ステージの幕は硝煙と共に

七荻マコト

ステージの幕は硝煙と共に

 バチーーーーーン!!!


 夜の湾岸沿いの人気の無い公園に平手打ちの音が鳴り響く。

「ばかっ!もう知らない!」

 大声を張り上げて女性はその場から立ち去った。

「おお~痛てぇ。本気で叩くなよな」

 男は赤くなった左頬を擦りながら独り言ちる。

 肩に掛けていたギターケースを街灯に立て掛けて置く。

 ボロボロの革ジャンの内ポケットから煙草を取り出し、愛用のジッポライターで火を点けようとする。


「この公園禁煙ですよ」


 唐突にセーラー服を着た女が声を掛けてきた。ボブショートの黒髪にクリッとした愛嬌のある瞳が気まぐれな猫を連想させた。

 男は一瞥した後、煙草に火をつけて息を吐いた。


「あの、聞こえてます?ここ禁煙なんですってば」

 なおも食い下がる女子高生と見られる女に、男は露骨に嫌な顔をする。

「うるせぇな、ほっとけ。傷心の時くらい好きに吸わせてくれ」

「盛大に振られてましたもんね、ふふっ」

 さっきの平手打ちを食らう所を見られていたようだ。

「さっきのは恋人ですか?」

 なんだか興味を持たれたようだ。正直鬱陶しい。

「さぁな」

 適当に返して煙草を吸い込む。


「じゃぁ、勝手に想像しますね。多分、貴方は売れないミュージシャンなんですよ。もう何年もインディーズ活動してるけど、全く芽が出ず、同棲してる彼女に『もう少しだけもう少しだけ』と言いながら、ヒモのような生活をずっと続けていて、その彼女にとうとう愛想を尽かされた…ってのはどうでしょう?」

「好き放題だな…」

「当たりです?」

「どっちでもいい、勝手に想像してろ」

「ぶぅ」

 拗ねた女子高生はそれでも興味深々で男を眺めている。

「じゃぁじゃぁ、ギター弾いてよ」

「ああ?なんで?」

「私が聞きたいから」

「却下だ」

「とか言って本当は弾けないんじゃない?やーい。格好つけの為にギター持ってるだけのなんちゃってギタリスト~」


 出会って間もないのにこの馴れ馴れしさはなんだ。

 最近の若い女はみんなこうなのか?


「うるせぇ、タダで弾けるか」

「幾ら出せばいいの?って私今手持ちそんなにないんだよね」

「なら、無理だな。諦めな」

 早くどっかへ言ってくれと煙草を燻らす。


「じゃぁ、体で払うよ」


 男は思わず煙草を落とした。

「ああ?何言って…」


 女子高生は、制服のスカーフをスルリと引き抜くと、人差し指を襟首に引っ掛けて胸を見せるように引き下げた。婀娜めいた目つきで艶めかしく舌なめずりまでしている。


「はぁぁぁぁぁぁ~」


 男は呆れて溜息を大きく吐いた。ボロボロの革ジャンを徐に脱いで、女子高生の肩に掛ける。


「自分を安売りすんじゃねぇよ。ったく、今回だけだぞ」

 仕方なくギターケースからギターを取り出す。


「へへ、ありがと」

 肩に掛けられた革ジャンを抱きしめるように握りしめた女子高生は照れたようにはにかんだ。

「革ジャン、くさっ」

「うるせぇ」

「でも嫌な臭いじゃないよ」


 男は返事もせずにギターをチューニングする。

 チューニングを終えて合図もせずに旋律を奏でる。


 今の気分はバラード。


 どうしてこうなってしまったのかと自問自答するような寂しいメロディ。

 静かな湾岸公園に人気は無い。


 街灯が可笑しな女子高生と草臥れた青年をスッポトライトの様に照らし、伴奏ともつかない明かりを降らせていた。


 歌詞もなくギターの音色だけが暗い夜の闇に落ちる。


 たった1曲、3分間ほどの短いステージは、もの悲しい風と共に終わりを告げる。


 男が曲を弾き終えると、


「依頼人は誰だ?」


 と女子高生に問う。


「それは普通言わないんじゃない?」


 と女子高生は返す。


「そうだな。あと少し、もう少しだったんだけどな、俺はどこで間違っちまったのか」


 静寂がその場を包む…。


 男はギターをケースに納めながら、ケースの中から銃を取り出して女子高生に向けようとした。


 その瞬間、男の額にぽっかりと穴が開いていた。


 女子高生の手にはサイレンサー付きの拳銃が現れており、硝煙が立ち昇っていた。


 崩れ落ち、物言わぬ屍と化した男を確認すると、女子高生はスマホを取り出して電話を掛ける。

『おう、俺だ』

「やっほー、終わったよ。ターゲット回収お願い」

『流石仕事が早いな』

「あ、そうそう。今回のターゲットって妹がいたんだっけ?」

『ん?確か心臓病の妹がいてその治療費の為に殺し屋になったって資料にあるな…。珍しいなお前がターゲットについて聞いてくるなんて』

「ん~、なんとなくね。私が接触する前に会ってた女って誰だろ?」

『こちらで監視してたカメラで確認すると、姉みたいだぞ。妹の心臓病の治療費が貯まったから姉に渡そうとして、無理したんじゃないかと逆に心配されて言い合いになったっぽい。いい姉じゃないか』

「そっか、恋人じゃなかったんだ」

『けど治療費が貯まったと言っても、ドナーが直ぐに見つかるとは思えないけどな』

「そうなの?」

『ま、世の中金ではどうしようもないこともあるわな』

「じゃぁ今さ、目の前に新鮮な心臓が転がってるんだけど、それ使える?」

『おまっ!本気で言ってんのかそれ』

「マジマジ、なんなら今回の報酬もその手間賃に使ってくれていいよ、ノーギャラでいいって言ってんの」

『まったく、腕は立つが面倒事ばかり押し付けてくるなお前は…』

「へへ。照れるな」

『褒めてねぇ!』

「で、お金足りる?」

『なんとかなるだろ。あ!足りない分はまた体で払うだの言うんじゃないだろうな』

「…私、もう安売りはしないことにしたの」

『けっ、結局なんだかんだ体で払ったことなんて無い癖によく言うぜ』


 女子高生は電話を切ると、肩に掛かっているボロボロの革ジャンの内ポケットから煙草を取り出す。

 慣れない手つきでジッポライターを点けると、そっと煙草に近づけて火を点す。


「煙草に火を点けるのって意外と難しいんだね」


 火を点した煙草を男の横に立てて置いた。


「最後のステージ、3分間のお代はこんなものかな。いい曲だったよ…」


 誰も気づかない内に人生の幕を下ろした男を弔う様に、煙草の火は燃え尽きるまで煙を空へと燻らせた。

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