第20話 「あれ、殴る」
空気のこもった、暗い部屋だ。所々に配置されてあるロウソクの灯りだけが唯一の光源であるので、部屋の全貌はわからない。
そして何故か、地下二階で聞いた呪文の斉唱がこの部屋でも流れていた。どうやら、あれはこの儀式の為のものだったようだ。
僕の後ろで、曽根崎さんが重たい扉を閉める。他の教団員を入れない為とかそういう事ではなく、単にキッチリしているだけである。
こんな時まで、この人はいつも通りだった。
「……景清君」
「はい」
「誰かがいる」
淡々と言い切った曽根崎さんだが、慎重に目を凝らして部屋の中央を見つめていた。徐々に暗闇に目が慣れてきた僕も、その姿を確認する。
僕らから少し離れた場所に、一人の人間が佇んでいた。
「……誰でしょう」
「まあ、こういう時は文明の利器に頼ろう」
一体何が出てくるかと思えば、ただの懐中電灯である。曽根崎さんは、その人間に懐中電灯を向けると、カチリとスイッチを入れた。
闇が取り払われ、そこにいる人物の姿が浮かび上がる。その人を見た瞬間、僕は驚きと恐怖で絶句してしまった。
「……父さん……!」
そこにいたのは、僕の父親だった。しかし、驚いたのはそれだけではない。
「……あれは……景清君に描かれている模様と、同じものか?」
曽根崎さんが言う。そう、ぼんやりと口を開けて立つ父の裸体には、僕の体に描かれてあるものとそっくりな模様があったのだ。
どういう事だ? 生贄は、僕だけのはずでは……。
「景清、お前のせいだ……」
父が虚ろな声で言った。僕は無意識に後退りしたが、すぐ後ろにいた曽根崎さんに肩を支えられ止められる。
「お前が大人しく生贄になっていれば……父さんは、こんな目に遭わずに済んだ……」
「……こんな目に、って?」
「見ればわかるだろ!! この模様だ!!」
父は、髪の毛を振り乱して、叫んだ。全身を引っ掻き、子供のように床を蹴る。
「お前を連れて来る事ができなかった罰に予備になれとアイツに言われて、こんな模様を描かれたんだ! 教祖様の孫だからって、女のクセにアイツは……! 僕と結婚したのだって、神の器となる子供を産みたかったからだと!? バカにしやがって!!」
――は?
父の言葉に、一瞬僕の思考が止まった。
――今、父さんは、何と言った?
「ま、待って。どういうこと?母さんが僕を産んだ理由って……」
「ああ!? 神の器にする為だとさ! ただそれだけの為に、僕と結婚し、お前を産んで、育て、生かしてきたんだよ!」
次々に父の口から出てくる言葉が、信じられなかった。
だって、ありえない。
そんなことの為に、子供を産んで、育てるとは。
ましてや、それが僕であるなんて。
僕は、震える声で父に尋ねる。
「……僕が生まれた理由が、この召喚の為、だって?」
「そうだ! お前が生まれた理由は、ここで生贄になる為だ! それ以外じゃ正真正銘の役立たずなんだよ! まったく、何のために高い学費や生活費を払ってきてやったんだか……! 器となると知っていたら、閉じ込めて最低限のメシだけ与えておいたのに! お前のせいでどれだけの金が無駄になったと思ってる!?」
怒り心頭でがなり立てる父の声に、僕は頭がクラクラした。立っていられなくなり、その場に崩れ落ちる。それでも、気が狂ったように喚き散らす父から目を離すことも、耳を塞ぐこともできないでいた。
あの時の母の言葉が、脳内で反響する。
――僕の中身には、何の興味も無い。
どうか、一時的な洗脳であんな事を言っただけであってくれ。僕は、そう願っていた。
だけど、違うのだ。
母が僕を産んだ理由は、ここで生贄として犠牲にする為。
父は、僕が生きてきたことを無駄な出費だと言い切った。
――僕がこれ以上生きていくことを、最初から誰も望んでなどいなかったのだ。
僕を支えていた何かが、折れる音がした。
「……父さん。僕は、努力、してきたんだ……」
届きはしないだろう。だけど、言わずにはいられなかった。
「認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて、すごく頑張ってきた。大学だって、父さんに言われて、勉強して入ったんだ。お前が、入れるような所じゃないって、言われたから。でも、父さんは、怒って、僕を家から追い出した」
だけど、大学をやめることはできなかった。そんなことをすれば、父に笑われるだろうと思ったからだ。奨学金とバイトの掛け持ちで、何とか一年半は過ごせた。そこから、先は――。
父は、汚いものを見る目で、僕を見下ろしていた。
「……だから、なんだ?」
「え……」
「父さんがお前を褒めないのは、褒める要素が無いからだ。いくらお前が頑張ろうと、僕の求める域にまで行っていない。それなら、褒めようがないだろう。……それはお前の努力不足だし、そもそもお前の才能を考えたらやるだけ無駄なんだよ」
「……父さん」
「景清! 命令だ、ここへ来い! そして生贄になるんだ! 最後ぐらい、親孝行をしろ!」
僕と同じ模様の父が、僕に命令している。それなのに、体に力は入らず、呼吸が荒く、浅くなっていく。
言うことを聞かなければ。僕は、その為に生まれて、その為に死ぬんだ。何故なら、僕の存在そのものに価値は無いと、僕を産み育てた人間達が叫んでいるのだから。
僕は、人ではない。ただのモノだ。
使い所の限られた、ただのモノなのだ。
「景清!!」
「……ごめん……立てない……ん、だ」
「なんだと!? よりによってこんな時に……! なんてお前は弱いんだ!」
「ごめ……なさ……」
動けない。立ち上がれない。僕はあまりに弱い。
望まれて、生きていたかった。ずっと、誰かに必要とされたかった。
それが、叶わないままに死んでいく。それは全て、僕が弱く、そうされるだけの価値が無かったからだ。
僕のせいなのだ。
「景清、来い!! 父さんの手を煩わせるな!!」
父が、今いる場所から一歩を踏み出す。ああ、近づいてきてしまう。僕は、殴られ、蹴られるだろう。そして、無理矢理連れて行かれてしまう。
だけど、僕の体は動かない。息ができない。苦しい。僕は、何もできない。
――曽根崎さん。
ふと、隣にいる彼の名が思い浮かんだ。
声は出なかった。出し方も分からなかった。
ただ、彼を見上げることしかできなかった。
「……呼んだか?」
それなのに、彼は、呼応するように、僕を見て、微笑んだ。
間違いなく、彼は微笑んだのだ。
「……曽根崎さん」
気づいたら、呼吸ができていた。僕には、自分の身に何が起きているのかわからなかった。
曽根崎さんの呪文か? いや、そんな類のものは扱えなかったはずだ。
曽根崎さんは、困惑する僕の頭に片手を乗せると、くしゃりと髪を撫でた。そして、思わず見惚れそうになるような微笑で、僕に言う。
「景清君、すまない。あれ、殴る」
返事をする暇もなかった。次の瞬間、彼は飛び出していたのだ。助走を付けて右拳に重心をかけ、思い切り父の顔面に殴りかかる。
スピードに特化した曽根崎さんの本気の一撃を父が避けられる筈もなく、呆気なく僕のトラウマは目の前で宙を舞ったのであった。
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