幕外 六

「ガアァアアアアアアアア!」

「黙れ」

「っ」

 また一つ、首が飛んだ。 

 断末魔の叫びすら、上げることが叶わない。

 振るえば骨も臓腑も、肉も腱も、叩き砕きそうな大太刀を振りながら、その切り口に乱れは一つも無く、斬って捨てられた者に、痛みがあったかさえ不明。

 痛みもなく、苦しみもなく、それ故静かに死んでゆく。

 強力すぎる殺意は時として、逃れる事が出来ない。

 それどころかその足は、殺意の主へと引き寄せられてしまう。

 殺意に当てられ気が狂い、一人また一人と助右衛門すけえもんに斬られに門を潜る。

 都合七人の死体が、助右衛門の足元に転がっていた。

「なんと……いう……!」

 恐れが、心を大きく揺らす。いや、男共の心は初めから揺れきっていた。

 孫次郎に逆らうことが出来なかった時点で、己の足を、己の意志で進めなかった時点で、その心は水に浮くだけの枯葉かれはである。火に飲まれるだけの風である。

 今逃げたところで、助右衛門はきっと己等を殺しに追う。孫次郎とて己等を許すとは思えない。

 いったいどこで間違えた、自分はどこで間違えたと、男達は奥歯をガタガタ揺らす。

 そんな男達の姿を見て、助右衛門の目は次第に虚になっていく。

 性根が卑しく粗末な意気地いくじで、よくも我が子を殺したなと、いずれ自分を越えるだろう子達を殺したなと、最初は怒りさえ抱いていた。

 だが一人、また一人、切り捨てる度に刀が重くなる。意志が鈍くなる。

(俺はいったい、なにをしているのだ)

 なぜ刀を振るい、人を殺さねばならないのか。なぜ他人を殺すために、武を使わねばならないのか。

 助右衛門にとって武とは己に向けるものである。

 それが他者へと向かっている。己の武技で人が死ぬ。以前の戦で感じた空疎くうそが、大きな穴となって助右衛門を支配する。

 相対するならば、強力な相手がよかった。己の持ちうる全部でこちらを殺そうとする輩がよかった。

 なのにこの男共は、まるで芯がない。刀を振るうだけで感じていた歓喜がそのまま、寂寥せきりょうに置き換わっている。

「フッ!」

 それでもなお、助右衛門の刃に乱れはない。感情も、意志も、剣を振るう心に一切影響を与えていない。

 いま引き寄せられた男もまた、一刀の元切り捨てられた。

 これで半数は片付いたと、助右衛門は門を睨む。

「は、あ、ひ、ひぃいい!!」

「殺せぬ、剣などで、あれは殺せぬっ!!」

 ようやく、逃げる脳が働いたらしい。やっと、この場から逃げる者が現れた。

 そのまま逃げろ、全員消えろ。頼むから、いなくなってくれ。でなければ。

(剣を振ることが、むなしくなる)

「…………」

「――――」

 共謀するように小声で語り合い、一緒に脱する者まで現われる。

 一人、一人、また一人、消えていく。

 そうして残った、ただ一人。

「…………お前は逃げてくれないのか」

「……これでも、武士の端くれ、朝倉への忠義は、ある」

「震えているぞ」

 声も身体もその心も。

 こがらしに吹かれる枝葉の方が、よほど静かで大人しい。散って舞うほど軽い言葉ちゅうぎだと、鼻を鳴らして呼吸を整える。

「その言葉が本当なら、来い。来て見せろ」

 助右衛門は、手に持つ野太刀を高く掲げる。

 大上段、天を摩する火の位。その身でき上がる炎をかたどるような構え。

 重い長太刀を掲げるという、不安定であろう形。

 それでも助右衛門の肉体に力みはなく、ごく自然。無理も無駄も一切なく、かといって力が抜けているわけでもなく。

 正に万全ばんぜん心技体力しんぎたいりょく、全てが澄んでいる。

 あれだ、と、男の足は自然と引いた。男の顎が踊り出し、上と下の歯を幾度と叩く。

 この寒天かんてんの元身体が冷えたわけではない。

 むしろ灼熱。灼熱の業炎。助右衛門から放たれる気の圧は、全身をあぶる炎の熱波ねっぱ

 富田流の秘奥、極意五点の一つにも似たものはある。しかし前六つも修めきらずにいた男は、その事を知らない。

 知っているのは唯一つ、 あの、大上段からの打ち下ろし。それが印牧助右衛門の必殺剣だということ。

 踏み入れれば、己は死ぬ。

 確信した男は、忠義があると吼えながらもそこから微動だにしない。そのまま気が折れ、崩れるだろう。

 だが助右衛門は、構えも気の圧も一切崩さない。

 をするときは常に無心。先ほどまで感じていたびは既に削ぎ落とされた。

 助右衛門の内にあるのは既に、「断」という一念のみ。断を成すという事以外、全てを削ぎ落としてそこにいる。

 進めば終わる、進まずとも終わる。

 この騒ぎは、これにて終わる。――――だが。

「――――――やれぇい!!」

 先ほど忠義をうそぶいた口が、大きく開かれ怒号が飛ぶ。

 それが気合の発声であれば、助右衛門は受けて立った。しかしその言葉は、己への発破などではなく、誰かに対する指図であり――――。

「…………むっ!?」

 つるが、乾いた空気を弾く音。

 助右衛門が咄嗟に顔を上げれば、碧い空に橙色の玉がいくつも飛んでいた。

 ――――――火矢!

「まさか、貴様ら!」

「はは、ははははは! 終わりだ! これで印牧のは、お仕舞いだぁ!!」

 先ほどの小声、などではなかった。しかとはかりごとくわだてていたのだ。

 この用意の良さ、弓は既に用意されていたものだろう。

 だがしかし、感心している間などない。

 降りかかった火矢が、屋根に柱に突き刺さる。厳寒の乾いた空気、強すぎぬ風。二つが重なり、大きくない屋敷は、間もなく火に包まれるだろう。

「せつ……!」

「隙ありぃ!」

 助右衛門の意識が、心さえもが屋敷うしろに向いた瞬間、男は嬉々として斬り掛かる。

 完全に虚を突いた。これにて終いだ、俺が天下に燃える剣を討ったと、名声は我が物だと、

「なえ……?」

 故に、自身に何が起きたか全く分かっていない。

 頭の中心を綺麗に割られ。

 丸い鼻梁は綺麗に分けられ。

 無駄に揃った歯並びの、門歯の間さえ綺麗に裂いて。

 野卑な男にある唯一の仏である喉仏さえも、綺麗に断たれた。

 あらゆるしがらみが削ぎ落とされた、淀みない無心の一撃。

 その撃剣は、あまりにも自然すぎていて。

 見た者はきっと、唯の振り下ろしにしか感じ取れなかっただろう。

 そしてそれは、振るった本人も同じ事。

「もう貴様に構っている暇などない!!」

 今正に斬り捨てた男が倒れ伏すのを見届けることもなく、助右衛門は燃える我が家へと足を踏み入れる。

 家伝の書も、引き継いだ脇差も、全て無視して助右衛門が向かったのは奥の奥。

 せつが、子を産むために籠もる部屋だ。

「す、助右衛門様……!」

 部屋の手前で鉢合わせたのは、先ほど顔を合わせた女中であった。

「せつは、子は、産まれたのか!」

「ようやく、頭が見えたところで……だというのに……! これは、これはいったいなにが!」

 助右衛門を見上げる女中の目に、揺れる炎が映っている。

 屋敷が火の手に包まれようというのに、まだ子が産まれていない。なんという星の巡りだと歯噛みする。

「助右衛門様」

 襖が開き姿を現わしたのは、通家が陰で「印牧の本当の主」と揶揄する印牧家に古くから仕える女房である。

 皺の濃くも老いさらばえたと感じさせない、力強い表情で助右衛門を見据えている。

「お前、なにを、まだ子が産まれていないのだろう!? お前は産婆さんばとして……」

「奥方様から、言伝ことづてがあります」

 助右衛門の言葉を聞くつもりはないとさえぎって、女房はしかと、助右衛門の瞳を見る。

「…………私と子を置いて、助右衛門様はお逃げください。とのことです」

「な……なにを言っている!? そんなことなど」

「そんなことなど出来ないと、あなた様は言うでしょう」

 肩を掴まれ凄まれようと、女房は全く同じず、言伝とやらを続ける。

 その堅固な芯は、助右衛門でも揺らすことが出来なかった。老婆の細い肩を、動かすことが出来なかった。

「それでも、逃げてください。この家に起こっている全ては、女中から聞きました。だからこそ、逃げてください。生き延びてください。印牧の血を絶やさないでくださいと、言いたいのではありません」

 女房が少しだけ、口を閉じる。それが言い淀んだわけではないことは、二の句で分かった。

「…………ただ、生きてください」

 その言葉が宿した重みは、助右衛門の心をった。

 女房が言葉を一度切ったのは、せつが込めたその想いを、そのまま乗せて伝えるのに、相応の覚悟を要したからか。

 襖の向こうからは、もうせつの呻きは聞こえない。

 分かっている。身重のせつを、子が頭を出している状態の女を、連れて行くことがどんなに困難か。

 追手が来ないとも限らない。出産で体力を大きく削った女を、産まれたばかりで繊細な赤子を、連れて外を彷徨うことがどれほど恐ろしいことなのか。

 二人の子が産まれたのを見届けた助右衛門は知っている。

 選べる道など、もはや、一つしか無かった。

 選びたかった道は、せつが自ら、斬り絶った。

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