第四話 隣の調べ

 近江に朝には着くようにと、夜半やはんに出た京の街。

 まさか、一日もせず蜻蛉とんぼ返りするとは思わなかった。

 京についたのは夕暮れ間近。太陽たいようは寒さがよほど嫌いなのだろう。さっさと西の山へと消えていった。

 この京まで一刀斎いっとうさいを連れてきた自斎じさいは、珍しく小汚い古着ふるぎでなく、―それでも多少は汚れがある―羽織を着ている。

 伸ばし放題だった髪も一つに結わえており、多少見てくれはよくなっていた。

 いったいなんで、そんな恰好かっこうをしているかといえば。

「ほんま色男いろおとこやわぁ。印牧かねまき先生せんせ、こんなお弟子さんおったん?」

「教えてくれへんなんて、いけずな人やわぁ」

「いやさ、コイツァつい最近帰ってきたのよ! カッハッハッハッハ!」

 京の三条さんじょう、その片隅かたすみにある少々大きな二階建て。

 十二畳はあろう座敷ざしき。そこに男は一刀斎じぶん自斎ししょう

 残る六人、

 みな煌びやかな衣装いしょうまとい、華やかに化粧けしょうを施している。

 自斎が「祝い」と一刀斎を連れてきたのは、女が男を持てなす店、いわゆる遊女屋ゆうじょやであった。

「はぁ……」

 猪口ちょこをすうっと飲み干して、口をついたのは重い溜め息。

「なんだぁ一刀斎、お前も楽しめ!」

 お前も楽しめと言われても、乳房ちぶさ尻朶しりたぶに手を伸ばしては、はたかれる師匠を見ては気は乗らない。

 女遊びも好いていたとは思っていたが、まさかここまでだらしないとはいっそ悲しくなってくる。

 遊女達の自斎に対する反応から、恐らく、というか十中八九じゅっちゅうはっく常連である。

 天下一となった祝いと言うが、口実こうじつだろうと確信した。

「お兄さん、あんま喋らへんで、さっきから食べはるばかりやなあ。可愛かあいらしいお口や」

「師匠があまりに情けなくてな……」

 自斎の取り巻きと比べて、まだ若いだろう遊女が一刀斎に酒をぐ。

 一刀斎に付いているのは、今座敷にいる六人の内、この一人ばかりだ。まだ若く化粧乗りがいいのか、他と比べて薄く見える。

「相手するの、ウチ堪忍かんにんえ。かあさんから、「最初はじめての客には気安きやすなびいたらあきまへん」て、ようよう言われるんどす。せやから、お初の兄さんはまだ半人前のウチが」

「そちらの世界も大変なのだな。怒る男はいないのか?」

「そらまあ怒る人もいてはるけど、そないなお人はなぜかまた来はるんどすえ」

「なんでやろなあ」と若い遊女は苦笑するが、これは男の単純さを分かっている顔だ。男というのは失敗しても「次こそは」と楽観的に考える。今日はたまさか運が悪かっただけなのだと信じてしまう悪癖あくへきがある。

 彼女らは男心おとこごころを、まるでお手玉で遊ぶかのように転がす手練てだれだ。

 転がされて気持ちの良い男もいるのだろうし、そういう駆け引きを楽しむ遊びもあるだろうが、女遊びをしたことがない一刀斎はさっぱり分からない。

「男が馬鹿だと思うことは?」

可愛かわいらしいと思いますえ?」

 なるほど、答えにはなっていないがそれで充分じゅうぶん

 遊女が注いだ一献いっこんを、サッと飲もうとしたその時。

「――失礼」

 閉じられていたふすまががらりと開く。するとそこから現われたのは、目尻を垂らした遊女だった。

 衣装は淡い藤色で、かんざしに付いた飾りもどこか、垂れた藤にも見える。

 優しく頬笑むようにも見えるが、世を儚むような寂しげな表情かおにも見えて判然としない。

「あれまあ、やっと来はった! 遅かったどすなあ、藤花ふじばな

「すんまへんねえさん。を連れてきとったさかい、堪忍え?」

 藤花と呼ばれた遊女は自斎の方に頭を下げると、次に一刀斎の方に目をやった。

 瞬間。

「――――っ」

 その柔らか瞳から、視線が注がれた。目の形も、瞳の色も変わらない。

 だというのに力強さだけが宿り、一刀斎をぐさりと突き刺してくる鋭利さがある。

 一体なんだと、深くその気配を探ろうとした刹那には。

「はじめましてどすなあ。うちは藤花ふじばないいます。よろしゅう、おたのもうします」

 その心根こころねが、読めなくなった。

 女心というのは複雑怪奇ふくざつかいきで、一刀斎もそのうちを読み切ることが出来ない。

 とはいえ、ここまでしっかりと心に蓋をすることが出来るものなどそういない。

 他の女との関係を見るに下の方だが……。

桐乃きりの、私はそちらに一緒に付きます」

「あれ……藤花姐さんええの?」

「ええ、こちらの兄さんは、花がすくのうて寂しいですやろ?」

「おれは別に構わんが……」

「運がええなあ兄さん。藤花姐さんは、人気なんやで?」

 桐乃と呼ばれた遊女が、頬笑ほほえみ声でささやいた。

 隣に座る藤花を見れば、一刀斎は目を見開いて感心する。

 背筋せすじはピンと伸ばされて、纏う衣には乱れがない。心根にそなわる品性が外へとんじみ出ているが、これは一日二日で身につくものではないだろう。むをない理由で遊女に身をやつしたことが、容易く想像できた。

「嫌やわあ兄さん。そないによう見んといてえな。ウチももう年増やから恥ずかしいわあ」

「年増……? そうは見えんが……」

「あれまあ、上手なお方。これでも二十を越えてしばらく経ちますえ。行き遅れと、わろぉてくれやす」

 つぶさに、その所作に注視していたら、藤花は袖で口元を隠す。年増と言うが、声はまるで童女どうじょのように幼げに聞こえるし、化粧も薄かった。

 品の良さと、声の若さ、そして「年増」という事実。

 これらが藤花の「背景」を想起そうきさせて、目の前で、たしかに実像を結んでいるはずの女が、輪郭りんかくがぼやけて幻惑的に見える。

 なるほどこれは、人気のはずだ。

 しかし自斎はどちらかといえば「馴染み」の方を好むらしい。自分を囲う女ばかりに気を回して、藤花の方には気を向けていない。

 藤花は美人ではあるが、その分「気安さ」がなかった。

「……あれ、なんや、あまりお酒減ってへんなあ?」

「師匠の姿を見て酒も進まなくてな。それに、こういう場には慣れていない」

 日の本を旅して回っているとき、旅籠屋はたごやに女を呼ぶ客と鉢合わせた事がある。他の客も巻き込んでの乱痴気らんちきさわぎだったが、旅疲れがあった一刀斎はさっさと眠ってしまって混ざらなかった。

 色惚け顔の主人に遊女を呼ぶかと問われても、別段女の肌に触れたいと思わず断ったこともある。

 率直に言えば一刀斎は、三十を超えて女との付き合い方を知らない。

 一刀斎が肌を重ねた女と言えば――――。

「――――うん?」

 酒の中に月の姿を浮かべかけた時、突然とつぜん発した旋律おとで手が揺れた。

 それまで自斎ジジイ遊女おんなの騒がしい声だけがあった座敷に、軽妙けいみょうおとが広がった。

 たわむように揺れる音はげんだろうか。琵琶びわにしては柔らかく、そして鋭い。楽器がっき造詣ぞうけいのない一刀斎は、その正体を探れない。

 奏でられるその音はたしかにものによるものだろう。

 しかし、その弦の音は人がその喉と腹から出しているかのように、滔々と

 まるで手指てゆびがもう一つの口だと言わんばかりに、曲が歌と化している。

 武の道しか知らない一刀斎でも、いや、武の道を駆け抜けたからこそ確信かくしんした。

 この音の持ち主は間違いなく、自分が思うより数段上の技倆ぎりょうの持ち主だと。 

「このは……?」

「そういえば、兄さんは東から来たんやったなあ。歌は下って武は上ると言いますし、初めて聞かはったんやない?」

 桐乃が、男受けしそうなあやしい顔で一刀斎を覗き込む。

 続きを答えたのは、清らかな頬笑みをたたえたままの藤花である。

琉球りゅうきゅうから来た三線さんしん言うものがありましてなあ、それを和様わように変えたつの、……三味線しゃみせん言うもんどす。――ええ、音色やろ?」

 小首を傾げた藤花の目が、一刀斎の方に向けられる。

 さっきの射貫くような鋭利さは消えており、柔らかく、慈しむような瞳に変わっている。

 ……だがしかし、その視線が自分に向けられたものではないことに、一刀斎は察しが付いた。

 藤花の反対、桐乃がいる側奥のふすまだ。

 三味線の音はその襖の先から流れている。

 戸を一枚へだててなお、華やぐ音は貫いてきて、一刀斎の胸さえ打った。

 さっきまで騒いでいた自斎さえ、心なしか多少大人しくなったように見えた。

 藤花は、その襖の先、隣室へと目を向けていた。

「隣の座興ざきょうか? 人気ひとけはなかったが」

「今日のお客さんは、兄さんだけどすえ」

は顔を出さへんの。ひとりでに鳴る弾き物やと思うてくれやす」

「……ふむ、そうか……」

 顔を出せばよいのに、なにか深い理由でもあるのか。

 藤花の口ぶりからすると、彼女が遅れてきたのはこの三味線なる弾き物を奏でる「あの子」とやらを連れてきたからだそうだが、この弾き手と藤花は知り合いなのだろうか。

「それより兄さん、ここの食事は、口に合わんようどすなあ」 

「あれまあ、そやったん? すんまへんなあ、薄口やったろか?」

「いや、そんなことはないが」

 隣室を流し目に見つつ、すっかり人肌にまで冷めた酒に口を付けてさかなをつまむ一刀斎。

 ……神社の飯より、よほど濃い味付けだった。


 遊女屋に来てはや半刻はんこく。自斎はより盛り上がり、遊女達も酒を飲んで出来上がっている。

「それでなあ、その時姐さんが……」

「ほう、それは難儀だったな……」

 対して一刀斎はというと、持てなす桐乃の聞き役に徹している。

 桐乃はやたらと喋りが上手く、話のタネが全く尽きない。

 ……のだがその実、桐乃はだいぶ無茶をしている。

 一刀斎は元から無表情で、気の利いた相槌などしない。

 客を楽しませるのが仕事の遊女として、一刀斎ほどやりにくい相手はいない。藤花へ目配せしても「最後までやってみぃ」と意地悪く頬笑むだけ。座敷に流れる三味線だけが、心の支えとなっている。

 だが、同時に。

(これ、完全に聴きいっとるわ……)

 一刀斎は、その三味線に聞き惚れていた。半刻の間、曲目きょくもくを変えつつ奏でられる音は時に強く激しく、時に優しく淑やかに、時に愉快で面白可笑しく。色んな表情を見せていた。

 三味線に心を支えられていながら思ってしまう。「あの子」にこの席にきて欲しくなかった。

 

 一刀斎の芳しくない反応に、思わず溜め息を吐きかけたその時。

「……うん? 静かになったな」

 流れていた三味線の音が、止んだ。

 これぞ好機こうきと捉えた桐乃は、すかさず温めておいた話を脳裡のうり箪笥たんすからひっぱりだす。それは簪の歩き売りにきた商人の――――。

「すまん、かわやへ行ってくる」

「……あ」

 出しかけた話題を、引き出しの中にサッと戻した。

「…………ボロ負けやったなあ、桐乃」

「藤花姐さぁ~~ん……」

「奥に旦那はんがいるのに、情けない声だしたらあきまへんえ」

 泣き言さえも、しまっておかねばならないらしい。

 一方、座敷から暗い廊下に出た一刀斎は、下の階へと下りようとする。

 しかしその時目に入ったのは、隣の部屋の薄暗い襖。

 さっきまで、三味線が奏でられていた部屋だ。

 ――抱いていた興味が、鳳仙花のように破裂はれつする。

 一刀斎は小便のことなど忘れて、階段に向かわず隣室の前に立ち。

「失礼する。入るぞ」

 返事を待たず、上等な細工さいく引手ひきでを引いた。

 ……しかし、その中は。

(……明かりがない?)

 部屋の中は、明かり一つ無い漆黒の闇。晦日つごもり近く、月明かりもない秋の夜が広がっているようだった。

 調度品の影もなく、壁に張り付く格子窓の輪郭からはかるに、広さはおよそ四畳半程度。隣の座敷の半分以下だ。

 その中に、ポツンと一つの影があった

「…………あの、お客さん、ですか? すみません、ここに、ねえさんたちは、いません」

「――――っ」

 暗闇に慣れてきた一刀斎は、思わず瞠目どうもくする。

 お仕着せられただろう、わずかに寸の足らない古着ふるぎを着るのは、五尺もないだろう背丈の女。

 肩幅などで一刀斎の半分程度しかないように見え、抱える三味線が、やたら大きな楽器に見えた。

 髪は童髪わらわのように切り揃えられ、子どものようにも思える。

 そして何より、目を引いたのは。

「……えっと、あの、迷って、しまわれたのですか? ごめんなさい、わたしでは、力にはなれません……」

 俯く女は、一刀斎の方を見ない。部屋を開けたときにすら、一刀斎に一瞥いちべつもくべなかった。

 それもそのはずその少女は。

「わたしは、目が、見えないので……」

 ――――目を、赤い布でしかと覆っていたのだから。

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