第十九話 日輪を焦がす

 炎が、燃えている。

 ただ真っ直ぐと、燃えている。

 右や左に揺れることなく、上へ上へと燃えている。

 ただその炎は不動ふどうではなく。

 一際ひときわ白く輝く炎心えんしんが、前へと動けばそれに従い、垂れるようにかしげば垂れた方へと火の手を伸ばす。

 身体の内に燃える炎は刀を掴み、肉のように身を動かす。

 身体は消えた。思考は失せた。意識は溶けた。

 なのに今まで以上によりよく動く。今まで以上に頭が澄む。今まで以上に、周囲を認識出来ている。

 自分がこの世に存在ることを、この上なく実感している。こころの芯のその奥底、常にそこにありながら、認識出来ずにいる火種ひだね

 日頃つちかってきた全てが初めに集約しゅうやくされ、最後に終熄しゅうそくしてなお残り続ける場所。

 おのれおのれたらしめるが、は十全じゅうぜんよりも遥かに強く、大きく、一刀斎を動かしていた。

ェェェェェェェェ!!」

 照りつける真夏の陽射しが、まるで二重にじゅうになったような伝鬼房てんりゅう薙刀なぎなた

 読み難かった陽炎の如く変幻へんげん自在じざいのその軌道きどうが見える。日の光にも似た速度の突きが緩やかに見える。呼吸が、足運びが、感じ取れる。

 ならばいつも通り。

 炎があおる風を受け流すように、触れたものを焼くように。

 一刀斎いっとうりゅうの術理理合を、築いた信念しんねん流儀りゅうぎを、発揮はっきし己を尽くすとき。

「フッッッ……!」

 呼気と同時に、身体の内の炎が動き、木太刀をさらりと動かした。

 揺れた炎が振るったその太刀は極めて堅固けんご。大きく放たれ、穂先に勢いが存分に乗った薙刀の一撃さえも受けきってみせる。

 そして。

「ハァッ!」

「ぐ、ぅぅっ!?」

 間一髪、木太刀の鋒が顎に触れかけるところで躱した。

 気を吐いたときには既に、受けは攻めに転じている。いや、転じるどころではない。伝鬼房の感覚では、薙刀を止められたと思った次の瞬間には刀身が迫ってきていた。

 攻防こうぼう一体いったいではなく攻防こうぼう一致いっち懸待けんたいの切り替わりも合わせて消え、ともに無拍子、心中発声もなく読むことも叶わない。

 それでも伝鬼房が一刀斎の斬撃を避けることが出来たのは、「周到な勘」である。

 もはやあの極点に立つ一刀斎の動きは想像するだけでも困難であり、常になにかが起きるのは確かである。

なにが起きるかは分からないが、なにかは必ず起きるはず。その確信を胸に留めておいたが故に、一刀斎の振りに際の際で対応することが出来たのだ。

 しかし、例えそうだろうとも。

「シッ」

 もはや一刀斎は止らない。読まれたならばその上をゆけば良いとでも言うように、攻防一致の木太刀を振るっている。

 速く、鋭く。この二十年近く、一刀斎が魂の底へと積み上げてきた基礎の基礎。

 それが今、自然に繰り出されている。いま一刀斎を動かしているのはこころの炎。その中へとべられた、鍛え上げてきた武が振るわれている。

 決着に向かって気力を振り絞り、死力を尽くす二人の姿を見ていた勘解由左衛門かげゆざえもんは、あることに気付いた。

 長きに渡り、己一人で、あるいは達人と、または有象無象の奴儕やつばらと、多種たしゅ多様たようの敵と相対し鍛練を続けてきた一刀斎の流儀の手数てかず膨大ぼうだい。日々記録付けても、底も見えぬし全ても見えぬ。

 だが、間違いない。この目で見ている物に誤りはない。

 伝鬼房の振るう技に対して一刀斎は、同じ技を使っていない。まるで一つ一つを使い捨てるかのように、一つ一つを削ぎ落とすかのように、次々と勢法せいほうを変えている。

 それはあまりにも不器用で、四肢を用いて駆け抜けるようなもの。指の爪で大地を抉り、身に飛ぶ泥さえ身に浴びて、燃えるけだものは原初の火種へと駆け抜ける。

 そして一刀斎にとっての、原初の火種。それは大上段の切り落としか、あるいはそれよりも、後に身に付けた物か――――。

雄々オオォォォォオオオオオ!」

 伝鬼房は薙刀を真正面に構えて吼え猛る。相対する一刀斎は、木刀を脇、隠剣おんけんに構えていた。

 日の光に煌めく木薙刀が、一刀斎へと迫り来る。先手を取ったのは、伝鬼房――――。

ォ……」

「ハァッ!」

 ――――振るよりも、より早く敵を打つはずの突きの技。それが、見事に撃ち落とされていた。

 しかし驚く暇などそこにはない。伝鬼房の視界から、一刀斎の姿が消える。

 よほどの図体が途端に消えることなどないと視線を走らせれば刹那の後には目に付いた。

 眼下がんか膝元ひざもとに、折り敷いている。

 そう気付いた瞬間ときには既に、伝鬼房は薙刀を突き下ろした。

 心中発声のない、ごく自然の一撃。それは奇しくも剣体けんたい一致いっち剛撃ごうげきだった。

 だが炎と化した一刀斎は、立ち上がりながらその撃ちを払い除けて、肩口へと斬り掛かる。

「ッシッ!」

 とはいえ伝鬼房のその一撃、容易く防ぎ切れるものではなく。振りが遅れたその隙を逃さず伝鬼房は後ろへ身体を滑らせた。

 それでも諸肌脱いで晒された胸には、火傷のような擦過傷さっかしょうが一筋走っている。

 もし威力ちからが少しでも足りず後ろへ引くのが遅れようものならば、一刀斎は鎖骨か肩骨かを砕いていたやもしれない。だが目の奥に映る火は、まるで乱れた様子もない。

 一方

(今のは……!)

 時にして十秒とないその二合にあいを見届けた勘解由左衛門が、沈着な二人と違って目を見開いた。

 勘解由左衛門はそのかつての姿は知らないが、一刀斎はそれらを、自らの形へと昇華していたという。たった一度だけ見たその技を、勘解由左衛門は忘れず文字へと起こした。

 対薙刀故に違いこそあるが間違いないと断言できる。相手がいま一刀斎が行ったのは、長きに渡る剣術修行で改めた、五つの技、極意五点の初めの二つ。

 妙剣みょうけん絶妙剣ぜつみょうけんの二種であった。

 そうと気付くと勘解由左衛門は、全ての神経をまなこへと集中する。

 稽古ではない、活きた一刀流を目の当たりにしているのだから。

ァアアアアアッ!」

 吐き出された気魄は灼熱を帯びた烈風となり、踏みしめられた草葉が吹き飛ぶのではと思うほど。

 木薙刀の穂先がぐるりと回る。それは火輪かりんかたどるような弧を描く振り下ろし。空気を裂く音は木をあぶる音にも似て、それが帯びる熱量を感じさせた。

 本物の薙刀であれば、一刀斎の頑健な体躯たいくであろうとも真っ二つに分けるだろうその一撃。

 瞳を燃やす一刀斎は、半歩後ろにズレる。共に剣を持ち上げれば、伝鬼房の薙刀をげる。

 天へ手を伸ばす大きな火が空気を歪めて見せるように、日輪の像すら斬り裂いて火輪の縁に歪みが生じた。――一刀流、真剣しんけん

 そして成立する窮極のかたちせめくことに特化しきった、「火」の字をその身でかたどかたち。火の構え、大上段。振える軌道は唯一ゆいいつ唐竹からたけりだけの構え。

 相対した瞬間、伝鬼房の全身が粟立った。これから繰り出されるそれは、市井しせいの上段斬りとは較べることなど出来ない。まるで大火山だいかざん鳴動めいどうし、火を噴く直前であるかのような。

 巨躯きょくを誇る一刀斎の姿がそれ以上に、数段すうだん巨大きょだいに見える。

 脳裡が、精神が、四肢が、寸分の狂いもなく同時に告げた。退

「クッ……、ッ!!!」

 薙刀の先を一刀斎の額へ付けながら退いた。その歩法ほほうに澱みはなく、逃げではなくまちのための足運びであることは容易く理解出来た。

 だがしかし一刀斎は、木太刀の刃圏はけんから抜け出そうとする伝鬼房を追い掛けるように、歩みを進め、そして。

ァァァァァアアアアアアアアア!!」

 大火が、噴き出した。

 打ち下ろされた木太刀の速さは目にも映らず、胴体を通る髄が揺れたことで振り下ろされたのだと初めて理解出来た。

 燃える太刀が打ち付けたのは、前に突き出されていた木薙刀。「そこは邪魔だ」と言わんばかりに、「貴様は退け」と吐き捨てるように。「ただの獲物」だと、猛禽もうきんが鎌首もたげる大蛇に蹴りを見舞うように。

 一刀斎が剣を覚える前からひたすらに続けてきた振り下ろし、剣を覚えて後、師より授けられた絶剣ぜっけん、金翅鳥王剣。

(しくじったッッ!!)

 端整たんせいな顔に歪みが出る。己への呆れか武の究竟くっきょうを垣間見た歓喜か、しかし諦めや恐れではなく口の端が吊り上がる。

 相手が渾身を放つというのであれば、己も渾身を繰り出すべきであったと剥いた奥歯を噛み締める。

 眼前の一刀斎は木太刀を担ぐように振りかぶり、なお半身になって隠剣おんけんとなるまで構えを下げる。

 それはまるで、弓を引き絞るかのような動きであり――――。

(ならばよ!)

 一刀斎の渾身は未だ続いている。ならば次こそは、己も渾身を込めようと、震える腕を心で押さえ込み、薙刀をしかと握りしめる。

 後にも先にも、残りは撃てて一撃だ。天下一の剣豪を前に、「引いて終わった」など勿体なくて死ぬまで悔いる。

 だからこそ、最後は一撃を放つのみ!

ォオオオオオオオ!!!」

ァアアアアアア!!!」

 吼え猛るのは二人の武芸者。

 武の究竟くっきょうに至った、天下てんか唯一ゆいいつを有する二人。

 燃える炎と、照る日輪は相対し、二人の戦いは、決着を迎える――――。

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