第19話 行こう
「……バールで後頭部はヤベェだろ……」
火薬の匂いをまとった阿蘇は、気絶した愛璃の息を確認した後、苦い顔で柊をたしなめた。対する柊は、可愛らしく小首を傾げている。
いやいや、誤魔化せねぇから。
「生きてたからいいものの、死んだらどうすんだよ」
「それアンタが言えた義理? 銃ぶっ放しといて」
「俺はいいんだよ。治すから」
取り急ぎ愛璃の右足を白装束の切れ端で止血し、余り布で適当に縛り上げる。これで、目が覚めても彼女が暴れ出すことはないだろう。
「……ほんと、因果な兄弟だこと」
「同情どうも。ほら、鍵。藤田下ろしてやってくれ」
「仕方ないわね」
阿蘇が投げてよこした鍵を受け取った柊は、磔にされた藤田の前までやってくると、その戒めを解く。ようやく解放された藤田は、力無く柊の腕の中に倒れた。
柊はそんな彼をしっかりと抱きとめ、優しく囁く。
「もう大丈夫よ。こんなに小汚くなるまで、よく頑張ったわね。……タダスケ、この子相当マズイわよ」
「知ってる。そこ寝かせろ。今から傷の様子を見る」
寝かされた藤田の服を愛璃の持っていたナイフで裂き、状態を確認する。
「……外から見て分かるぐらいに腕の骨が折れてる。酷い痛みだろうな。内臓位置で内出血もある。……もう全部治すか」
「できるの? できたとしても、アンタへの負担が尋常じゃないわ。既に一回、瀕死レベルの怪我を治してるってのに」
「こいつが死ぬよりいい。それに、全部治すったって明らかに問題ない箇所は飛ばす。……まあ、それでも」
阿蘇は、柊に向かってナイフを渡した。そして、冗談めかしたように笑ってみせる。
「あんまりヤバそうだったら、俺を殺してくれ」
「……バカね」
「バカばっかりなのは今更だ。俺もこいつも、お前もな」
藤田に向き直り、阿蘇は深呼吸をした。それから藤田の腹部に手をかざし、小声で何かを呟き始める。間も無く、肉が酸で溶けるような異臭と共に、内出血の影が薄れ出した。
藤田の頭付近でしゃがみこんだ柊は、首元のネックレスごと、ナイフを握りしめていた。
「……あ、そ……?」
意識を取り戻した藤田が、阿蘇のいる方向をぼんやりと見る。しかし、藤田の折れた腕を治す作業に取り掛かった阿蘇は、彼を見向きもしない。胃が握り潰されるような吐き気に耐えながら、凄まじい理性で狂気を抑え込み、呪文を唱え続ける。
腕は、柊の見守る中でみるみる内に修復されていく。それは、紛れもなく人の領域を超えた治療だった。
突如、阿蘇は磔台を拳で殴りつけた。何か異様な力が宿っているのか、それは枯れ木のように容易くへし折れてしまう。
それでもなお、阿蘇は呪文を唱えることをやめない。彼は、藤田の顔に手をかざした。
そこで、初めて動きが止まった。
「……ナイフ」
「え?」
「ナイフ」
阿蘇は、唸るように言った。意味が分からず戸惑う柊に、藤田が弱々しく声をかける。
「……ナイフで、阿蘇を刺せってさ」
「は? なんでそんなこと……」
「貸して」
藤田は、治りたての腕で柊からナイフを奪い取る。そして一瞬間を置いた後、阿蘇の腕に突き立てた。
「がっ……!!」
「すまん、阿蘇。オレで良けりゃ、後でいくらでも抱かせてやるから」
ふざけた藤田の発言に、阿蘇は正気の芯が戻った目をギロリと向ける。
「いつも……抱いてるかのような……発言やめろ……!」
「オレ、外堀から埋めるタイプなんだ」
「治すのやめるぞクソが……」
いつものやり取りの後、阿蘇は、再び藤田の顔に手をかざす。彼の腕から垂れた血が、藤田の顔を濡らしていく。数分後には、すっかり元通りの端正な顔に戻っていた。
阿蘇は、藤田の体から離れ、大きく息をつく。
「……一応……全身、軽く治してる。重傷っぽい所は、特にやった、けど……どうだ?」
「ん、動ける。ありがとう、阿蘇」
「そうか……」
よかった、と、阿蘇は口の動きだけで言った。藤田は起き上がり、肩で息をする阿蘇の体を支える。
「腕、どうする?」
「無理。余裕ない」
「じゃあ血だけでも止めよう。姉さん、借りるね」
藤田は姉を縛る白装束を裂き、阿蘇の腕に強く巻いた。じんわりと滲む血を見ながら、藤田は頭を下げる。
「……阿蘇、柊ちゃん、本当にごめん。オレを助けに来てくれたばっかりに、こんな事に……」
「……お前はついでだ、バーカ。メインは、景清君だよ」
「ボクなんて、男の真似したのと、録音してた集団の足音を流しただけよ」
「いや、この女バールで殴ってるだろ。サラッと無かったことにすんな」
「不思議よね、体が勝手に動いたの。怪異だわ」
「なんでも怪異のせいにするんじゃない」
目の前で二人の友人が繰り広げる会話を、藤田はじっと聞いていた。
――愛しい光景だ。
動いている。紛れもなく、自分も、彼らも。
オレや景清を助ける為に、危険を顧みず助けに来てくれた優しい人たちが、ちゃんと息をしている。
その事実が、どうしようもなく愛しかった。
ふと、過去の記憶が蘇る。
「……お前に価値が無いなんて、絶対に無い。現にオレは、お前が傷ついていることが辛いよ」
あの日、幼かった甥を抱きしめて伝えた言葉だ。甥の体には所々痣があり、誰にも好かれるようにと貼り付けた笑顔が痛々しかった。
「世界は広いんだ。血の繋がりが無くったって、景清を受け入れてくれる人がいるかもしれない。景清が生きているだけで、勝手に元気になる人がいるかもしれない。今は死ぬほど辛いけど、生きていれば大人になれる。生きていれば逃げられる。だから、景清」
オレは、この世界で救いようがないほどにひとりぼっちだった甥に、泣きながら言った。
「……頼むよ。死にたいなんて、言わないでくれ」
景清は、ただ抱きしめられているだけで、否定も肯定もしなかった。
――思えば、よく笑うようになったものだ。
きっと、ようやく自分の居場所と思える場所を得たのだろう。
「……景清を、事務所に帰してやらないとな」
藤田は、ぽつりと呟いた。それに、阿蘇と柊は強く頷く。
「そういやポーカーの途中だったんだよな。次の罰ゲームも考えとかないと」
「何それ、ボクも混ぜなさいよ。最高のひと時にしてあげるわ」
「やだよ、お前顔に出るじゃん」
「じゃあ神経衰弱は? 柊ちゃん、いいだろ」
「ダメよ、シンジが圧勝して終わる」
「ああー……あの人そういうとこあったね。それじゃ、帰るまでに別のゲーム考えとこうか」
三人は、立ち上がった。そしてお互いに視線を交わし、壊れた扉に目を向ける。
「行こう」
誰ともなく、そう言った。
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