第二十八話 炎と風

 剣に通されているだけだった殺意が、大颪おおおろしとなって吹き付ける。

 絶叫さけびは時折高く外れ、虎落笛もがりぶえが如きおとさえ出す。

 殺意だけではない、心中しんちゅうに溜まった、種々しゅじゅ様々さまざまを吐き出す咆吼ほうこうは、次第に乾いていく。

 そして長く続いたそれは、唐突に終わる。

「気が済んだか」

「――――そう容易くは晴れません」

 心は晴れぬという将監しょうげんの眼光がむ。にごりもくもりもよどみもなく、ただ無色透明に、一刀斎への殺意だけが宿っている。

 先の大音声だいおんじょうで無理やり頭を、否、心を切り替えたか。

 荒技と言えるが、無駄さえ削げるならば手段などなんでもいい。

 その身の内、腹の底、心の中心、心王しんおうに一つだけを残せるならば。

「お前には、なにが残った」

「我等の大願を為す、それだけです」

 その心根に装飾は無用。理由などは後からいくらでも付けられるもの。付けることで惑うならば、いっそ捨て去ってしまうがいい。

 なにをしたいか、するべきか、考えるまでもなく、答えは心王こそがとうに知っている。

 あとはただ、己の心に直であればいい。

「そうか」

 故に一刀斎は、大願とやらがなにかは問わない。

「ええ」

 故に将監は、大願がなにかを語らない。

 心王が保持するそれは、言葉で以て示すものではない。

 武芸者であるならば、剣客であるならば、心王が保持するそれは、剣に通して振るうための理由ものである。

 故に。

ォッ!」

 このまま静かに終わることなど、有り得ない。

 その一足いっそくは、まばたき一つのあいだに距離を詰める。いま二人は三間ほども離れていないが、これが一丈あろうが二丈あろうが、将監しょうげんはきっと変わらぬ速度はやさで迫るだろう。

ァッ!」

 疾風はやてが如きその刺突を、真正面から斬り防ぐ。

 十字に交差する刃と刃は、方や切り落とさんと、方や巻き上げんと、言葉通り鎬を削る。

 火花が散るほどのせめいに、一刀斎は苦虫を噛む。

 いま一刀斎が振るっている刀は、差料さしりょう甕割かめわりではなく転がる死体から奪った刀である。

 そしてその刀の質は、さほどよくない。身幅はあるが重ねは薄く膨らみがない。一刀斎のと噛み合わず、十全の力を発揮しているとは言い難い。心から通した情念じょうねんが、上手く乗せられない。

 対する将監の刀は逆に重ねが厚く、鞍馬流の操刀そうとうに向いているだろう。

 いや、武器の差を嘆くのは意味がない。

 一刀斎とて、甕割を振えなかったことがある。得物えものが良くて勝つことがあろうとも、得物が粗悪で負けたなど口から吐けば、己の技倆ぎりょうはその程度だと言うのも同じ。

 甕割と入れ替える間に、将監は一刀斎を切り払うだろう。

 なにより。

(あそこには、近付けん……!)

 甕割を仕込んだ押入れの下に、蓮芽を押し込んでいる。自分らの刃圏はけんに、武芸者達の領分に、蓮芽を置くわけにはいかない。

フンッッ!」

「ッツ……!」

 畳を踏み抜き、生じた力を刀へと押し流す。肉を渡る度に力を足して、将監の身体を弾き飛ばした。

 それは、ゴウがる炎の如く。熱波ねっぱ熱風ねっぷうが如き圧を放つもの。その熱から逃げるように将監が引き、呼吸を整える。

 その一瞬を。

ッッッ!」

 見計らった一刀斎が掛かり行く。下段から打ち放たれる閃火せんかの一振りを、将監は腹に気を据えて受け止める。

 身体が浮き上がりかねないほどの力が乗っており、将監は鎬を操り力を逃がす。

 それでもなおその身の芯に、ちからは響き渡った。

 受けたままではまた押し負ける。そう頭が判じたのは刃と刃を合わせた瞬間。心が脳漿のうしょうより早く、将監に剣の十字をほどかせた。

 それを受けて一刀斎は、即座に将監の肩口を打ちに掛かる。しかし将監は、風のような歩術ほじゅつで斬撃を避けきり一閃振るう。

 刃を合わせるのは不利になると断じきったのか、将監は回避の方へ意識を向け出した。

 だがしかし。

ェェイ!」

「ぐっ……!」

 それは決して逃げではない。回避しつつ将監は、剣を振える姿勢へと整えている。

 その足運びは風に揺れる木の葉のようでいて、しかし鞍馬流の肝要かんようである、「中心を取る」を徹底している。

 狙いが分かると言えば聞こえが良いが、どこから命を断つ撃剣が飛んでくるかが分からない。

 それは正に、やにわに荒ぶ烈風である。

ァア!」

「……ッ!」

 その刺突に、対応が一瞬遅れる。身に迫る天狗の刃を、すんでの所で回避した。 死体も転がり、度重なる剣劇けんげきでささくれた畳。

 将監はとうとう劣悪れつあく足場あしばを見捨て、を足場として使い出した。

 

 なるほど確かに壁は無傷だ。あれを床に出来たらそれは楽だろう。

 だからといって、壁を蹴りつけて突進するなど常軌を逸している。

 これでは、名実ともに天狗であろう。

(なんと身軽な……!)

 出来るか否かなど、将監は考えていなかっただろう。考えていたのは、いや、思っていたのはただ一つ、一刀斎の命を貫き取ることだけ。

 その為に必要なことをしただけだ。

 奇襲染みた一撃は避けることこそ出来たものの、間違いなく、命を掠めた刺撃しげきである。

 将監の意識は、心へ没入ぼつにゅうしている。太刀風を起こすその身体は、文字通り一つの風と化している。

 その感覚は一刀斎にも覚えがある。己の全てを心王に注ぎ込んだ、夢中の領域。

 成すと定めたいちに全てを注ぎ込み、思考より解き放たれ、精神が主となり身体が従う感覚。

 そのとき一刀斎の身は、まるで炎のようになる。

 将監にとってはそれが、風であったのだろう。

ャアア!」

「チィッ……!」

 無形むぎょうの風は、四方八方から吹き付ける。

 一刀斎の肉体は、ただただそれに煽られるのみ。飲み込む前に風向きが変わり、こちらの炎心えんしんまでおびやかす。

 息が詰まる。呼吸が止まる。吐く間も吸う間も存在しない。それはさながら肺を潰すやまいかぜ

 将監は己の一念のため、一刀斎を倒すという意志のために動いている。

 ――――ならば、己も。

(己を尽くせ……!)

 一刀斎もまた、全ての意識を心に撃ち込む。脳漿から思考を消す。ただ一つの「斬」だけを残す。

 荒れ狂う烈風れっぷうのただ中、身をむ刃が絶え間なく吹き付けているこの状況で、意識を燃やすことはきっとたやすくないだろう。

 ただ、それでも。

(一瞬で、構わない)

 息も続かぬこの状況。遅かれ早かれ限界に近い。機を逸すれば一刀斎の心王しんおう炎心えんしん火種いのちごと斬り裂かれる。

 ならばこそ、身を燃やすのは一瞬で良い。刹那で良い。生死の境は一秒未満で辿り着く。

 意を注ぎ込み、心を澄まし、識を削ぐ。

 一刀斎が成さんとすることは、ただひとつ。

 原因への反発でもなく、結果への希求でもなく、一刀斎の理想の撃剣とはつまり、全てを斬り裂く「斬」を成すということだけ。

 己の技倆への慢心まんしん疑念ぎねんは削ぎ落とし。

 勝利に対する覚悟かくご願望がんぼうも捨て去って。

 相手を討つという敵意は既になく、生に対する執着さえ切り払う。

 あらゆる感情は全て、ただ刹那に燃えるだけに、こころほのおべられた。

 ――――ならば、決着しまいは。

ァアアアアアアアア!!」

 京が瀬にする泰山たいざんさえ、揺らすほどの大嵐おおあらし

 一陣吹き付ける殺意の中で、一際鋭く尖った、意の込められた閃く白刃。

 読まずとも分かる、渾身こんしん突撃とつげき

 一刀斎の中心を捉えたその刺撃しげきは、ただの一点、命だけを狙っている。

 そのはやさは、気付けば彼方に去りゆく風。

 …………しかし、ながら。

フン!!」

「っく……!?」

 目にも止まらぬ切り上げは、目にも止まらぬ一撃を、見事打ち払って見せた。

 全てが込められた一剣いっけんが払い弾かれ、その時ようやく、大野将監の足が止まる。

 だがしかしまだ手はある。一刀斎の腕は上へと伸びきり、胴体がまるでガラ空きである。

 ならば今はまだ、将監の好機に他ならず。

 将監は敢えて足を止めたまま、左袈裟に刃を振り下ろす。

 これで、決ま――――

(――――!)

 心が刃を動かした、その瞬間。一刀斎の形が、完成していたことに気付く。

 それは熾烈しれつな、息もつかせぬ高速の剣劇けんげきの中、通常生じるはずのない形。

 大上段、火の構え。守りを捨て去り待の手段を持ち得ぬ、攻めに特化した必殺の構え。

 だがそれでも、将監は止まらず刃を滑らせる。己の方が、一拍子早いと!

――」

ァアアアアアアアアアア!!」

 ――――振り払われた薙ぎ風が、一刀斎の身を通り過ぎることはなく。

 ぜた炎が、将監という風を飲み込んだ。

 将監の左袈裟は、一刀斎によって切り落とされた。

 それはもはや無拍子。あらゆる技を攻め抑える、無心が生み出す、速さも長さも超えた撃ち――。


「…………やはり、限界だったか」

 倒れる将監を見下ろして、一刀斎はようやく一息吐いた。漏れる呼気には、安息が交じる。

 一刀斎が振り下ろした刀は、将監の肉体に直撃した。

 だが将監の身体には、服にいたるまで切傷はない。

 一刀斎が手元の刀に目をやれば、その刀身は、刃が無惨に消えていた。

 こちらは元よりなまくらで、将監のものは相当な業物だっただろう。

 将監の撃剣をいなしている内に、すっかり潰れてしまったらしい。目釘も緩んで、いや、この緩みぶりを見るに、もしかしたら折れているかもしれない。

 将監は気を失い、周りの死体と混ざっているが、生きているだろう。

 うるさく脈動える心の臓がようやく治まり、なにもかもが、静かになった。

 その静寂せいじゃくの中、啜り泣く、声が聞こえた。

「っ、蓮芽はすめ!」

 ハッとした一刀斎は、自ら押入れに押し込んだ蓮芽の元に駆けつける。

 戸を外し、上段に置いた甕割にも目もくれず屈んで蓮芽の視線に合わせる。

「蓮芽、無事か!」

「――――一刀、斎、さんですか?」

 その身体に、傷は無い。返り血が付いた様子もない。

 その姿はかつて一刀斎が赤と呼んだときのように、死の蔓延はびこる地獄の中で、命輝く姿のままだった。

 …………だが。

「……一刀斎、さん、どこに、いるんですか」

「なに?」

 蓮芽の目から零れた涙が、蒼白となった頬を濡らす。

「分から、ないんです。感じ、ないんです。なにも、なにも、分からないんです――――!」

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