第四話 隣の調べ
近江に朝には着くようにと、
まさか、一日もせず
京についたのは夕暮れ間近。
この京まで
伸ばし放題だった髪も一つに結わえており、多少見てくれはよくなっていた。
いったいなんで、そんな
「ほんま
「教えてくれへんなんて、いけずな人やわぁ」
「いやさ、コイツァつい最近帰ってきたのよ! カッハッハッハッハ!」
京の
十二畳はあろう
残る六人、全員女。
みな煌びやかな
自斎が「祝い」と一刀斎を連れてきたのは、女が男を持てなす店、いわゆる
「はぁ……」
「なんだぁ一刀斎、お前も楽しめ!」
お前も楽しめと言われても、
女遊びも好いていたとは思っていたが、まさかここまでだらしないとはいっそ悲しくなってくる。
遊女達の自斎に対する反応から、恐らく、というか
天下一となった祝いと言うが、
「お兄さん、あんま喋らへんで、さっきから食べはるばかりやなあ。
「師匠があまりに情けなくてな……」
自斎の取り巻きと比べて、まだ若いだろう遊女が一刀斎に酒を
一刀斎に付いているのは、今座敷にいる六人の内、この一人ばかりだ。まだ若く化粧乗りがいいのか、他と比べて薄く見える。
「相手するの、
「そちらの世界も大変なのだな。怒る男はいないのか?」
「そらまあ怒る人もいてはるけど、そないなお人はなぜかまた来はるんどすえ」
「なんでやろなあ」と若い遊女は苦笑するが、これは男の単純さを分かっている顔だ。男というのは失敗しても「次こそは」と楽観的に考える。今日はたまさか運が悪かっただけなのだと信じてしまう
彼女らは
転がされて気持ちの良い男もいるのだろうし、そういう駆け引きを楽しむ遊びもあるだろうが、女遊びをしたことがない一刀斎はさっぱり分からない。
「男が馬鹿だと思うことは?」
「
なるほど、答えにはなっていないがそれで
遊女が注いだ
「――失礼」
閉じられていた
衣装は淡い藤色で、かんざしに付いた飾りもどこか、垂れた藤にも見える。
優しく頬笑むようにも見えるが、世を儚むような寂しげな
「あれまあ、やっと来はった! 遅かったどすなあ、
「すんまへん
藤花と呼ばれた遊女は自斎の方に頭を下げると、次に一刀斎の方に目をやった。
瞬間。
「――――っ」
その柔らか瞳から、視線が注がれた。目の形も、瞳の色も変わらない。
だというのに力強さだけが宿り、一刀斎をぐさりと突き刺してくる鋭利さがある。
一体なんだと、深くその気配を探ろうとした刹那には。
「はじめましてどすなあ。うちは
その
女心というのは
とはいえ、ここまでしっかりと心に蓋をすることが出来るものなどそういない。
他の女との関係を見るに下の方だが……。
「
「あれ……藤花姐さんええの?」
「ええ、こちらの兄さんは、花が
「おれは別に構わんが……」
「運がええなあ兄さん。藤花姐さんは、人気なんやで?」
桐乃と呼ばれた遊女が、
隣に座る藤花を見れば、一刀斎は目を見開いて感心する。
「嫌やわあ兄さん。そないによう見んといてえな。
「年増……? そうは見えんが……」
「あれまあ、上手なお方。これでも二十を越えてしばらく経ちますえ。行き遅れと、
つぶさに、その所作に注視していたら、藤花は袖で口元を隠す。年増と言うが、声はまるで
品の良さと、声の若さ、そして「年増」という事実。
これらが藤花の「背景」を
なるほどこれは、人気のはずだ。
しかし自斎はどちらかといえば「馴染み」の方を好むらしい。自分を囲う女ばかりに気を回して、藤花の方には気を向けていない。
藤花は美人ではあるが、その分「気安さ」がなかった。
「……あれ、なんや、あまりお酒減ってへんなあ?」
「師匠の姿を見て酒も進まなくてな。それに、こういう場には慣れていない」
日の本を旅して回っているとき、
色惚け顔の主人に遊女を呼ぶかと問われても、別段女の肌に触れたいと思わず断ったこともある。
率直に言えば一刀斎は、三十を超えて女との付き合い方を知らない。
一刀斎が肌を重ねた女と言えば――――。
「――――うん?」
酒の中に月の姿を浮かべかけた時、
それまで
奏でられるその音はたしかに
しかし、その弦の音は人がその喉と腹から出しているかのように、滔々と歌っていた。
まるで
武の道しか知らない一刀斎でも、いや、武の道を駆け抜けたからこそ
この音の持ち主は間違いなく、自分が思うより数段上の
「この
「そういえば、兄さんは東から来たんやったなあ。歌は下って武は上ると言いますし、初めて聞かはったんやない?」
桐乃が、男受けしそうな
続きを答えたのは、清らかな頬笑みをたたえたままの藤花である。
「
小首を傾げた藤花の目が、一刀斎の方に向けられる。
さっきの射貫くような鋭利さは消えており、柔らかく、慈しむような瞳に変わっている。
……だがしかし、その視線が自分に向けられたものではないことに、一刀斎は察しが付いた。
藤花の反対、桐乃がいる側奥の
三味線の音はその襖の先から流れている。
戸を一枚
さっきまで騒いでいた自斎さえ、心なしか多少大人しくなったように見えた。
藤花は、その襖の先、隣室へと目を向けていた。
「隣の
「今日のお客さんは、兄さんだけどすえ」
「あの子は顔を出さへんの。ひとりでに鳴る弾き物やと思うてくれやす」
「……ふむ、そうか……」
顔を出せばよいのに、なにか深い理由でもあるのか。
藤花の口ぶりからすると、彼女が遅れてきたのはこの三味線なる弾き物を奏でる「あの子」とやらを連れてきたからだそうだが、この弾き手と藤花は知り合いなのだろうか。
「それより兄さん、ここの食事は、口に合わんようどすなあ」
「あれまあ、そやったん? すんまへんなあ、薄口やったろか?」
「いや、そんなことはないが」
隣室を流し目に見つつ、すっかり人肌にまで冷めた酒に口を付けて
……神社の飯より、よほど濃い味付けだった。
遊女屋に来てはや
「それでなあ、その時姐さんが……」
「ほう、それは難儀だったな……」
対して一刀斎はというと、持てなす桐乃の聞き役に徹している。
桐乃はやたらと喋りが上手く、話のタネが全く尽きない。
……のだがその実、桐乃はだいぶ無茶をしている。
一刀斎は元から無表情で、気の利いた相槌などしない。
客を楽しませるのが仕事の遊女として、一刀斎ほどやりにくい相手はいない。藤花へ目配せしても「最後までやってみぃ」と意地悪く頬笑むだけ。座敷に流れる三味線だけが、心の支えとなっている。
だが、同時に。
(これ、完全に聴きいっとるわ……)
一刀斎は、その三味線に聞き惚れていた。半刻の間、
三味線に心を支えられていながら思ってしまう。「あの子」にこの席にきて欲しくなかった。
彼女の音楽は、その席で一番の遊興になってしまうのだから。
一刀斎の芳しくない反応に、思わず溜め息を吐きかけたその時。
「……うん? 静かになったな」
流れていた三味線の音が、止んだ。
これぞ
「すまん、
「……あ」
出しかけた話題を、引き出しの中にサッと戻した。
「…………ボロ負けやったなあ、桐乃」
「藤花姐さぁ~~ん……」
「奥に旦那はんがいるのに、情けない声だしたらあきまへんえ」
泣き言さえも、しまっておかねばならないらしい。
一方、座敷から暗い廊下に出た一刀斎は、下の階へと下りようとする。
しかしその時目に入ったのは、隣の部屋の薄暗い襖。
さっきまで、三味線が奏でられていた部屋だ。
――抱いていた興味が、鳳仙花のように
一刀斎は小便のことなど忘れて、階段に向かわず隣室の前に立ち。
「失礼する。入るぞ」
返事を待たず、上等な
……しかし、その中は。
(……明かりがない?)
部屋の中は、明かり一つ無い漆黒の闇。
調度品の影もなく、壁に張り付く格子窓の輪郭から
その中に、ポツンと一つの影があった
「…………あの、お客さん、ですか? すみません、ここに、
「――――っ」
暗闇に慣れてきた一刀斎は、思わず
お仕着せられただろう、わずかに寸の足らない
肩幅などで一刀斎の半分程度しかないように見え、抱える三味線が、やたら大きな楽器に見えた。
髪は
そして何より、目を引いたのは。
「……えっと、あの、迷って、しまわれたのですか? ごめんなさい、わたしでは、力にはなれません……」
俯く女は、一刀斎の方を見ない。部屋を開けたときにすら、一刀斎に
それもそのはずその少女は。
「わたしは、目が、見えないので……」
――――目を、赤い布でしかと覆っていたのだから。
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