第15話 ならば地獄へ

 走る。走る。曽根崎さんの手を引いて、迫り来る教団員を押し退け、なりふり構わず、走る。

 どこに逃げればいい。そうだ、まずは階段だ。階段を使えば、確実に出口に近づく。


 必死で辺りを探る僕の真上で、機械的な声がした。


「――神の器が逃亡した模様。至急確保し、祭壇に連れてきたまえ。器さえ確保すれば、共にいる人間の生死は問わない」


 どこかにスピーカーでもあるのだろうか。その命令を合図に、教団員は各々隠し持っていた武器を持って襲いかかってきた。狙いは、曽根崎さんだ。


「曽根崎さん、危ない!」

「――!」


 目を潰されている曽根崎さんに、包丁が迫る。クソッ、間に合うか。

 僕は、彼をぐいと引き倒す。しかし、僅かに遅かった。包丁は曽根崎さんの肩口を掠め、スーツの切れ端と血が飛び散る。痛みに状況を察した曽根崎さんは、不気味な音を持つ言葉を口にした。

 すると、包丁を持っていた教団員は、戸惑うようにキョロキョロと首を動かし始める。


「……数秒間の記憶を消した。今の内に逃げるぞ」


 曽根崎さんは、うっすらと目を開けていた。しかし、まだよく前は見えていないようである。


「曽根崎さん、呪文を使っては……!」

「これぐらいなら平気だ。今は君もいるしな。行くぞ」

「……はい!」


 再び、手を掴んで走り出す。――身体の自由を奪う呪文に比べれば、さっきの呪文が彼の精神に及ぼす影響は少ないのだろう。しかし、平気な訳がない。現に、走るのが得意なはずの曽根崎さんから、荒い息が聞こえてくる。


 それでも、どうか耐えてくれと願った。

 何としてでも、二人で逃げ切らなければならないのだ。


 何度か教団員に襲われながらも、そのたびに曽根崎さんが呪文を使ったり、僕がブチのめしたりしながら、前進する。そして三つ目の角を曲がった時、ようやく階段を見つけた。


「曽根崎さん、階段を下りますよ!」

「……階段?」


 怪訝に聞き返す曽根崎さんの腕を強引に引っ張り、階段を駆け下りる。お経のような斉唱に満ちた階を素通りし、更に下へと駆けていく。


「待て、景清君! 君はどこに向かってるんだ!?」


 焦ったような曽根崎さんの声に、僕はようやく足を止めた。気づけば、既に追手の姿が無くなっている。

 息を切らせて、僕は曽根崎さんに言う。


「外に向かおうとしています。ここは建物の中ですよね? なら、出口は一階にあると判断したんです」


 曽根崎さんの唇が歪んだ。しかしその目は、驚きに見開かれている。

 ――僕は、何か致命的な失敗をしたのではないか?

 異変を察した僕が何かを問う前に、彼は答えてくれた。


「……景清君、ここは、ただの建物じゃない。――地下室なんだ」

「……え?」

「つまり、出口は上にある。……すまない。もっと早く確認しておくべきだった」


 一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。しかし、ジワジワと自分が犯してしまった過ちを理解するにつれ、僕の顔から血の気が引いていった。


「すい、ません……僕……」


 階段を見上げる。そこには、僕らを追っていたはずの白装束達が、仮面を並べて見下ろしていた。まるで、蟻地獄に落ちた蟻を観察する、好奇心旺盛な子供のように。


 恐怖で、脳が痺れてくる。目の前の光景に立っていられなくなり、僕はよろけてしまった。


「落ち着け。ちゃんと息を吐け」


 その背を、曽根崎さんが支えてくれる。僕は、そんな彼の顔を見ることができなかった。


 僕のせいだ。他でも無い僕が、この人を袋小路へと突き落としてしまったのだ。


「……景清君。大丈夫だ。自分を責めるな」

「……だっ、て……僕、が」

「大丈夫、大丈夫だ。まだ私がいるだろ」


 それがどれほどの根拠になるというのか。よろよろと、僕はようやく曽根崎さんの顔を見た。

 催涙スプレーから回復したのだろうその目は、こんな状況だというのに、不思議と強い光を放っていた。


「まず、二人とも生きている。私は殺してもいいとの指示が出ていたにも関わらずな。君は最善を尽くしたんだよ」

「でも……怪我、を……」

「どっこい、私の痛覚はとても鈍い。君が想像するほどの痛みじゃないさ」

「……だけど…この、ままじゃ……」

「それは今から考える。そうだな、いっそのこと……」


 曽根崎さんの足元に、包丁が刺さる。どうやら、見下ろしている教団員は、なおも彼を狙っているようだ。


「……いっそのこと、中に入ってしまうというのは、どうだ?」


 曽根崎さんは、僕の背に隠れながら親指で馬鹿でかい扉を指した。扉は重厚な作りで、炎の神をかたどったような、おどろおどろしい模様が彫り込まれている。


 ここに、入るというのか? しかし、それでは……。


「ああ、君という最後のピースが揃うんだ。召喚の儀式は、いよいよ大詰めを迎えるだろうな」

「……!」

「だが、手が無いわけじゃない。何なら、全部台無しにしてやることだってできるかもしれない」


 曽根崎さんは、笑っていた。最初は虚勢なのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 僕は、曽根崎さんに尋ねた。


「本気で、言ってます、か」

「君にならわかるだろ」


 そりゃわかりますよ。でも、あなたの口から聞きたいんです。

 曽根崎さんは、扉に手をかけた。仮面の集団から僕を盾にしているのが絵面的に心底情けないが、何せこれが僕らにとって最も正しい答えなのである。この人、万人ウケするヒーローにはなれないな。


「……僕には、地獄への扉のように、見えます」

「最近の地獄には君がいてくれるんだな。ぬるいことだ」

「またそういう事を言う」


 まあ確かに、一人で地獄に落ちるより、曽根崎さんがいるだけいくらかマシかもしれない。

 扉の向こうへの恐怖に口角が上がっている曽根崎さんは、目を閉じて強がった。


「何とかなるだろ。最悪君と死ぬだけだ」

「ほんとに最悪じゃねぇか」

「ふふふ、それじゃ、行こう」


 曽根崎さんの軽い一言に、僕は頷いた。そして、上から降り注ぐ仮面の視線の中、僕らは扉を開け放ち、暗闇の中に足を踏み入れたのだった。

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