第二話 二つの約束
その勢いに乗った北条は、つい最近まで織田が実質支配していて、空白地帯となった
対するのは織田と深い関係にある、
そこに
ようやく落ち着いてきた
一刀斎は歯噛みしながら、被った笠を枕元に置く。
部屋の
結局、一刀斎が
「では、今日こそおれは京に向かう」
「ええ」
見送りにいるのは、とじ一人。織部や
「……あの時は、こうやって見送ることが出来ませんでしたね」
「今さらなにを?」
とじは、初めて三島神社を出たときの日を言っているのだろう。
あの時、とじは物忌みするために一刀斎と顔を合わせることは出来なかった。
だがしかし、旅の支度を調えるために部屋に戻れば既に用意されていて、そこには、今も一刀斎の花をくすぐる爽快な香りが残っていた。
「それに、近頃旅に出るときは、こうやって見送ってくれているだろう」
「……ええ、そうですね」
相変わらずとじは、
まあその点で言えば、常に
「
旅の始め、とじは必ず「早く帰ってきなさい」と言う。それが、この神社に帰ってきてから日常である。
当然、そう言われるのだろうと思っていた。
「いつでも、帰ってきなさい」
「――――ああ」
だが、今日は違った。
きっと「旅の意味」の違いを認識して、言葉を選んだのだろう。
今までのものは、剣をより深める為の修行の
しかし今回一刀斎は、異なる目的を持って京へと向かおうとしているのだ。
帰りは、いつになるか分からない。京に入って寺に参るだけで終わりかも知れないし、そのまま
加えて、京にも近い
「しかし、船で行けばすぐでしょうに。
「
それだけは、
「織部や信太たちには、顔も見せずにすまないと伝えておいてくれ」
「分かりました。ですが、問題は無いでしょう。あなたは
確かに、だいぶ気を張っていたと思う。織部や信太は普段通りに接してくれていたが、
「改めて言います。あなたの気が済むまで、帰ってこなくてよいですよ。女達が怖がるので」
「ハッキリ言うな……」
それが、とじらしいといえばとじらしいのだが……。
今思い返せば、
京を囲う
その大火の如き秋の山は、かつてのまま。しかし。
「……これが、京なのか?」
かつて居着いた
道は整えられ、
なにより意外だったのは、京の支配者であった織田尾張守が死してまだ数ヶ月しか経っていないはずなのに、混乱した様子がまるでないことだ。
道を行き交う人々はみな一様に生き生きとして、溌剌とした笑顔を浮かべていた。
てっきり、悲嘆に暮れていると思ったが――――。
「そ、そこのあなた!」
呆けて街を見ていた一刀斎に、何者かが声をかけた。
いったい誰だと振り向いてみれば、綺麗な
だいぶ苦労したのだろう、額と目尻には濃いシワが出来ている。
はてさて誰かと思い、名を
「あなたは、
「――――!」
僧の言葉に、一刀斎は息を飲む。大野家とは一刀斎が京にいた時代、世話になっていた家だ。
そして。
「
「失礼しました、
一瞬、僧は息を整えて。
「……かつて大野家に、仕えていた者です」
一刀斎は、僧に寺に招かれた。
小さな仏像が置かれた
「しかし、いったいなにを話せば良いか……」
一刀斎が通されたのは本堂。その中で僧と一刀斎は向かい合って座る。
秋も深まった堂の中は薄ら寒いが、灯された
「……では、まず一つ聞かせてくれ、大野家は、どうなったのだ?」
僧は「うぅむ……」と、眉を八の字にして
しばらく、堂の中が
「……大野家は、
唐突に吹いた秋の風が、戸を揺らす。それと同時に僧は、ハッキリと言い切った。
「――――そう、か」
男の
だがしかし、大野家の
尾張守が口約束を違えたか。それとも、乱に巻き込まれたのか。
「……それは、陣三郎が由来か?尾張守が逝ったことと、なにか関係あるのか?」
「……? いえ、大野家が断絶……
僧が語るに曰く。家から辻斬りを出してしまったことを織田尾張守に許された将善は、織田尾張守と将軍足利義昭の元で懸命に務めていた。
しかし、次第に将軍と尾張守の対立が深まって行くにつれて将善は選択を迫られる。
だが将善は悩むことなく、家名を重んじ足利に付き、織田軍と戦う道を選んだという。
しかしながら
他の奉公衆も一人、また一人と寝返って行き、最後は、
「……
「将軍家と共に、沈む覚悟をしていた訳か」
大野将善と言う男は、義理堅い。例え今にも朽ち果て倒れそうな
「私もその時に、
なんとも情けない話だと、僧は奥歯を噛みしめる。
この寺も、その為に彼が作ったものなのだろう。自分を情けないと悔やむ僧侶だが、恥を知らぬよりは遥かにマシだ。少なくとも、しかと向き合っている。
大野将善の死を、惜しむ気持ちもある。だがしかし、将善は己の意志に従って生きた。ならば、その死を憐れと思うのは、筋違いだろう。
「……そういえば、統治していた織田尾張守が死んだというのに、京は落ち着いているな。乱れた様子も戦の気配も感じない」
「ええ……、実は織田尾張守が背後を討たれた十日ばかり後にはもう、謀反を起こした
「……藤吉郎?」
羽柴の
かつて熱田で出会った尾張の将が、「
「その将、木下という名ではなかったか?」
「ああ、はい、その将です。中国に進軍していたのですが、他の軍勢が
一刀斎の
よもや、そのような
「……いち早く戻った羽柴藤吉郎秀吉は、織田軍残党を
「そうか……」
どうやら、だいぶ間が悪かったらしい。やはり無理にでも、京を出るべきだったのだろうか。
(……まさか、こんな形で約束が
炎のような男と交わした、二つの約束。
一つは、一人の男の信念によって。
もう一つは、謀反による死によって
本人達の手では届かぬところで、意志が、関わらぬところで、叶えられることがなかった。
常に人が取り巻くこの世は、戦火の火種が転がるこの世は、たった二人きりの約束でさえ、遂行することが困難だった。
「……ところで、一刀斎殿はなぜ京へ?」
「……目的は果たしたよ」
大野家の顛末と、織田尾張守の最後。一刀斎が最も知りたかった
僧も、一刀斎の目に得心がいったのか。「そうですか」と頷いた。
「これから、どうなさるのですか? 京に
「――いや、少し
せっかく、京まで
隣国には、「会うべき男」がまだ一人いる。
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