第二十六話 神童

 その才覚を目の当たりにして、土佐守とさのかみは己を疑った。

 己の血も母親の血も、武に長じているわけではない。

 そんな中産まれた嬰児みどりごは育ち、土佐守の真似をするように剣を取り、そして、光り輝く剣の天稟てんぴんを見せ付けた。成長するにつれ、燃えるような、照りつくような、ぜるような才気を発露はつろしていく。

「この子は無敵の剣士になる」

 そんな確信が、土佐守の中にはあった。だがしかし、世には「親の欲目」という言葉がある。

 幼子がイタズラに描いたミミズにも似た牛の絵を達人の技を宣う父もいれば、枝を振りながら歌われる鼻歌を聴き、音曲おんぎょくの星と感激する母もいる。

 自分も彼等のように、親馬鹿おやばか滑稽こっけいで、微笑ましいことを思っているのではないかという不安もあった。

 だがしかし一年、また一年と年を重ねる度に増してゆくばかりのまばゆさを前にすれば、この認識も間違いでないと断言出来た。

 だからこそ、他の目が欲しかった。

 親の己の目では無く、傑出した剣客に息子の才覚を見て貰いたかった。

 元服を迎え、典膳てんぜん吉明よしあきの名を持って一区切り。剣士としての基礎を覚えきりこれよりなお技を深めていくことになるこの年に、名うての武芸者の目で息子の剣才を見定めて欲しかった。

 そしてそんな折に耳にした、天下一の剣術遣いを名乗る武芸者が、旧友のいる小田原に逗留とうりゅうという噂。

 もしもがあると思い、慣れない文を旧友へと送ってみたが、その結果が、これであった。

 鮫を一頭釣り上げたかのような、多幸感と達成感が一挙にして押し寄せた。

 お陰で港にある魚全てを買いたたかんばかりであった。

 そしてなにより、その末に。

「御身の子息、相当腕が立つと見えるぞ」

 ――――最も聞きたかった言葉が、聞けたのだから。


「御身の子息、相当腕が立つと見えるぞ」

「そう、ですか」

 一刀斎が語った言葉で、土佐守の目がギラリと光った。

 久しく求めていたものをようやく手に入れたかのような、長きに渡る飢えが満たされたかのような、溢れるほどの歓喜の輝きが目にも表情かおにも浮き出ている。

 ここに来て初めて、土佐守の武芸者らしい武を希求してやまぬ側面すがたが現われたようにも思えたが、そこにはどこか、一刀斎の知らぬ感情もの幾分いくぶんか介入していると感じた。

「どうかしたか?」

「いえ、恥ずかしながら手前は、武芸者としては並でして。一方でせがれの剣才は親の欲目を差し引いても尋常ならざると常日頃思っておりました。伊東殿ほどの剣豪にそう言っていただき、一つ安心しました」

 安心、といいよりかはそれ以上の喜楽の感情が溢れ出ているようにも見える。

 それもきっとは、親としての情によるものなのだろう。それは悪いことではない。むしろ微笑ましいものだ。

「並とは言うが、御身は戦働きもするのだろう。共に成すのは器用が故だ」

「とはいえ戦場いくさばでは技を役立たせることもなかなか、せいぜいが待ち受けたときに咄嗟に出せる程度。しかも全てが上手く行くわけで無く、負う傷も多いのが実情です」

「咄嗟が出来るならいい鍛練が出来ている証拠だ。誇っても良いことだろう。現に傷が多かろうと、こうしておれと御身は話している」

「……健全と言えぬ身ではありますが、そう称えられると誇らしくなります」

 一刀斎という男は常に直截ちょくさいであり、木訥ぼくとつと赤心そのままに口にする。故にその賛辞には何一つの偽りも無い。

 背丈高く、身幅は広く、そして眼光はただ鋭く、峻厳しゅんげんとした武芸者ではあるが、その性根に屈託はまるでなく、見た目のような厳烈げんれつさを感じさせない。

 一刀斎から感じさせる気質は、燭台しょくだいに灯る蝋燭火のようである。

 だがしかし、土佐守も一端いっぱしの武芸者である。一刀斎も認めた、息子の素質を見抜く眼力がんりきもある。

 土佐守のその目が、一刀斎がただ穏やかなだけの火と見做みなさなかった。

 炎の宿るその真っ芯、火を揺らすことなく支える中心が、ただならぬ熱を抱いている。

 一刀斎の穏やかさの内側には、圧倒的な武威ちからがある。

 そしてそれが発露するのはきっと、限られた瞬間のみなのだろう。

 土佐守のように、戦場に出るわけではない。戦働きで武勇ぶゆうを上げて、手柄を取りたいわけでもない。

 そんな一刀斎は、己のためだけに武を振るう。本当に、羨ましい存在だと土佐守は心で唸る。

 そして同時に思うのだ。「やはり、この人ならば」と。土佐守の抱くもう一つの悩みを、解消してくれるのではないかと。

「――伊東殿、不躾ながら」

「失礼いたします」

 土佐守が何かを言い掛けると同時に、襖が開いた。そこにいたのは今し方話の種であった神子上みこがみ典膳てんぜん吉明よしあきである。

 一刀斎に飲み物を持ってきたときと全く同じ姿、立ち振る舞いであり、目の前の文机、もとい膳がなければ時でも戻ったかと疑うほどである。

「おお、典膳お前も来たか。いまちょうど、伊東殿とお前の話をしていてな」

「そうでしたか、邪魔をしてしまったなら、申し訳ありません。伊東様、風呂の準備も進めさせております。お食事が済み次第、どうぞお入りください」

「それはありがたいな」

 どうやら典膳は屋敷の主の息子として、小姓や若い奉公人たちを纏めているらしかった。これも一角ひとかどの武門として、人の上に立つ鍛練のようなものなのかもしれない。

「風呂か……しかし典膳、食った後すぐに風呂というのは身体によくないとも言う。一休みいただくか腹ごなしに動いて貰うのがいいだろう。……ああ、そうだ」

 そこまで言って土佐守は、「ちょうど良い」と手を叩く。

「伊東殿にお前の剣の腕を見ていただこう」

「ほう」

 土佐守の提案に、一刀斎の視線が動く。先ほど土佐守が言い掛けたのは、きっとこのことなのだろう。

 土佐守は典膳の剣腕を誇っているし、一刀斎も典膳の素質を評価した。今度は実際、腕を見て欲しい親心が働いたのだろう。

 一刀斎としても、期待で手に汗を握ったもの。一目見て分かるほどの才を有する典膳の技を、その目でしかと見てみたいと思う。

 ――――だが。

「…………父上、伊東様は御客人、文を届けに来ただけなのですから、そのようなお願いをするのはご迷惑でしょう。伊東様、申し訳ございません。父はどうも、武を好い過ぎているところがあります」

 当の本人が、乗り気で無かった。典膳は目を伏せて、呆れた様子で首を振る。「随分と理知的な子だ」と思いかけた一刀斎だが、ふと気付く。

 一刀斎をえらく買っている土佐守の子だ。これほどの熱を日々受けているのは間違いないだろう。

 しかし、「一刀斎に剣を見せる」と聞いたのにもかかわらず、その目は極めて平静であり、熱が生じた様子もなかった。

 努めて落ち着こうとしたわけではない。こころが揺れ動いたとも感じなかった。

 少なくとも自分は、自分の知る武芸者は、未だ見ぬ強者と相対すること、その技を見ること、その者に剣の腕を見せること、それらに思いが迸る。

 なのにこの不動ぶり、このような剣士を見たのは一度も――――――

(いや)

 一つだけ、心当たりがあった。それは遠い過去、遥か昔。目の前にいる典膳と、年が大して変わらなかったころに出会った相手。

 よもや、神子上典膳は、あれほどの才を持ちながら――――。

「お前は典膳と言ったか」

「、はい」

 一呼吸、聞き取れぬほどの間があって、典膳は返事をする。折目正しく、背筋を伸ばし、その目は真っ直ぐと一刀斎を見据えている。

 だがそこに、「礼儀」はあっても「情動」はなかった。「人と話すときは目を見据えよ」という、正しいと言われることをなぞるだけで、実感と意志を宿してない。

 ああ、やはりそうだ、この神童しんどうは、間違いなく。

「典膳、お前は、剣を好いてはおらんのだな」

 一刀斎のそのいを、典膳はただ受けた。その訊いに反感の情を生じさせることも、狼狽し手指が細かく動くこともなく、本当に受けたかも分からぬほどの素振りで。

「はい」

 一言短く、答えるのみだった。

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