第14話 狂人の懺悔

「……どうして、一人で逃げなかったんだ」

「なんででしょうね。多分、曽根崎さんが助けに来てくれた理由と一緒ですよ」

「……このお人好しめ」

「お互い様でしょ」


 曽根崎さんはまともに動けないのか、僕の肩にもじゃもじゃ頭を乗せたまま喋っている。きっと、まだ正気と狂気の境にいるのだろう。さっきよりは格段にまともだが、どことなく声に覇気が無い。

 曽根崎さんは、長いため息をついて、僕に言った。


「……君に、懺悔しておかないといけない事がある」

「懺悔ですか?」

「私が君を側に置く理由だ」

「ああ、以前はぐらかされた」

「あの時はすまなかった。真実を知ってしまったら、君が離れるんじゃないかと思うと恐ろしかったんだ」


 重たいな、この人。色んな意味で。

 曽根崎さんを真似るように、僕は大袈裟にため息をついてみせた。


「離れるか離れないかは聞いてから決めるので、話してみてください」

「わかった。すまない」

「えらく弱気ですね。それともこっちが本性ですか?」

「……俺は、元々こうだよ」


 曽根崎さんの一人称が変わった。やはり、狂気に引きずられているのだろうか。

 彼は僕の肩で身動き一つ取らないで、言葉を零していく。


「景清君。君は、俺の正気の錨だったんだ」


 聞き慣れない表現に、僕は思わず曽根崎さんの方を向いた。そのはずみで彼がずり落ちそうになったので、慌てて支える。


「なんですか、正気の錨って」

「俺はかつて、とある教団の事件に巻き込まれた。そこでうっかりドジを踏み、神に捧げられる生贄となった。まさしく、今の君のように」

「はい」

「その時に、黒い男に出会った。男は、俺を助ける二つの呪文を授ける代わりに、 “ 玩具の試練 ” を課してきたんだ」

「玩具の試練?」

「そう。黒い男が仕掛けるゲームに対し、力や知恵、呪文を駆使していかに乗り越えていくか。それを男に見せる、ロクでもない舞台の主役となることだよ」

「……曽根崎さんは、それを受けたんですか」

「受けた。他に道は無かったんだ」


 曽根崎さんの額が乗っているにも関わらず、何故か僕の肩は冷たいままだった。それが恐ろしく、僕は曽根崎さんを支える右手に力を込めた。

 曽根崎さんはやはり何の反応もせず、淡々と続ける。


「授かった呪文は、 “ 記憶を曇らせる呪文 ” と、 “ 相手の自由を奪う呪文 ” の二つだった」

「強力ですね」

「そう、強力だ。人間ではあり得ない、神の如くの能力。……それは使うたびに、限りある命を持つ脆弱な人間の精神を削り取っていくものだった。特に、自由を奪う呪文。範囲や人数が広がれば広がるほど、俺の正気は闇に絡め取られていった」


 なるほど。僕を助けに来てくれた時のあの詠唱は、その呪文だったのか。あの場所にいた全員に呪文を連続でかけた事で、曽根崎さんの精神が耐えきれぬほどのダメージを受けたのだろう。


「狂気は、少しずつ俺の日常を脅かしていた。まずは、眠れなくなった。それから少しずつ感情表現がずれ、味が分からなくなり、暑さや寒さ、痛みすら感じにくくなっていった。……俺は、自分が消えていくのが怖かった。だから、敢えてこの人格を作ることで、なんとか持ち堪えようとした」

「それが、今の曽根崎さんのルーツなんですね」

「……それでも、狂気は加速していく。呪文を使わないように、正気を保つようにしていても、黒い男のゲームに誘われまた落ちていく。このままでは、遠くないうちに私は完全に正気を失うだろう。……そう思った私は、自分の中にではなく外に錨を下ろすことにした」


 どれほど呪文を使い狂気に飲まれたとしても、また日常に帰ってくることができるように。正気を保っていられるように。

 その対象となったのが――。


「……僕だったんですね」

「……誰でも良かったんだ。その人の前では、絶対に正常であり続ける。呪文が使える事は悟らせず、ゲームに巻き込まれたとしても、必ずその人のいる場所に帰ってくる。それが、ただのアルバイトとしてやってきた君に、私が押し付けた役割だ」

「……」


 僕は、黙ってしまった。――曽根崎さんの震える声が、あまりにも痛々しかったからだ。


「……君を連れ回してしまったのは、私の弱さだ。私は自信が無かったんだ。君無しで、正常でいられる自信が。それが結局、君を黒い男に会わせ、挙句こんな場所にまで連れてきてしまった。……謝っても、謝っても足りない。君は今まで幾度と無く私を助けてくれたというのに、私は、君の人生を狂わせてしまった」

「……曽根崎さん」

「すまない。失望してくれて構わない。離れてくれても構わない。だが、今だけは、私の指示に従ってくれ。必ず、君を日常に帰すから」


 曽根崎さんは、僕の腕を掴み、まるで懇願するように言った。……後悔と罪悪感が、声から、手から、震えから、滲み出ている。


 この人、どれだけ苦しんできたんだよ。


 それに僕は、どう返せばいいだろう。下手なことは言えない。却って彼を責めかねないからだ。慰める? いっそ怒る? 困ったな、どうしてくれようか。


 悩んだ僕が出した答えは――。


「オッケーです。それじゃ、これからどうすればいいか指示をください」

「……かっるぅー……」


 あっさり受け入れ、親指と人差し指で丸を作ってみせることだった。

 予想外の反応だったのだろう。曽根崎さんは、ようやく僕の肩から頭を上げた。


「え? 普通そんなに軽く返せるか? 人の懺悔聞いといて?」

「別にどう受け取ろうと自由でしょ。僕は、曽根崎さんが落ち着くまで話聞こうと思ってただけなんで」

「いやいや、それでもだろ。いいのか?君が知らないうちに勝手に重たいもの押し付けられてたんだぞ?」

「でもお金貰ってますし……」

「資本主義の申し子かよ……」

「まあ、曽根崎さんの話聞いてたら、そうなっても仕方ないのかなと思いました。正直もっとエグいの予想してたので、肩透かしをくらったぐらいです」

「さっきの私の話よりエグい予想って逆に何?」


 いつもの曽根崎さんである。狂気にも過去にも染まらない、僕の知る妙な三十路の雇い主だ。


 ――別になんだって構いはしないんですよ。僕にとっては、アンタがそこにいれば、それで。


 しかしまだ曽根崎さんはモダモダ言うので、面倒くさくなった。僕は曽根崎さんの胸ぐらを掴み、言ってやる。


「それじゃあ僕も告白します。あの時あしとりさんに曽根崎さんを差し出さなかった理由は、僕の見る世界からアンタが消えるのが我慢ならなかったからです」

「え? あしとり……え? いや、今、え?」

「はい、僕も懺悔しましたよ。これでおあいこです。以上終了。わかったら早く逃げましょう。指示ください」

「どう見ても懺悔の態度じゃないだろ……。さっきの話、もう少し詳しく聞きたいんだが」

「却下します。つーかもうアンタ元気だろ」


 正気に立ち戻ったのなら、これ以上ここにいる理由は無い。藤田さんが時間を稼いでくれているのだ。急がなければ。


「……話を聞いてくれてありがとう、景清君」


 曽根崎さんは、着ていた白装束を脱ぎながら言った。


「不思議だよな。君といると、自分が狂いかけている事を忘れるんだ」


 彼の声は、場違いなほどに穏やかだった。 それに心を乱された僕は、やっぱり憎まれ口を叩いてしまう。


「……結構、普段から本腰入れて狂ってますよ」

「え、マジで?」

「ええ。僕まで狂気に落ちたらどうしてくれるんですか。慰謝料を請求します」

「隙あらば私の財産絞ろうとするのほんとやめて」


 ……この人、平気でこういうこと言うんだもんな。だけど多分、本気なのだろう。そんな事を言われたら、僕の性格だとつい軽口を叩いてしまうに決まってる。そろそろわかって欲しい。

 僕は曽根崎さんに仮面を渡しながら、尋ねた。


「それじゃあ曽根崎さん、今からどうします?」

「うん。まずは、君の顔や体に描かれているその模様を消す所からだな」

「……模様?」


 言われて初めて、僕は自分の体に目を落とす。……腕が、赤い。最初は血が出ているのかと思ったが、そうではなかった。どこもかしこも、びっしりと薄気味悪い赤色の模様が描き込まれてしまっている。


「な、なんですか、これは」


慌てて鏡を見てみるが、顔も同じ状態であった。恐らく、気絶している間にやられたのだろう。


「神を封じ込める為の模様だな。つまりそれを消す事ができたら、君は生贄としての価値を失える」

「いや、取れませんよ、これ。気っ持ち悪い……どんな塗料使ってんだ」

「消せるなら一部分だけでもいいんだ。この白装束の裾でも使って……」


 曽根崎さんが僕に白装束を手渡そうとした時、彼は突然ドアに体を向けた。


「伏せろ、景清君!」


 緊迫した曽根崎さんの声と共に、ドアが開け放たれる。そこから、一人の教団員が催涙スプレーを噴射しながら入り込んできた。

 僕を庇った曽根崎さんは、スプレーを浴びてしまったようだ。目を押さえながらも、手にしていた白装束を投げつけヤツの顔を覆うと、記憶だけを頼りに体当たりをした。

 白装束の下でもがく教団員を踏みつけ、目を潰された曽根崎さんは僕に向かって手を伸ばした。


「私の手を引いてくれ! 逃げるぞ!」


 僕は返事の代わりに曽根崎さんの手を掴むと、ドアの外へと飛び出した。

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