第五話 結実の日

「……アラタめておきしますが、本当ホントウでいいんですね?」

かまわん」

 一刀斎が握る得物てっせんを見て、商人はその顔から笑みを消した。

 彼もあきないをする者である。けの胴元どうもととして仕合を組んでいるならば、十官じっかんの腕は自慢のだ。

 それに大しておうぎ一本で戦おうと言うのだから、商人も良い気はしないだろう。

 ……だが、断られることはないという確信がある。

「十官?」

 赤銅しゃくどういろはだをした、黒衣こくいの剣客が一歩踏み出す。

 薄い半月はんげつのような目から、強靱きょうじんな闘志が漏れ出ていて、右手には鋭い気力が宿っている。

 強い戦意せんい一陣いちじん吹いて、ねばつく潮風しおかぜを切り裂いた。

 口は舌でも持たぬかのように、全く言葉を発しない。

 しかしながら、まと気勢きせいが抱く想いをしんげている。

 言葉を使わねば意が分からぬ相手など、はなからもとめていないのだろう。

「当の本人は、やる気のようだが」

「……そのようですね」

 商人に武の心得こころえはないのだろう。だが、十官とは長いこと共にいたらしい。

 十官が放つ気配の意味を、しかと理解りかいしているようだ。

 それだけではない。

「おいおい、あの兄ちゃんあんな小せえおうぎ一本いっぽんるらしいぜ!」

「あの唐人とうじん相手にか!? おもしれえじゃねえか!」

 みなとに立つ人から人へ、熱気ねっき伝播でんぱ真夏まなつの海をより暑くする。

 ここまで活気かっきいきおいの付いた雰囲気を前に、商人は。

「――いいでしょう! 当人トウニンタチがやる気であるならば止めるわけにもいきません!」

 ニッコリと、さっきまでしていた商売しょうばい向けの笑顔に戻る。

 商人の下した決断に、港はより盛り上がった。

 卸売おろしうりの品も船から下ろした積荷つみにはこも、放りだして一刀斎らをぐるりとかこう。

 しかし距離は決して詰めず、円形えんけい舞台ぶたいがそこに現われた。

 一刀斎と十官は、お互い示し合わせることもなく、ごく自然にその円の中心に歩みを進める。

 互いの距離は都合四尺よんしゃく本来ほんらい得物えものであれば、一刀いっとう一足いっそくよりわずかに近い距離である。

 懐からぜにを出した男達が、あちらだこちらだと二人の名を上げている。

 戦いの準備は、ととのった。


 夏の海の湿った空気が引き剥がされる。苦しいだけの真夏の陽射しが気にならない。

 戦火いくさびの散らした火花が肌を焼く。

 ながらく感じていなかった、得難えがたほむらねつ

 身体からだしんこころほのおが、大きく揺れた。

 一方で、傍目はためにはそんな熱を感じさせない。

 この青く燃える夏空の下、汗の一つも流さずに、ただ沈着ちんちゃくとそこに立っている。

 その手に持つのは刀でなく、一尺にとどかぬ短い鉄扇てっせん

 それも総鉄そうてつせい扇子せんすもどきなどではなく、しっかりひらいてあおげる優れもの。

 ……だが、その分もろい。過度かどな打ち合いは厳禁げんきんだろう。

 しかし。

(……これは、とかく厄介やっかいだ)

 十官は身幅の刀を抜き放ち、やいばを向けて低く身構えている。

 半月だった目は大きく見開かれ、開いた瞳孔どうこうはしかと一刀斎を映し込む。

 まるで天に昇る前の蟠竜ばんりゅうのよう。あの眠れる竜が起きたならば――想像するだけで、頭が冴えた。

 恐れはない。必要もない。作業さぎょうのように、動作するだけ。

 単純な作業を――――存分に、楽しむだけ!

ッ!!」

 十官が握る己の鉄扇の三倍はある刀に、恐れもせずに一刀斎は、短兵急に地を駆ける。

「ッッ!」

 同時に十官も大きくその身を跳ねさせた。

 全身の筋肉にく連動れんどうした、実に機能きのう的な操体そうたいである。

 まるで身体が一つの肉で出来ているようで、その豪壮なたいさばきは、文字通り竜の体を連想させた。

 竜のかしらが鋭い音を立てながら、空を切り裂き懸かり来る。

「ェエアイ!」

ェイッ!」

 見るからに重たそうな、野太いきばが突き立てられるその瞬間。

 一刀斎は空いた手で十官の腕を押し留める。さながら竜の頬を打つように。

 しかし即座に十官は、脚を一刀斎へと振るい上げた。刀が牙なら脚はである。

 ぶれて影さえ追い付かず、残像ざんぞうをも置き去りにする真下からの一撃。

 一刀斎はその攻撃を、まるで予見よけんしていたかのように尾が描く軌道きどうに合わせ鉄扇てっせんを放った。

 大の男だろうと悶え苦しむスネへの一撃である。

「ケェエイ!」

「ッッ……!」

 一刀斎が振るった打撃を、十官は膝を折り曲げ鉄扇をかわすと、今度は膝から脚を打ち上げて一刀斎のこめかみへとはらう。

 たまらず、一刀斎は大きく飛び退いた。眼前を過ぎった蹴りは風を起こして前髪を撫でる。その風には、痛烈つうれつな殺意が宿っていた。

(やはり近間ちかまも奴の間合まあいか!!)

 一刀斎は過去に一度だけ、大陸の武術と相対したことがある。

 その相手は素手でありながら、一刀斎にいくつもの痛打つうだを撃ち込んだ男だ。

 あの男が空拳くうけんであそこまで戦えたのだから、当然、練達れんたつした武芸者である十官も赤手の心得こころえもあるだろう。

 技のついでや一環いっかんとして体を使う自分らとは違う、まさしく、全身を武器として鍛えた武芸。

「シュッ……!」

 細かい呼気こきと共に、十官が地面を蹴り出した。

 体中たいちゅうを流れる力の滑らかさは、飛沫も立てぬ流水りゅうすいのようですらある。寸分すんぶん無駄むだもなく、攻撃点へと力が集約されている。

「ハァイッ!」

 眼前へと突き出される刀のきっさき。日の本の刀と違って刃幅ははばが広いだけあって、一分一寸の回避では足りない。

 目測もくそくするため、やや大きく躱した。が。

「ヤァッ!!」

「っ!」

 十官は即座に手首を返し、遠のく首へと刃を向ける。

 しゃがむか。いや、その場で止まれば顔面に蹴りが飛んでくる。ならば。

ッ!!」

 一刀斎は前へと避ける。鉄扇で牽制の打ちを放ちながら、十官の横を通り抜け前後を入れ替えた。

 そこで仕合しあい一端いったん膠着こうちゃくする。

 しかし、舞台を作る人垣ひとがきは静まることなく。

「おお、あの兄ちゃんやるぞ! 今までほとんど一撃で終わらせてきた十官相手に!」

「扇だからってこりゃ分からねえ、おい、もっとけるぞ!!」

 夏の天日てんじつより暑苦しい。だが一刀斎の心王しんおうは、眼前の相手てき没入ぼつにゅうしていた。

 夏の暑さも感じず、男共の馬鹿騒ぎも聞こえない。

 それは、十官も同じであった。ゆるりと一刀斎へと向き直るその目は、より怜悧れいりに鋭く尖っている。

 ゆらり、と身体が動いた。瞬間。

「シュッッッ!」

 十官が、今一度懸かり来る。大きく離れた二人の距離を、あっと言う間に埋めるその跳躍ちょうやくは、飛行ひこうとすら形容けいようできる。

「ギィエイ!」

 耳慣れぬ叫びと共に放たれる唐竹割りを、一刀斎は扇で抑える。共に飛んできた蹴りは半身に捌いて避けてみせ、同時に一歩踏み出し襟首へと掴みかかった。

 しかし伸ばした腕は空いていた片手間かたてまのように阻害そがいされ、逆に一刀斎の胸へと十官のてのひらがおかれる。――これは!

「ちぃっ!!」

「フンッ!!」

 密着した掌から打ち出されたのは、ケイと呼ばれるもの。

 身体に浸透しんとうして内側から破壊はかいするだ。数年前かつてにさんざん苦しめられた技である。

 同じ大陸の武と言うからもしやと思ったが、やはり使えるらしい。

 放たれる瞬間、身を下げたことで直撃ちょくげきまぬがれたものの、わずかばかり、炎にあぶられたような違和を感じる。

 あの男が使ったのが力の毒なら、この男が使うのは力の熱か。

 十官の目に、光が踊った。感嘆しているのか、驚嘆しているのか、それは分からない。一つだけ確かなのは、一刀斎が勁を避けたことに衝撃しょうげきを受けているらしいことだけ。

 十官の纏う闘気とうきが、より深く熱くなる。一方その目は澄み渡り、一瞬見えた乱れは消えた。

 これから先、彼の技からあなどりや加減かげんは消えるだろう。

 技はより研ぎ澄まされて、竜のような体捌きに、文字通り化生けしょうのような力が加わる。

 ――――なら。

 そちらが本気を出すのなら。

「おれも、存分に技を振るおう」

 間違いない。今相対している大陸の武芸者は、十年にも渡る廻国かいこく修行しゅぎょうむすびに相応ふさわしい。

 いま手元てもとに、甕割かめわりがないことさえも天の采配さいはいに思えた。

 武器かたなに頼る事なかれと。鍛えた続けた術理じゅつりを試せと。練り上げてきた理合りあいを活かせと。

 己が定めたつるぎまことを、己に燃えるこころほのおを、今ここに結実けつじつさせよと。

 他ならぬ、一刀斎の心王が吼えた。

「行くぞ、大陸の武芸者。――――おれの全て、今お前に叩き付ける」

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