第16話 祈るように君の名を

「あああああああ!!」


 薄暗い部屋に、女のヒステリックな叫びと何かを激しく鞭打つ音が響く。それらに紛れるように、男の声が漏れた。


「痛いなぁ、姉さん……」

「あああああ!! 殺す!! 殺す!!」

「ぐっ……」


 磔にされた藤田の体に、鞭が叩きつけられる。一瞬痛みに顔をしかめるも、彼はまた顔を上げて自分の姉――竹田愛璃たけだあいりを見つめた。

 その顔には、薄っすらした笑みを貼り付けて。


 それが気に入らず、また愛璃は鞭をしならせる。だが、彼女の加虐心を満たすには足りず、遠巻きに見る白装束達に向かって叫んだ。


「お前ら! こいつは背信者だ! 殺せ! 痛めつけて苦しめて殺せ!!」

「……お言葉ですが、直和様は我ら教祖様の元後継者です。時間が経ち血が抜ければ、教祖様はまた直和様を跡取りに戻すおつもりだとの噂も聞いたことがあります。そんな彼に、我らが手を出すことなど……」

「元後継者? だから何!? こいつは景清になりすましてアタシ達を欺いたんだよ! そもそもアタシを誰だと思ってるんだ!? アタシだって、教祖様の孫なのに!!」

「……」

「ムカつくムカつくムカつく! アタシは教祖様の孫である上に、神の母となるのよ!? なんでアタシを尊重しないの!? 本来なら、あんた達なんかと同じ目線で話していい存在じゃないのよ!!」


 愛璃のヒステリーは、ますます激しさを増し、そのたびに藤田に鞭が向けられる。だが、藤田は変わらず薄ら笑いを浮かべていた。どこか不気味で、いっそ尋常でない彼の態度は、いよいよあの教祖の後継者たる存在なのだという確信を教団員達に抱かせた。

 そのことを察した愛璃は、彼らの目を覚まそうと一際強く藤田を打ち付ける。


「早く加われ! でなきゃ、私の景清をここに連れてこい!!」

「神たる器の捜索は、別の同胞が行なっております。我らの使命は、ここで器の精神を殺すことです」

「このアタシが命令してるんだ! 聞け! 聞け!」


 愛璃は、地団駄を踏んで喚いた。――こんな所で、長年の野望が潰えてなるものか。彼女の噛み締めた唇からは、今にも血が吹き出しそうになっていた。









 何故、愛璃がここまで生ける炎の手足教団に入れ込んだか。きっかけ自体は、取るに足らない些細なものである。

 幼少の頃、たまたま読んだ本に世界の全てが書かれてあった。――この世界は醜く、不平等で、悪意に満ちている。神の炎はそれら不浄を一切燃やし尽くし、やがて選ばれた民による新世界を創り上げるだろう――。その本は、幼かった彼女の心を鷲掴みにした。

 しかし、すぐに両親に取り上げられてしまった。「どうしてまだこんなものが」「忌々しい」二人はそう言うと、愛璃の目の前でその本を破り捨てた。


 なんて醜い人達だろう。

 きっと、アタシの両親はこの世界の不浄なんだ。


 それから、ずっと彼女は教団に入ることを夢見ていた。そしてそれは、思わぬ形で叶うことになる。


 数年経ったある日、教団員の一人が家を訪ねてきた。曰く、父に後継者となるよう要請に来たのだという。


「……なぜこの場所がわかったんだ」

「我ら生ける炎の手足教団から逃げることなど不可能です。どうか、後継者としてお戻りを」

「断る。家族にも手を出すな。知っての通り、うちには娘しかいない!」

「……」


 父が嘘をついていることが、愛璃にはすぐにわかった。何故なら、もうすぐ三歳になる直和がいたからである。


 憧れ続けた教団だ。だから、高校生だった愛璃は、肩を落として帰ろうとするその教団員に声をかけた。


「ねぇ、アタシを後継者として連れて行ってよ」

「駄目だ。女では血筋を継承できない。教団員としてなら喜んで迎えるが、後継者としては不可能だ」

「なんで? 父さんや直和は男ってだけでそんなに偉いの?」

「……直和?」


 教団員の目が光った。そのことに気を良くした愛璃は、意気揚々と答える。


「私の弟よ。父さんはいないって言ってたけど、嘘よ。本当はいるの。でも、まだ三歳にもなってないから、やっぱり後継者としては私――」

「そうか」


 愛璃の言葉を最後まで聞かず、男は呟いた。


「ならば、もうあちらは不要だな」


 男は、必死でアピールする愛璃を置いて帰って行った。打ちのめされた彼女は、その日一日まともに食事が喉を通らなかった。


 ――数日後、両親が死んだ。居眠り運転で、ガードレールを突き破って崖から落ちたのである。愛璃は悲しいと思わなかった。何故なら、両親は不浄だったからである。


 その日は、ちょうど直和の誕生日だった。


 愛璃と三歳になった直和は、祖父に引き取られた。その祖父こそ、生ける炎の手足教団の開祖――竹田龍三郎だった。

 愛璃は歓喜した。運命的なものを感じ、両親の突然の死に感謝さえした。自分は、この素晴らしい教団で、教祖様の血縁者として崇められるのだと。


 しかし、そうはならなかった。

 教祖の後継者として崇められ、尊重されたのは、弟の直和の方だったのだ。


 愛璃は蔑ろにされることこそ無かったが、一教団員以上の扱いを受けることも無かった。それは、愛璃にとってこの上なく屈辱的なことだった。


 私は、選ばれし者なのに。

 どうして、こんな有象無象の教団員と同じ扱いを受けなければならないのだ。


 腹に据えかねる思いを抱えていた彼女は、どうにかして自分の価値を高めようと考えた。その為に、日がな一日書庫に引きこもり、毎日のように大量の本を漁った。


 そして、そこでとうとう見つけたのだ。

 教団が信仰する神――クトゥグアの召喚方法が記された本を。


 神を召喚者の思うがままに操る為には、拷問により精神を殺した人間を用意し、そこに封じなければならない。愛璃はその一文を読み進める中で、世にもおぞましい考えを閃いた。


 ――その人間を自分が産み落とし、育て上げて教団に引き渡せば、自分は神の母たる存在になれるのではないか。


 そうすれば、自分は神の母として教団の中で確固たる地位を得ることができる。他の教団員より、抜きん出た存在になることができるのだ。


 愛璃は、すぐに計画に取り掛かった。まず、教団内で適当な男を見繕い、結婚した。なるべく劣等感が強く、才能が無い割に自己顕示欲が強い男が良かった。そういう人間である方が、何かと都合がいいからだ。

 そして、子供を授かった。最初はただただ面倒だったが、この先に自分の栄光があると思うと頑張ることができた。

 しかし、将来的に精神を殺すことを考えれば、できるだけ打たれ弱く脆い方がいい。そう考えた愛璃は、あえて息子を追い詰めるような言葉を使うようにした。見た目は同情的で、息子の為を思っているように取り繕って。

 だが、時として夫となった男は、やり過ぎるようだった。暴力のあとを見つけられた息子は、何度か施設に連れて行かれ、そのたびに取り返すのに苦労を要した。


 そんな血の滲むような長い努力の末に、ようやく愛璃は景清を教団に差し出せる事となったのだ。


 ――けれども、また弟が邪魔をする。

 後継者という、喉から手が出るほど欲しかった役目を投げ捨てた、弟が。


 憎い。

 憎い憎い憎い憎い憎い!!


「……つくづく、母親としても人間としても最低だよねぇ。心から哀れに思うよ」


 なお気に食わない微笑を続ける弟は、愛璃を見上げた。強烈な鞭を受け続けたせいで服は所々破れ、その下からは血が滲んでいる。


「そんでもさ、姉さんは、オレとよく似てる」


 彼は、左手首につけてある紫色の石がついたブレスレットに目をやり、抑揚無く言う。


「オレもね、そうなんだよ。昔からずっと、渇望してきた。捨てられたら良かったんだけど、ダメでさ。……どう足掻いたって、手に入りゃしないのに」

「突然何よ。あんたとアタシが似てるわけないでしょ!」

「いや、似てるよ。そっくりだ。ただ、オレは行動に移していないだけで」

「行動?」


 ただならぬ藤田の様子に、愛璃はつい聞き返してしまった。藤田はうつむき、彼女には理解しがたい感情を込めて言う。


「追い詰めて、脅して、すがりたかった。それで自分のものになるなら、そうしたかった。だけど、オレの抱いた感情以上に、その存在は大切だった。……それだけだよ」

「……はぁ?」

「気にしなくていいよ、独り言だから。姉さんはここでオレを殺すつもりだろ?いいよ。オレの中には、姉さんや教団が思う以上に色んな血が流れてる」


 藤田は、やはり笑っていた。


「……もう、取り返しなんてつかない」


 彼のこの一言に激昂した教団員の一人が、叫びながら棒で殴りかかった。それを合図としたように、一斉に白装束が藤田に群がる。

 だが、今や愛璃は、この弟を肉体的により精神的に追い詰めたくなっていた。鞭を打って教団員を散らし、意識が朦朧となった藤田の顎を人差し指で支える。


「……ねぇ、あんたは知ってるのかしら?お友達の阿蘇君について」

「……そいつが、何?」

「あの子ね、もう死んでるのよ」

「……!」


 潰れかけた藤田の瞳が、驚きで波打った。ようやく得た望ましい反応に口角を上げながら、愛璃は言う。


「景清の居場所を教えてくれた協力者が、ついでに殺したって聞いたわ。背中から胸を一突き。可哀想なことに、最後は目すら見えなくなってたって」

「……嘘だ」

「嘘なわけないでしょう。何なら、周りにいる私達の同胞に聞いてみたら?」

「……」


 藤田は何も言わない。愛璃は、嬉々として続ける。


「あんたは敢えてアタシ達を挑発して自分を殺させることで、殺人犯として裁かせようとしたんでしょ? 二度と、景清に手を出せないように。……でも残念だわ。儀式は成功するし、不浄は焼き尽くされるし、あんたは友人の死に目にあえずここで死んでいく。絶望でしょ? 絶望よね? ――でも、アタシの絶望はこんなもんじゃなかったわよ!!」


 愛璃の手に、鉄パイプが握られる。彼女はそれを、藤田の頭目掛けて振りかぶった。


 藤田は、動けなかった。息すら、できなかった。


 愛璃の奇声と暴力的な歓声の渦に飲まれながら、ただ一人にしか届かない声で、彼はその言葉を落とした。


「……


 ――その名は、まるで祈りだった。


 突然、銃声が闇を切り裂いた。ほぼ同時に、厳重に鍵をかけられていたはずの扉が、勢いよく開かれる。


 目の眩むような光を背負って立っていたのは、一人の男。


「よぉ」


 彼は警察帽のつばを持ち上げて、よく通る低い声で言った。


「助けに来てやったぞ、


 突如として登場した国家権力に、教団員は怯んだ。そんな中、ボロ切れのようになった藤田は、表情をこわばらせる姉にぽつりと告げる。


「……あんなことされてみてよ」


 藤田の顔が歪んでいる。さっきまでそうなる事を望んでいたはずであったのに、愛璃は全く愉快ではなかった。

 そんな姉の様子には気づかず、藤田は光を見つめたまま言う。


「神だの信仰だの、心底馬鹿馬鹿しくなるだろ」


 彼の頬を、一筋の涙が伝った。

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