第二十八話 炎と風
剣に通されているだけだった殺意が、
殺意だけではない、
そして長く続いたそれは、唐突に終わる。
「気が済んだか」
「――――そう容易くは晴れません」
心は晴れぬという
先の
荒技と言えるが、無駄さえ削げるならば手段などなんでもいい。
その身の内、腹の底、心の中心、
「お前には、なにが残った」
「我等の大願を為す、それだけです」
その心根に装飾は無用。理由などは後からいくらでも付けられるもの。付けることで惑うならば、いっそ捨て去ってしまうがいい。
なにをしたいか、するべきか、考えるまでもなく、答えは心王こそがとうに知っている。
あとはただ、己の心に直であればいい。
「そうか」
故に一刀斎は、大願とやらがなにかは問わない。
「ええ」
故に将監は、大願がなにかを語らない。
心王が保持するそれは、言葉で以て示すものではない。
武芸者であるならば、剣客であるならば、心王が保持するそれは、剣に通して振るうための
故に。
「
このまま静かに終わることなど、有り得ない。
その
「
十字に交差する刃と刃は、方や切り落とさんと、方や巻き上げんと、言葉通り鎬を削る。
火花が散るほどの
いま一刀斎が振るっている刀は、
そしてその刀の質は、さほどよくない。身幅はあるが重ねは薄く膨らみがない。一刀斎の癖と噛み合わず、十全の力を発揮しているとは言い難い。心から通した
対する将監の刀は逆に重ねが厚く、鞍馬流の
いや、武器の差を嘆くのは意味がない。
一刀斎とて、甕割を振えなかったことがある。
甕割と入れ替える間に、将監は一刀斎を切り払うだろう。
なにより。
(あそこには、近付けん……!)
甕割を仕込んだ押入れの下に、蓮芽を押し込んでいる。自分らの
「
「ッツ……!」
畳を踏み抜き、生じた力を刀へと押し流す。肉を渡る度に力を足して、将監の身体を弾き飛ばした。
それは、
その一瞬を。
「
見計らった一刀斎が掛かり行く。下段から打ち放たれる
身体が浮き上がりかねないほどの力が乗っており、将監は鎬を操り力を逃がす。
それでもなおその身の芯に、
受けたままではまた押し負ける。そう頭が判じたのは刃と刃を合わせた瞬間。心が
それを受けて一刀斎は、即座に将監の肩口を打ちに掛かる。しかし将監は、風のような
刃を合わせるのは不利になると断じきったのか、将監は回避の方へ意識を向け出した。
だがしかし。
「
「ぐっ……!」
それは決して逃げではない。回避しつつ将監は、剣を振える姿勢へと整えている。
その足運びは風に揺れる木の葉のようでいて、しかし鞍馬流の
狙いが分かると言えば聞こえが良いが、どこから命を断つ撃剣が飛んでくるかが分からない。
それは正に、やにわに荒ぶ烈風である。
「
「……ッ!」
その刺突に、対応が一瞬遅れる。身に迫る天狗の刃を、すんでの所で回避した。 死体も転がり、度重なる
将監はとうとう
胸の高さに垂直に、その一撃は放たれた。
なるほど確かに壁は無傷だ。あれを床に出来たらそれは楽だろう。
だからといって、壁を蹴りつけて突進するなど常軌を逸している。
これでは、名実ともに天狗であろう。
(なんと身軽な……!)
出来るか否かなど、将監は考えていなかっただろう。考えていたのは、いや、思っていたのはただ一つ、一刀斎の命を貫き取ることだけ。
その為に必要なことをしただけだ。
奇襲染みた一撃は避けることこそ出来たものの、間違いなく、命を掠めた
将監の意識は、心へ
その感覚は一刀斎にも覚えがある。己の全てを心王に注ぎ込んだ、夢中の領域。
成すと定めた
そのとき一刀斎の身は、まるで炎のようになる。
将監にとってはそれが、風であったのだろう。
「
「チィッ……!」
一刀斎の肉体は、ただただそれに煽られるのみ。飲み込む前に風向きが変わり、こちらの
息が詰まる。呼吸が止まる。吐く間も吸う間も存在しない。それはさながら肺を潰す
将監は己の一念のため、一刀斎を倒すという意志のために動いている。
――――ならば、己も。
(己を尽くせ……!)
一刀斎もまた、全ての意識を心に撃ち込む。脳漿から思考を消す。ただ一つの「斬」だけを残す。
荒れ狂う
ただ、それでも。
(一瞬で、構わない)
息も続かぬこの状況。遅かれ早かれ限界に近い。機を逸すれば一刀斎の
ならばこそ、身を燃やすのは一瞬で良い。刹那で良い。生死の境は一秒未満で辿り着く。
意を注ぎ込み、心を澄まし、識を削ぐ。
一刀斎が成さんとすることは、
原因への反発でもなく、結果への希求でもなく、一刀斎の理想の撃剣とはつまり、全てを斬り裂く「斬」を成すということだけ。
己の技倆への
勝利に対する
相手を討つという敵意は既になく、生に対する執着さえ切り払う。
あらゆる感情は全て、ただ刹那に燃えるだけに、
――――ならば、
「
京が瀬にする
一陣吹き付ける殺意の中で、一際鋭く尖った、意の込められた閃く白刃。
読まずとも分かる、
一刀斎の中心を捉えたその
その
…………しかし、ながら。
「
「っく……!?」
目にも止まらぬ切り上げは、目にも止まらぬ一撃を、見事打ち払って見せた。
全てが込められた
だがしかしまだ手はある。一刀斎の腕は上へと伸びきり、胴体がまるでガラ空きである。
ならば今はまだ、将監の好機に他ならず。
将監は敢えて足を止めたまま、左袈裟に刃を振り下ろす。
これで、決ま――――
(――――!)
心が刃を動かした、その瞬間。一刀斎の形が、完成していたことに気付く。
それは
大上段、火の構え。守りを捨て去り待の手段を持ち得ぬ、攻めに特化した必殺の構え。
だがそれでも、将監は止まらず刃を滑らせる。己の方が、一拍子早いと!
「
「
――――振り払われた薙ぎ風が、一刀斎の身を通り過ぎることはなく。
将監の左袈裟は、一刀斎によって切り落とされた。
それはもはや無拍子。あらゆる技を攻め抑える、無心が生み出す、速さも長さも超えた撃ち――。
「…………やはり、限界だったか」
倒れる将監を見下ろして、一刀斎はようやく一息吐いた。漏れる呼気には、安息が交じる。
一刀斎が振り下ろした刀は、将監の肉体に直撃した。
だが将監の身体には、服にいたるまで切傷はない。
一刀斎が手元の刀に目をやれば、その刀身は、刃が無惨に消えていた。
こちらは元より
将監の撃剣をいなしている内に、すっかり潰れてしまったらしい。目釘も緩んで、いや、この緩みぶりを見るに、もしかしたら折れているかもしれない。
将監は気を失い、周りの死体と混ざっているが、生きているだろう。
うるさく
その
「っ、
ハッとした一刀斎は、自ら押入れに押し込んだ蓮芽の元に駆けつける。
戸を外し、上段に置いた甕割にも目もくれず屈んで蓮芽の視線に合わせる。
「蓮芽、無事か!」
「――――一刀、斎、さんですか?」
その身体に、傷は無い。返り血が付いた様子もない。
その姿はかつて一刀斎が赤と呼んだときのように、死の
…………だが。
「……一刀斎、さん、どこに、いるんですか」
「なに?」
蓮芽の目から零れた涙が、蒼白となった頬を濡らす。
「分から、ないんです。感じ、ないんです。なにも、なにも、分からないんです――――!」
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