第六話 相身互いの師弟
雨が
「
鋭い
繰り出された
そして木太刀の切っ先は、逆に真っ直ぐ額に付いている。
一つの組が、これで終わった。
「ありがとうございました、一刀斎殿」
「こちらこそだ」
木太刀を下げた
今二人は、仕手を勘解由左衛門、打手を一刀斎として、この古藤田邸の稽古場で鍛練を行っていた。
「それにしても
「槍相手に使う技ではないがな。槍相手なら他の技を使った方が良い」
一つ勝。一刀斎が最初に
して一刀斎がその技を、本来槍に使う技ではないといいながら仕手として槍を使ったのには、理由があった。
「では、今度は勘解由左衛門殿が」
「ええ、打手をやらせて戴きます。まず第一に、昨日最後に見せた香取の槍から――――」
一刀斎は勘解由左衛門に、槍の技を教わっているのだ。
話は三日前に
夏の熱気さえ吹き飛ばす熾烈な覇気がぶつかりあった、伊東一刀斎と古藤田勘解由左衛門の仕合の後。
よく冷えた茶を飲んだ一刀斎に、勘解由左衛門は頭を下げた。
「弟子にして欲しい、と?」
「一刀斎殿の
「だからおれの技を?」
その一刀斎の
「私は武芸者としてより高みを目指したいのです。その為に、あなたの技を知り学びたい。あなたの技を知れば私は、武芸者としてより高みに行ける。そう確信しました」
その瞳に宿るのは澄み渡った
一刀斎に対する敬意に偽りがない。だがしかし、
勘解由左衛門はあくまでも、武芸者としての己を、ひたすら押し上げようと想っているのだ。
その為に、一刀斎の技を得ようとしている。
「弟子にと言うが、御身とおれの年は大差ないように思うが」
「私がもし一刀斎殿より年上であろうとも、弟子になりましょう。年嵩の者でなくては師にしなくてはいけないという決まりはありません」
さすが武士に仕える武芸者である。その言葉は理知に富み、
しかし一刀斎は今まで弟子を取ったことがない。
弟子にしてほしいと言われたこともあるが、あまり他人に教えようという気が起きてこなかった。
だがこの熱を拒むのは、同じ武芸者としていささか気が引ける。
とはいえ、勘解由左衛門の腕は一刀斎も体感した。その技は一刀斎としても敬意を抱くものであった。そういう存在を弟子にする。ということに少なからず違和感があるのも確かだ。
……ならば。
「……うむ、承知した。勘解由左衛門殿、その申し出を受けよう」
「! では!」
「ただし条件がある」
顔を上げた勘解由左衛門に、一刀斎は待ったを掛けた。
条件、その一言で勘解由左衛門は、水も飲んでもいないのに喉を鳴らした。
「と、いうと?」
「おれが剣の技を教える。その代わり、御身の香取鹿島の槍の技をおれにも教えて欲しい」
一刀斎が持ち出した条件を訊いて、勘解由左衛門は目を丸くした。
師として剣技を教える。その代わり、槍を教えろと。それは要するに。
「つまり私に弟子でありながら、師になれと?」
「そういうことになるな。なんせ、おれは今まで誰かを弟子に取ったことがない。師というのがどう言うものかは分かっているつもりだが、正直自分がなるというのもよく分からん。だから、槍を教えて貰いつつ師の手本にしようと思ってな」
そんな話は
師が術理理合を教え、交流することで新しく発見をすることもあり、「弟子から学ぶ」ということもある。
だが一刀斎が言っているのそういう話ではなく、弟子にして欲しいと頼む勘解由左衛門に、技の師になれと、文字通り「
その上、人に剣を教えたことがないから、どう教えて良いのか分からないから、その手本になってくれとまで言っている。
それでは、師匠としての
「有り得んか?」
「え、ええ、聞いたことがなく……」
「ああ、おれもない。だがまあ、構わんだろう。師弟に年の決まりがないのなら、互いに師弟になってはならない決まりもあろう」
一刀斎は、勘解由左衛門の困惑など意にも介さず、堂々胸を張り独自の考えを滔々と披露する。
一刀斎にとって、「誰かが」など興味が無いのだ。一刀斎はあくまで、己の心のまま、
勘解由左衛門には、それが心地良く思えた。
一刀斎の――――これから師と仰ぐ男の、気質が。
「……承知致しました」
勘解由左衛門は、今一度背筋を伸ばして一刀斎をしかと見る。
その佇まいは、先ほど一刀斎に弟子入りを志願したときよりもより
「
「そういうことならば、おれからもよろしく頼みたい。天下に名高い香取鹿島の槍と、東国覇者の
かくして、一刀斎は勘解由左衛門に己の業を教え、勘解由左衛門から、槍の業を教わっている。
勘解由左衛門も当初はどう振る舞えばよいか分かっていなかったが、どちらの立場でも
「しかし槍は良い鍛練になるな。急所を狙いすまして一点を突き刺すから、狙いを付ける感覚を得るには持って来いだ」
「やはり一刀斎殿にとっては槍の鍛練も刀の鍛練となりますか。あなたらしい」
「ああ、元より
一刀斎の振るう槍は、剣術のクセが抜けきれていない。この数日である程度様になったものの、どこか刀を扱うように槍を使う。
二十年近く剣を振っているのに対して槍を扱い始めたのは三日なのだから、それも当然の話ではある。
だが一刀斎の頭の片隅には常に剣がある。槍を振る間でさえ、刀について考えていた。鍛練の間腰から甕割を外していても、そちらに気が向いてしまっている。
本当に剣のことばかりを考える師匠だと、勘解由左衛門は内心苦笑しつつ溜め息を吐いた。
「そういえば一刀斎殿、今まで聞いていなかったのですが……あなたの剣、
「
それは、
己が扱う術理理合の体系に付けられた名前である。
一刀斎の根源は富田流、あるいは印牧流だが、しかし師より「既に流派の業から離れている」と認められていることもあり、そう名乗るわけにはいかないだろう。
しかし言われてみれば今の今まで、己の術理理合の名について、考えたことがなかった。
はて何かあったかと、一刀斎は脳裡を探る。
「…………そういえば遥か昔に、
「
「ああ、おれの師も己の名字から流名を名乗っていたようだからな、おれも適当にそれに
外他流の名を使ったのは、もしかすると
もう己は
「とかく、流名はあまり考えたことがなかったな。おれの剣はおれの剣だと思ってきたからな」
「ははあ、なるほど……ならば伝書もないのも肯けます」
勘解由左衛門の言うとおり、一刀斎は己の業について紙に纏めたことがない。全て
そもそも弟子を取ろうと考えたことがないのだから、纏めようという考えに至ったこともない。
勘解由左衛門は神妙な面持ちで、思案げに雨が打ち付ける屋根を見上げた。
「……どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません。では、次は剣の稽古をお願い致します」
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