第六話 業火の利剣
「おまえが辻斬りなのか、
「
陣三郎の
一刀斎は
しかし、抜くことはなく。
「なぜ、お前のような男が辻斬りなど」
「決まっていまする。──天下一の剣士となるため」
「……なんだと?」
いつもの真面目くさった言葉尻で。しかし、吐かれる言葉は、
「先のお
刀を
「一刀斎殿、
一刀斎が首を
刀を抜き放とうとするが、
「──御身には失望した、一刀斎」
背に、
「人を斬ることを
陣三郎が
狙いは腕かと、足に力を込める。だが、
「
「ぐっ!?」
目の下
一刀斎は、大きく飛び
「
一刀斎は呼吸を整え、天狗と化した陣三郎を真っ直ぐ
人に戻せぬものかと、一縷の希望を抱きながら。
「大野殿から継いだ
「父の腕ではもう
「甲四郎に顔向けできるか」
「甲四郎には
「佐奈が、泣くぞ」
最後のその訊いに、陣三郎は目を細める。心の底から、
「だから、どうしたという?」
陣三郎は、言ってのけた。
「武の道を行けぬ女子を、どうして
一刀斎は、答えを聞いてはたと気付いた。
陣三郎は、
「貴様──!」
一刀斎は甕割を抜く。月明かりなどないはずなのに、その刀身は
甕割を燃やしているのは、
「やっと、その気になったか一刀斎!」
「貴様は、ここで斬る……!」
甕割を中段に構え、陣三郎へと斬り
両者の剣の腹が触れる。互いに
「そうだ、一刀斎! 意志を燃やし、そして手前の命を狙え! 相手を殺してこそ、相手をその足に斬り伏せ重ねてこそ、天へ至る道となるのだから!」
「黙れ!」
陣三郎の剣を、力任せに切り落とし、首めがけて突きを放つ。しかし。
「軽いッ!」
炎を
「くぅっ」
陣三郎の心は天狗道へと
一方、一刀斎はいまだ心が揺れている。吹き荒ぶその天狗風に、
ただただ、燃えるだけで。
「
「ぐ……ッ!!」
体の中心を、正しく
「違うな……」
今は、己の方が軽いのだ。ただ魂の炎だけが
自分は、このまま死ぬのだろうか。いや、自分が死ぬわけないのだと、思ったことは一度もない。死を感じたことは、
今度こそ、死んでしまうのか。いや、殺されるのか。
どうせ、死ぬなら。
「もう一度、見たかったな……」
あの
何より綺麗だった、小さな、花。
「赤……」
瞼に映った、赤い蓮華。しかし、それは一瞬で。頭を迸った一言で、赤い蓮華が炎に変わる。
『武ってのは窮めたらよ、そりゃあ、綺麗なモンが出来上がるんだぜ』
それはいつかの、雷を秘めた
『研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほどに、武は清められていくのよ。剣と、同じさあ』
目を開き、己が手に持つ刀を
『
『魂の炎を御すのだ。弥五郎』
己が最初に、先生と仰いだ男の言葉。そして続いて、響いたのは。
『剣とは心だぞ、弥五郎』
自由に羽撃く、大鳥の言葉。
──ああ、そうか。
「そうだったな」
今一度、刀を握る。
柄糸の細やかな凹凸が、手の小さなシワと異様に馴染む。
先程まで、心まで乱れていた炎が、直くと伸びる。
コレで終わりかと思いきや、意外な言葉が最後に出て来た。
『人が死ぬのはやるべきことが全部終わった時だ』
今はもう、顔も思い出せない男の言葉。その言葉も、どのような声音で放たれたかなど覚えていない。
――ああ、まだ、ならばまだ、おれは終わりではないだろうよ。
「陣三郎」
「む……!?」
今にも消えそうだった炎が、再び
いや、
だが、しかし、だというのに、今の炎の方が、大きく見える。
「さっき言ったな。斬り伏せ重ねてこそ、天に至る道になると」
一刀斎の訊いに、陣三郎は「然り」と頷く。
「人を斬り殺めてこそ、武は頂点へと近づけるのだ」
「そんなわけがあるか」
バッサリと、
一刀斎は、言葉を続ける。
「己を高めることなく、死体の山を
一刀斎が立ち上がり、刀を
その姿。天へと火の手を燃やす炎。いや、
「いいか、陣三郎」
陣三郎を見遣る目は、
「天下一の剣豪とは、最も強い者ではない。──
大上段を保ったままに、
陣三郎は、逆にその意気を飲み干してやらんと殺意の
武が綺麗なのだと
だが。
「なにッ」
振り下ろされる太刀を、巻き返せない。
全力で吹かしたはずの禍つ風が、逆に炎に飲み込まれかける。
無意識に、逃げるように退いた。
目の前で燃える炎の剣士。その熱に当てられて、身体中が熱く燃えるかのようだ。
陣三郎は、
「一、刀斎ィイイイイイイイイイ!」
まるで
その剣は乱れることなく、真っ直ぐ立てられた
間違いなく、その太刀は美しいものだった。「天下一」に届きうる、
「
陣三郎の荒ぶる剣を、一刀斎は
「なぜだ……! なぜ届かない!」
思わず、腹に貯めた気を吐き付ける。しかし一刀斎は、輝く瞳で陣三郎をただ見つめ、「当然だろう」と答えた。吹き荒ぶ風音の中にありながら、その声はよく通る。
「武と死に因果はないんだよ陣三郎。――それを
「黙れぇ!!」
刃の嵐は、より一層荒ぶった。これが
一刀斎もより意識を深め、
その
「こ、こちらです
「これは、なにごとだ!」
男が二人、
一人は実の息子であり、将来を楽しみにしていた陣三郎。
もう一人は残りの子ども達がよく
両者ともに真剣を抜いて、
「ま、まさか、今回の騒動は、
部下の一人の
見れば分かる。なにせ
なぜだ。と将善は
「なぜ
しかし斬り合う二人には、将善の言葉は届かない。
いや、届いてはいるが、反応する
陣三郎は魔道に堕ちた。だがその剣は
それを
だが。
「天下、一に」
陣三郎が、息を切らしながら声をあげる。
「人を斬り越え、天下一へと至るのだ!!」
同時に、最も剣の
相手の中心を
一刀斎もまた、大上段へ剣を構えた。
「……一刀斎殿ォッ!」
将善が、二人の気迫を割かんばかりに声を張る。
「陣三郎を……!
その言葉に、一刀斎の体が一瞬止まる。
しまった。と将善はハッとする。一刀斎の心を止めてしまったか。
ならその
「
陣三郎の剣が、
これで終わりだ。誰しもが、そう思った。しかし。
「
突風を、この
──そして。
「──ああ、そう、だったのか──」
陣三郎の
「これが、天下一に
甕割の
「ああ、これは──本当に──」
仰向けに、陣三郎は倒れ込む。叢雲がかかっていたはずの空は、いつの間にか晴れていた。
心に吹いていた禍つ風も、いつの間にか止んでいる。
頭に巣食っていた焦燥の虫も、先の剣に恐れを成して逃げていった。
身を
ああ、それにしてもさっきの切り落としは、
──きれい、だったなあ。
「
だから、気づかなかった。女房のその悲しそうな顔に。「お父上」としか言わなかったことに。
「……え」
その顔は、とても綺麗な夢でも見ているように穏やかで。
その肩の傷なんて、なんでもないという風なのに。
「……う、そ、や」
佐奈は、
甲四郎は、
「辻斬りに、やられたのですか……!」
「
甲四郎は
「……一刀斎殿は、
「そう、なのですね……、一刀斎殿が、兄上の、仇を……!」
「違う」
大野将善は分かっていた。これから言う言葉が、どれ程二人を傷つけるものなのかを。
だがしかし、言わないわけにはいかなかった。
なかったことにしたくはなかった。
一刀斎のその
「……その辻斬りとは、この、陣三郎だったのだ」
父のその言葉に、甲四郎は
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