第28話 生きているならそれだけで
――ふいに、僕らを覆っていた熱が消え失せた。熱さに息が詰まりそうになっていた僕は、被せられたスーツの隙間から入り込んできた冷たい空気を吸いこみ、咳き込んだ。
既に曽根崎さんの手は、僕の口から外れていた。それから数秒置いた後、ゆっくりと倒れるように彼の腕と体が離れていく。
僕は自由を取り戻した。
「……曽根崎さん!」
まだ、召喚された何かが残っているかもしれない。あるいは、曽根崎さんの凄惨な姿を見ることになるかもしれない。だけど、そんな想像を彼のスーツと一緒にかなぐり捨ててでも、僕は彼の名を叫ばずにはいられなかった。
そんな僕が振り返り、見たものとは――。
「おお、景清君。無事で何より」
――疲れたように座り込んで演台にもたれかかる、曽根崎さんだった。
え、無事なの?
「なんで生きてるんですか?」
「身を呈して君を庇っていた上司に吐いていい言葉じゃないぞ?」
「すいません。死んだだろうなと思ってたので……」
「生きのびたんだな、これが。まあ私も死んだかなと思ったが」
「なんで生きてるんですか?」
「まさかの二度目か。いいだろう、そこまで言うなら私の見解を教えてやる」
曽根崎さんは、僕の体を指差した。つられて見ると、あの気色悪い赤い模様に目が止まる。
「……それは、神の器たる生贄に描かれる、神を封じる模様だ」
「はい」
曽根崎さんの声は、やはり疲れ切っていた。
「つまり、神にとっては忌むべき模様である。今回現れた何かは、そんな君の体を避けたんだろう。……元々、召喚されるはずだった神とは違っていた気がするが」
「じゃあ曽根崎さんが無事だったのは?」
「君と接していたからだろうな。私を焼けば、忌むべき君も巻き込んでしまう」
「なるほど」
真偽のほどはわからない。しかし、これ以上納得のいく説明も無さそうだった。僕は頷き、埃を叩いて曽根崎さんにスーツを返す。
「要するに曽根崎さんは、僕を守るつもりが守られていたと」
「突然恩着せがましいな、君」
「J-POPの歌詞みたいですね」
「抱きしめられていたのは私だった、みたいなアレか」
「それですそれです」
「ふふふ」
「へへへ」
お互い顔を見合わせ、笑う。まるで事務所にいるような、緊張感の無い時間である。ひとしきり笑った後、僕は曽根崎さんの真っ黒な瞳を見て、言った。
「……僕を助けてくれて、ありがとうございました」
「何を言う。さっきの歌詞の話じゃないが、助けられたのはこちらだよ」
「曽根崎さんはそう思っているかもしれませんが、僕は今までの人生丸ごと救われたんです」
「……それだって、君自身の力だ」
曽根崎さんは、フイとそっぽを向いた。……あれ、照れてるのか? あの曽根崎さんが?
なんだか僕まで恥ずかしくなって、慌てて別の話題に変える。
「まあ、その代わりに三千万円の大借金を背負いましたが。本当どうしましょうか」
「知らんよ。借用書を受け取ったからには、せっせと返してくれ」
「数十年単位でかかりますよ」
「いくらでも待つって言ったろ。返しにきたついでに味噌汁でも作れ」
「振り込みじゃダメですか」
「味噌汁を?」
「そっちなわけないでしょ。ATMビッシャビシャになりますよ」
ちょっと考えたらわかるだろ、それぐらい。っていうか、なんで金より味噌汁優先してんだ。これから一杯十円ぐらい取ってやろうか。
「ま、そういう会話は後回しにして、とりあえずここから出るぞ」
「出られるんですか?」
「どうだろな。まずは確認してみないことには始まらない」
そう言いながら、曽根崎さんは僕に向かって手招きする。なんだ一体。
「立てない。肩を貸してくれ」
「僕も疲れてるんですが」
「私は左足を担当するから、君は右足を担当すればいい」
「余計疲れますよソレ」
ぼやきつつ、言われた通り僕は彼に肩を貸す。せーので立ち上がり、重さに少しよろけたが、なんとかバランスを取った。
そうして壇上から一望した景色は、すぐには理解しがたいものだった。
「……なんで、こんなことに」
白装束を着た教団員が、部屋のあちこちに十人ほどいる。それが全員へたりこんで、仮面をつけた顔を上に向けてぼんやりとしていたのだ。ひとまず、全員無力化していると判断してよさそうである。
そしてそんな教団員に囲まれるように、倒れている三人がいた。彼らを見つけた僕は、曽根崎さんを無理矢理引っ張ってそこに駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
一番右にいた人の肩を起こし、揺さぶる。それは、藤田さんだった。
「……景清?」
目を開けた藤田さんは、しばらく僕をまじまじと見た後、がばりと抱きついてきた。
「景清ー! 無事かお前! 良かった……良かった!!」
「わー! なんですかなんですか!」
頭をめちゃくちゃに撫で回され、僕は目が回りそうになる。その間にも、曽根崎さんは隣にいる二人の肩を叩いていた。
「起きなさい。もう怪異は去ったよ」
その言葉に、二人は跳ね起きる。そして僕に目を向けたかと思うと、藤田さんを押しのけるように僕を抱きしめた。
「景清! アンタなんかわかんないけど頑張ってたみたいね! ボクの下僕にしては、よくやったわよ!」
「すまん! 俺が油断したばかりに……! あんなヤツらに囲まれて、よく生きててくれた! もう、俺は……君に何かあればどう兄さんをやっつけようかと……!!」
「なんだか不穏な言葉が聞こえたぞ」
曽根崎さんがぽつりと不満を口にしたが、そんな事が気にならないくらい僕は混乱してしまっていた。
僕が生きて、ここにいる事が、これほど喜ばれるなんて。
胸の辺りが、じわじわと温かくなる。鼻の奥がツンとしたが、泣くのだけはどうにかこらえることができた。
これ以上、この人たちを心配させる事などできない。曽根崎さんだけじゃない。この人たちがくれたものが、どれだけ僕を支え助けてくれていたのか。
「……本当にありがとうございます。僕は、皆さんにずっと助けられてきました。僕の力が及ぶかわかりませんが、これから、少しずつ恩返ししていきます」
早口になりながらも、なんとかそれだけ言うことができた。これ以上話していては、涙が溢れてきそうである。
胸を押さえながら、僕は深呼吸をした。
しかし、返ってきたのは意外な反応だった。
「……恩返し?」
「焼肉?」
「すぐ柊は肉食いたがるよな。景清君、そんなのいらねぇよ」
「そうそう。オレらは、景清が生きてるだけで充分だから」
「アンタそれで通じる? いくらかマシになったみたいだけど、まだ自尊心アリンコでしょ? えーとね、そうね、別にボクらアンタから見返り欲しくてここに来たんじゃないのよ」
「おう。景清君が無事なら、別にいい」
「心配するのだって、景清が好きなら普通の事だよ。へーそうなんだ、ありがとー、ぐらいで受け取って」
「いっぺんに言われてよくわかんねぇだろ。まあ、君はこれ以上恩だの何だの背負わなくていいんだよ」
「下僕を導くのは主人の役割よねぇ。いっちょまえに偉そうに、アンタは心配しなくていーの」
口々に様々なことを言われたが、それでもう僕は限界だった。乱暴な優しさが、不器用な思いやりが、選んでくれた言葉から、ダイレクトに伝わってしまったのだ。
僕は、両手で顔を覆った。
「……びょい」
「びょい?」
「びぅべぇぇぇぐにゃるぅぅぅ」
「え、何何何怖い」
「大丈夫か景清君」
「腹が痛いのか景清」
「えぶみゃあずるぅ」
「心配するな。これは泣いているだけだ」
オロオロする三人に、曽根崎さんがフォローを入れてくれる。すいませんね、こんな泣き方しかできなくて。
だって、今まで、どうやって泣いていいかなんて、わからなかったんですよ。
意外と一番慌てている阿蘇さんが、僕の頭を撫でながらあれこれ言ってくれる。
「泣きやめよ、景清君。ほら、兄さんの顔面白いぞ? ああ、いつも通りか。えーじゃあ……藤田、なんか面白い話しろ」
「オレ? そんじゃ、大学生の時に阿蘇が酔っ払って座布団に向かって話しかけてた小噺を一つ」
「だからなんでお前はいつも俺の話をすんだよ! そんでもうオチ言っちまってるじゃねぇか!」
「男ってバカねー。ほら、こういう時は母性よ母性。甘えなさい、景清。なんならお姉様って呼んだっていいわ」
「行くだけ行ってみろ、景清君。そして後悔してくるんだ。彼女は手術も注射もしてないから、抱きしめてみたら普通に筋肉質だぞ」
「スリムって言ってほしいわね。そしてセクハラよ、シンジ。まるで抱いた事あるかのようなこと言って」
「なんだかソソる言葉が聞こえた」
「引っ込め変態。もう事件は解決したんだ。景清君に悪影響及ぼす前に、君はとっとと家に帰りたまえ」
泣いている僕の周りで、彼らはいつも通りである。それでも全員、どこかしら怪我をしてボロボロになっていた。
だけど、生きている。もう二度と会えないと思っていた人達が、目の前にいて、笑ったり、怒ったりしている。
良かった。
本当に、良かった。
「……景清君?」
曽根崎さんの声に返事すらできず、体は倒れていく。
ふつり、と緊張の糸が切れてしまったようだ。
ああ、今気を失ったら、皆の迷惑になるな。ダメだな、僕は。こんな最後の最後まで、世話になってばかりで。
起きたら、ちゃんと謝って、お礼を言おう。
大丈夫、それできっと、許してくれる人達だ。
信頼感と安堵に満たされながら、僕は遠のく意識を繋ぎ止めることなく、気を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます