第六話 相身互いの師弟

 雨がしたたかに瓦を打つ。屋根裏の空洞くうどうでより響き、固い土間で反響する。

 梅雨つゆ以来の雨であるから、余計に音が大きく聞こえた。

ィッ!」

 鋭い気魄きはくが雨音を裂いた。

 繰り出された木槍もくそうは穂先を揺らして相手の喉元に迫るが、迎え撃つ木太刀きだちはびくともせず、突き出された槍は大きく反れた。

 そして木太刀の切っ先は、逆に真っ直ぐ額に付いている。

 一つの組が、これで終わった。

「ありがとうございました、一刀斎殿」

「こちらこそだ」

 を下げた勘解由左衛門かげゆざえもんが、を引いた一刀斎いっとうさいに礼をする。

 今二人は、仕手を勘解由左衛門、打手を一刀斎として、この古藤田邸の稽古場で鍛練を行っていた。

「それにしてもひとがち……理合自体は明快ながら、その深さが計り知れない。まるで手を伸ばしても届かない天日てんじつのようですな」

「槍相手に使う技ではないがな。槍相手なら他の技を使った方が良い」

 一つ勝。一刀斎が最初に体得たいとくし、自ら名付けた中段の切り落としである。というのならば、己も第一はじめに得たそれを伝えるのが道理だろう。

 して一刀斎がその技を、本来槍に使う技ではないといいながら仕手として槍を使ったのには、理由があった。

「では、今度は勘解由左衛門殿が」

「ええ、打手をやらせて戴きます。まず第一に、昨日最後に見せた香取の槍から――――」

 一刀斎は勘解由左衛門に、

 

 話は三日前にさかのぼる。

 夏の熱気さえ吹き飛ばす熾烈な覇気がぶつかりあった、伊東一刀斎と古藤田勘解由左衛門の仕合の後。

 よく冷えた茶を飲んだ一刀斎に、勘解由左衛門は頭を下げた。

「弟子にして欲しい、と?」

「一刀斎殿の剣腕けんわん、見事と言う他ありません。その剣技、術理、理合い、気組み、どれを取っても天下一の通名に相応しく。この古藤田勘解由左衛門俊直、その技に感服かんぷくいたしました」

「だからおれの技を?」

 その一刀斎のいに、勘解由左衛門はうなずいた。

「私は武芸者としてより高みを目指したいのです。その為に、あなたの技を知り学びたい。あなたの技を知れば私は、武芸者としてより高みに行ける。そう確信しました」

 その瞳に宿るのは澄み渡った誠心せいしん。そして、武芸者としての貪欲な熱である。

 一刀斎に対する敬意に偽りがない。だがしかし、へりくだっているわけでもない。

 勘解由左衛門はあくまでも、武芸者としての己を、ひたすら押し上げようと想っているのだ。

 その為に、一刀斎の技を得ようとしている。

「弟子にと言うが、御身とおれの年は大差ないように思うが」

「私がもし一刀斎殿より年上であろうとも、弟子になりましょう。年嵩の者でなくては師にしなくてはいけないという決まりはありません」

 さすが武士に仕える武芸者である。その言葉は理知に富み、整然せいぜんとしている。武を見る目では武以外を見ず、ひたすらに、武に対し強い熱情を抱いているのが理解出来た。

 しかし一刀斎は今まで弟子を取ったことがない。

 弟子にしてほしいと言われたこともあるが、あまり他人に教えようという気が起きてこなかった。

 だがこの熱を拒むのは、同じ武芸者としていささか気が引ける。

 とはいえ、勘解由左衛門の腕は一刀斎も体感した。その技は一刀斎としても敬意を抱くものであった。そういう存在を弟子にする。ということに少なからず違和感があるのも確かだ。

 ……ならば。

「……うむ、承知した。勘解由左衛門殿、その申し出を受けよう」

「! では!」

「ただし条件がある」

 顔を上げた勘解由左衛門に、一刀斎は待ったを掛けた。

 条件、その一言で勘解由左衛門は、水も飲んでもいないのに喉を鳴らした。

「と、いうと?」

「おれが剣の技を教える。その代わり、御身の香取鹿島の槍の技をおれにも教えて欲しい」

 一刀斎が持ち出した条件を訊いて、勘解由左衛門は目を丸くした。

 師として剣技を教える。その代わり、槍を教えろと。それは要するに。

「つまり私に弟子でありながら、師になれと?」

「そういうことになるな。なんせ、おれは今まで誰かを弟子に取ったことがない。師というのがどう言うものかは分かっているつもりだが、正直自分がなるというのもよく分からん。だから、槍を教えて貰いつつ師の手本にしようと思ってな」

 そんな話は古今ここんにおいてまるで聞いたことがない。

 師が術理理合を教え、交流することで新しく発見をすることもあり、「弟子から学ぶ」ということもある。

 だが一刀斎が言っているのそういう話ではなく、弟子にして欲しいと頼む勘解由左衛門に、技の師になれと、文字通り「弟子ししょうに学ぶ」ということだ。

 その上、人に剣を教えたことがないから、どう教えて良いのか分からないから、その手本になってくれとまで言っている。

 それでは、師匠としての面子めんつも立たないではないか。

「有り得んか?」

「え、ええ、聞いたことがなく……」

「ああ、おれもない。だがまあ、構わんだろう。師弟に年の決まりがないのなら、互いに師弟になってはならない決まりもあろう」

 一刀斎は、勘解由左衛門の困惑など意にも介さず、堂々胸を張り独自の考えを滔々と披露する。

 一刀斎にとって、「誰かが」など興味が無いのだ。一刀斎はあくまで、己の心のまま、自由じゆう自在じざいに生きている。

 悠々ゆうゆうと、思うがままに生きている。

 勘解由左衛門には、それが心地良く思えた。

 一刀斎の――――これから師と仰ぐ男の、気質が。

「……承知致しました」

 勘解由左衛門は、今一度背筋を伸ばして一刀斎をしかと見る。

 その佇まいは、先ほど一刀斎に弟子入りを志願したときよりもよりかしこまって見えた。

不肖ふしょうの身ではありますが、私は一刀斎殿に、我が槍についてお教え致します。ですのでどうか、この私を、一刀斎殿の弟子にして戴きたく」

「そういうことならば、おれからもよろしく頼みたい。天下に名高い香取鹿島の槍と、東国覇者の兵卒へいそつたちを鍛えるその知恵、しっかりと学び取らせて貰おう」


 かくして、一刀斎は勘解由左衛門に己の業を教え、勘解由左衛門から、槍の業を教わっている。

 勘解由左衛門も当初はどう振る舞えばよいか分かっていなかったが、どちらの立場でも真摯しんしで変わることない一刀斎の姿勢に、自然と「あくまで弟子として接する」と決めた。

「しかし槍は良い鍛練になるな。急所を狙いすまして一点を突き刺すから、狙いを付ける感覚を得るには持って来いだ」

「やはり一刀斎殿にとっては槍の鍛練も刀の鍛練となりますか。あなたらしい」

「ああ、元よりのために学ぼうと思ったのだからな。やはり勘解由左衛門殿に頼んで良かったと思う」

 一刀斎の振るう槍は、剣術のクセが抜けきれていない。この数日である程度様になったものの、どこか刀を扱うように槍を使う。

 二十年近く剣を振っているのに対して槍を扱い始めたのは三日なのだから、それも当然の話ではある。

 だが一刀斎の頭の片隅には常に剣がある。槍を振る間でさえ、刀について考えていた。鍛練の間腰から甕割を外していても、そちらに気が向いてしまっている。

 本当に剣のことばかりを考える師匠だと、勘解由左衛門は内心苦笑しつつ溜め息を吐いた。

「そういえば一刀斎殿、今まで聞いていなかったのですが……あなたの剣、流名りゅうめいはなんというのでしょうか?」

流名りゅうめい?」

 それは、印牧かねまき自斎じさいにとっての富田流や印牧流、柳生新左衛門にとっての新陰流。そして古藤田勘解由左衛門にとっての新当流。

 己が扱う術理理合の体系に付けられた名前である。

 一刀斎の根源は富田流、あるいは印牧流だが、しかし師より「既に流派の業から離れている」と認められていることもあり、そう名乗るわけにはいかないだろう。

 しかし言われてみれば今の今まで、己の術理理合の名について、考えたことがなかった。

 はて何かあったかと、一刀斎は脳裡を探る。

「…………そういえば遥か昔に、外他とだりゅうと名乗ったことはあったが、それを使ったのも数度きりでな。今思い出すまで忘れていた」

外他とだりゅう……そういえば一刀斎殿はかつて外他一刀斎と名乗っていたそうで」

「ああ、おれの師も己の名字から流名を名乗っていたようだからな、おれも適当にそれにならった」

 外他流の名を使ったのは、もしかすると尾張おわり熱田あつた以来か。

 もう己は外他とだを名乗っていないのだから、その流名も正しくないだろう。とはいえ改めて伊東流と名付けようとも思わない。

「とかく、流名はあまり考えたことがなかったな。おれの剣はおれの剣だと思ってきたからな」

「ははあ、なるほど……ならば伝書もないのも肯けます」

 勘解由左衛門の言うとおり、一刀斎は己の業について紙に纏めたことがない。全てこころの赴くまま振るい、その中でしっくり来たものや、使えると思った者は全て身体で覚えているからだ。

 そもそも弟子を取ろうと考えたことがないのだから、纏めようという考えに至ったこともない。

 勘解由左衛門は神妙な面持ちで、思案げに雨が打ち付ける屋根を見上げた。

「……どうかしたのか?」

「いえ、なんでもありません。では、次は剣の稽古をお願い致します」

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