第二話 龍の如く

「また勝ちやがったぜあの唐人とうじん!」

「これで五十ごじゅうにん抜きだ!」

「チクショウまた負けた!」

「あんなのに勝てる奴いるかって!」

 賭け事でもしてたのだろう。見物を決め込んでいた男達は悲喜交々ひきこもごもの声を上げる。

 鎌鑓かまやりの武芸者を見下ろした唐人は、その身幅の広い異風な刀を鞘に納める。

「今の動きは……」

 一刀斎には、あの唐人の足捌きに見覚えがあった。

 一直線に突き進むものではなく、前後左右、自在に動き迫るその足捌きは、かつて尾張おわり竹林ちくりんで斬り伏せた陰陽師おんみょうじのものと似ている。

 だが。

(あれとは、比較にならんな)

 あの陰陽師の動きが狭霧さぎりに紛れる幽鬼ゆうきであるなら、唐人のそれは雲より飛び出し、空を切り裂き這い飛ぶりゅうだった。

 豪壮ごうそうにして堂々どうどうと。

 みなぎ闘志とうし威風いふうとなってみなとを吹き抜けた。

 思わず、息を飲む。喉を鳴らした唾の音で、全身の血が熱くたぎっていたことに気付いた。

 それと時を同じくし。

相模サガミミナさん! 今日もありがとうございました!」

 唐人が出て来た船から、男が下りてきた。

 糸目いとめ細身ほそみ、唐人と違って肌は白く、身なりは小綺麗こぎれいで清潔感があり、その装いから察するに、舶来はくらい商人しょうにんなのだろう。

 節々に癖は感じるが、異国の者の割りに言葉は上手く、相当な才覚さいかくを感じた。

此度コタビ仕合シアイワレらがミンの武術達人、十官ジッカンの勝利に終わりました! 楽しんでいただけましたでしょうか!? なに、また賭けに負けた? それでは、次の仕合と行きましょう! 今日は他に、誰か挑戦者はおりませんか!?」

 商人の問いに答える者はいない。どうやらこの港に赴いていた武芸者は、あの鑓使いで最後のようだった。

 唐人――十官も待ち構えている様子ようすはなく、沈着ちんちゃくと空を見ながらたたずんでいた。その瞳はゆっくり進む夏の天日てんじつを、しっかりと目に映している。

「――――飛び入りでも、構わないのか?」

「オヤ?」

 一刀斎が、一歩踏み出した。男達や商人が同時に一刀斎の方へと向くが、十官だけは目をやることもなく、そのままじっと空を見ている。

 商人はその細目を、パチリと一度まばたきした。

 文字通りその一瞬の間に、商人は一刀斎の身体、上背うわぜいに腕、腰、脚、刀、一部一部を的確てきかくに見定めていた。

 商売に使う鑑識かんしきがんの延長か、十官という絶技ぜつぎの武芸者を連れているだけあって剣士を見る目も的確だ。

 商人が一刀斎に向けていた意識が、にわかに熱くなる。

 それは好奇こうき警戒けいかいの熱だった。

「…………いいでしょう! 勇敢ユウカンなアナタ、お名前は?」

外他とだ一刀斎いっとうさい

 腰の刀に手を掛けながら、ゆるりと歩みを進める。

 商人にわれて返した応えは、しかし商人に向けることなく。

 ただ真っ直ぐ、異国の武芸者へと撃ち放つ。十官は初めて、一刀斎の方を見た。

 半月のような目の奥には、うわ目蓋まぶたに隠され同じく半月型になった瞳があった。

 それはまるで、突き付け合った二振りの刀だ。

 港の男達は降って湧いた挑戦者に歓喜かんきして盛り上がり、またもや賭けの準備を始める。

「では十官、準備を……」

「■■■■■」

 商人が促した瞬間に、十官は何かを呟いた。

 聞き慣れない言葉である。恐らく大陸の言葉なのだろう。商人が目を見開いたのを見ると、あまり好ましい意味ではなかったらしい。

「■■■? ■■■■!」

「■■■■。■■■■■」

 商人もまた、似た言葉で十官に語りかける。なにやら説得している様子だが、当の十官は聞く耳持たず。

 そのまま踵を返して船の中へと戻ってしまった。

 そんな背中を見送って、商人は「ハァア」と長めの溜め息を吐いた。

「――――失礼しました外他様! 十官も今日はもう戦う気はないそうで、今日はこれにて……明日でよければ、正午しょうご前にいかがでしょうか」

「おれは、別に構わないが……」

「なんでえ、またかよ!」

「せっかくもう一仕合見られると思ったのによ!」

 なにやら事情があるらしいとうけたが、ほぼ同時に男達がつまらなそうに声を荒げる。

 だがしかしそのまま暴動が起きることもなく、三々さんさん五々ごご、己の仕事に戻っていった。

 唐人の商人も一刀斎へ軽く一礼し、一足先に戻った十官の後を追って船に戻る。

 一刀斎は小さく音を鳴らさずに、排熱はいねつするように呼気こきを漏らした。

「残念だったなあ兄さん。時が悪かった」

 一刀斎の元に来たのは、最初に声をかけてきた船の奉公ほうこうらしき男である。

「ああ」と短く返し、明の商船を見ながら男にたずねる。

「……まだ日が高いのに、もうしまいなのか? 誰かが『またか』、と言っていたが」

「なんでもあの武芸者、信じてる教えがあるらしくてよ。日に五回その祈祷きとうをするから、特に午後は立て込むんだとよ。変わった教えもあるもんだなあ」

「ふむ……」

 どうやら十官という男は、神仏しんぶつおしえに生きる武芸者らしい。

 教えに心身を尽くす武芸者は少なくない。一刀斎が己の心をより所として振るうように、神仏の教えに生きる武芸者は、信ずる神仏を基幹に据えて技を振るう。

 己の心に信じるものがあるならば、それは武芸者を強くするものとなる。

 純粋で、強い想いを有する心は、その分振るう剣を強く、重くするものだ。

 あの十官という男、あの体捌きを見るに相当そうとう鍛練たんれんを積んだろうが、その根底は強い信仰があるのだろう。

「で、兄さんはこの後どうすんだい? 明日まで暇になっちまったが。戦勝せんしょう祈願きがん鎌倉かまくら八幡はちまんさまにでも行くか? 船ならすぐだぜ」

遠慮えんりょしておこう」

 妙に親切な男の誘いを、一も二もなく断った。

 どうしようもない時以外は、船にも乗る誘いにも決して乗らない。

 しかもここは因縁いんねんぶかい東の大海おおうみだ。縁起えんぎの悪さは群を抜いている。

 それに、神仏しんぶつたよ習慣しゅうかんが一刀斎にはない。

 神社に厄介やっかいになったこともあるし、ある程度の信心しんじんそなえているが、十官と違って信仰と言えるほどのものではないのだ。

「へえ、あの大陸の武芸者とは真逆まぎゃくだな」

「確かにな」

 一方あの竜の如き武芸者は、深く信ずるものがありそれを優先し生きている。

 一刀斎とは正反対の気質をしているらしい。

 とはいえ、世には人が砂粒すなつぶの数ほどいる。立場が違えば気質も変わる。

 そう考えればこの世の中に真逆な人間など、四方しほう八方はっぽう十六方じゅうろっぽう、そこら中に存在している。

「それより、このあたりで広い場所はあるか。この刀は借り物だから明日までに馴染みたい」

「うーん……、いや、三崎みさきは全体が港になってるからな、そういう場所はねえな。あっちに行けば森はあるけどな」

 そういって男が振り向き親指で北を指す。

 一刀斎は「そうか」と軽くうなずいた。

「ならそこに行こう。ではな」

「おう、明日楽しみにしてるぜ。なにかの縁だ、兄さんに賭けてやるよ!」

 踵を返し、潮風を受けながら歩みを進める一刀斎に、男は後ろから発破を掛ける。

 一刀斎はその声に振り返らず、片腕を軽く上げて応えただけだった。

「ほう……粋だねえ」

 しかし男は、無愛想ぶあいそうな一刀斎に顔をしかめることはなく、クツクツと笑いながらそのまま背中を見送った。


 森の中に入っても、木々にしおの臭いが混じっている。

 島育ちの一刀斎にとって、よくも悪くも潮の臭いには敏感だった。

 やはり、木々の匂いの方がいい。夏場のいきれた深緑しんりょくの香りは、心落ち着くものだった。

 島育ちとはいえ暮らしていたのは山の中だし、近江おうみでも暮らしていたのは山中だ。

 刀を振るうならば、林間が一番いい。あるいは神社の社中である。

「ふむ……」

 半刻ほど借りた大太刀を振るっているが、癖がなく扱いやすい。尺寸しゃくすんに対して身幅みはばが薄く、思った以上に振り抜ける。

 研師とぎしのところに置かれていただけあって、描く剣軌けんき剣閃けんせんは、日に当たって清く輝く。

「……さて」

 目蓋まぶたを閉じて、唐人・十官の動きを思い起こす。

 ただ直進するだけでなく左右にも大きく動き、時には跳躍ちょうやくさえもした。

 それでいてそのたいさばきと敏捷びんしょうさは捉えがたく、まるで空中を悠々と翔け往く黒竜こくりゅうだった。

 間違いなく、あの大陸の武芸者は大敵だ。京を出て二十年、培ってきた己の技を試すに相応ふさわしい。

 こころほのおが、ぽうっと揺れる。

 心地よい温かさが心中に生まれ、夏天かてん火輪かりんの暑さを忘れる。

 勝つ――。

 まぶたおどるる男に合わせ、一刀斎は技を振るう。

 林中にまで食い込んでくる、潮風しおかぜさえも斬り裂いて。

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