとは大きく異なるものであった。

「御身は剣を、なにで振るっている?」

 そのいに、典膳は即座に答えることが出来なかった。その意味や意図をはかることが出来なかった。

 なにで振るうかなど考えたことなどないし、考えるまでもないことである。

「…………身体では?」

「いや」

 いぶかりながら応えれば、一刀斎は直ぐさま首を振るった。

「御身は剣を振るときに、なにかを考えているか?」

「その技の持つ意味を考えています。相手に対し最も効果がある剣を考えて、振るっています」

 次のいには、すぐに答えることが出来た。典膳が習った剣には、一つ一つ意味がある。使い道がある。用いるべき瞬間がある。その時々を判じ振るうために、しかと頭を使って技を選び振るっている。

 自信を持って答えたものの、一刀斎はただ、「そうか」と、ただ一言呟くだけだった。

「最後に、もう一つだけ訊くが」

 答えに不足はあったかどうか、答え合わせをする気はまるでないようで。やや間があって、一刀斎は典膳の持つ木刀を見ながら訊ねた。

「御身は楽しいことがあって笑うとき、笑おうと思って笑うか?」

「――――はい?」

 最後にと枕に付いた訊いは、深長しんちょうさはなく、だがある意味で理解しがたい奇怪な訊いだった。

 今までのものと違い、剣を振ることとなにも関係ない質問である。意図を掴むことが出来ず、典膳はまともに答えることが出来なかった。

「楽しいと、面白いと、愉快だと、そう感じたとき、そのとき頭は愉快だと思うことはあっても笑顔を作ろうとすることはなく、顔の肉も、努めて動かそうとせずとも勝手にそうなる。顔をほころばせるのは、心だ」

 いったい何が言いたいのだろうと、典膳は一刀斎の言い分がまるで分からない。それでも耳も眼も勝手にそばだち、語られる言葉から、意識を反らす事が出来なかった。

「頭で笑おうと思って顔を動かせば、出来上がるのは作り笑いだ。笑顔というものを、形だけ再現したものに過ぎない。――――典膳、御身の振る剣はそういうものだ。いくら見事であろうとも、形だけ再現つくられたものでしかないんだよ」

 語られながら、振るわれた縦一閃。迷いない剣の軌道。動きに起こりはなく、

やはり見るも鮮やかで、烈しく、なによりも、綺麗な線をえがいていた。

 その線には、「技らしさ」がなかった。技巧を凝らした様子のない、普遍的な唐竹割り。

 技を練り積み上げるのが武芸者であると、典膳は思っていた。

 だが父が天下一と呼んだ武芸者の剣は無為むい自然しぜん天衣てんい無縫むほう。武に対して扱うものではないと思っていた形容が、脳裡に浮かび上がる。

 技巧を感じぬからといって、それが雑だとは決して言えなかった。その剣はどこまでも澄んでいる。あらゆる無理無駄が省かれており、天の極北に輝く星のような、あるいは暗がりに灯るあかりのような、思わず手を伸ばしたくなるあるがまま。

 武術とは外付けられるもの、後付けられるものであるはずなのに、一刀斎が振るう術理理合、その流儀は、一刀斎の存在を構築するものになっている。

 道具を使うとき、「手足のように」という例えがあるが正にその通り。

 剣が、否、剣技さえもが、一刀斎に溶け込んでいた。

 そうだ、これを雑だとは決して言えない。一刀斎は武の極点にある。

 今一度、典膳は木刀を振るう。いつも通りの、整った剣である。だがしかし、それだけでしかない。

 巧みだと判じていた己の技倆が、自惚うぬぼれであったのではないかとさえ思うほど。ただの武芸外付けと己と切り分け、誇りになど思っていなかったはずなのに。

 腹の底からはじの情が沸き上がる。麒麟児と呼ばれ驕りがあったと、言わざるを得ない。

 自分は、剣を、武を、――――あなどっていた。

「線を画くとは」

 気付けば、その言葉を漏らしていた。またもやいずこから滑り出たかも分からない、意識外から放った言葉。

 出そうと思って出した言葉ではないはずなのに、その言葉は、典膳の内をそのまま表わしたものであった。

「線を画くとは、どういうことでしょうか」

 剣について教えを乞うなど、いったいいつからやっていなかったのだろう。まるで初めてのことを成し遂げたときのような、白くまばゆい光がはしった。

 ――――典膳は気付かなかったがしかし、確かにこのときに典膳は、武芸者になった。

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