第12話 優しい手に
部屋の中に入った僕は、息を切らせながら曽根崎さんごと倒れ込んだ。藤田さんは僕を見て一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに曽根崎さんをかついで、壁にもたれかけさせる。
「よくやった、景清。正直、曽根崎さんはダメかと思ってたよ」
「いや、ダメですよ。正気を失ってます」
「でも生きてる。景清が連れて来てくれたんだろ?」
顔を上げると、微笑んだ藤田さんと目が合った。僕は、唐突に阿蘇さんのことを思い出した。
「ふ、藤田さん、僕、阿蘇さんを……!」
「知ってる。気絶して病院に運ばれたんだろ? 今はそれより、この状況をどう切り抜けるか考えるぞ」
――気絶? あの大怪我が、藤田さんにはそう伝わっているのか?
もしかすると、曽根崎さんが彼の心情を慮って、あえてそう伝えたのかもしれない。ならば、余計なことは言わない方がいい。
僕は、藤田さんに提案する。
「……まっすぐ出口に向かうんじゃいけませんか」
「ちょっと偵察してきたけど、出口に向かう戸には鍵がかかっていた。だから、その鍵を壊すものを持ってないと」
「なら、さっきの拷問部屋に行かなきゃ」
「どっこい、金槌はこちらにあります」
藤田さんは、白装束の中から金槌を取り出してみせた。
「どこにあったんですか、そんなん」
「この部屋はほら、倉庫みたいだから。ちょっと頑張って探したら見つけた」
ここで、彼はじっと僕を見つめた。そして首を傾げ、尋ねる。
「景清、この建物に来るのは初めてか?」
「え? あ、はい」
「そっか。まあ、限られた人しかここに来ることはできないシステムだったからね。それじゃあ出口の場所も……」
その時、ドアの外で怒鳴り声の混ざった足音が何人分も駆けていった。どうやら、僕らを探しているようだ。
「……景清。確実に君だけが助かる方法と、リスクは高いけど全員助かるかもしれない方法、どちらを取る?」
思わず息を止めてやり過ごした僕に優しい眼差しを向け、藤田さんは問いかけた。
そんなの、考えるまでもない。
「後者です」
「だよね。景清ならそう言うと思った」
藤田さんは立ち上がる。それからおもむろに白装束を脱ぎながら、僕を見下ろして言った。
「じゃ、服脱いで」
「なんで?」
この部屋には、僕以外狂人しかいねぇのか。
「断るに決まってんでしょ」
「断るなら、オレは君に一人分しか無い白装束と仮面をつけて、逃がさなきゃならない」
「……どういうことですか」
藤田さんは、倉庫の中にあった鏡の前に歩いていく。その右手には、ナイフが光っていた。
「何を……」
僕が止める前に、彼は自分の髪の毛を束で掴むと、ナイフで切り落とした。
「……藤田さん?」
「いいから脱げよ。時間が無い」
藤田さんの圧に、慌てて服を脱ぐ。藤田さんは僕の着ていたシャツを掴み取ると、ばさりと羽織った。
ナイフで整えられた髪とその姿は、僕そっくりだった。
「オレが囮になる」
驚きで息を飲んだ僕をまっすぐに見て、彼は言う。
「オレは、元後継者だ。だから、この三人の中では捕まったとしても生き残れる可能性が一番高い」
「……それって」
「あいつらも、ちょっとは動揺するだろ。君らが逃げる時間稼ぎぐらいにはなる」
「でも、相手はあの教団ですよ。何もされないわけが無い」
「だとしてもだ。この三人が生き残るには、まず曽根崎さんが回復しないといけない。このままだと、彼はただの足手まといだ」
「……」
曽根崎さんは、相変わらず小声で意味不明なことを呟いている。その体は壁にだらりともたれかかり、いつもの背筋が伸びた彼とはまるで違っていた。
「だから景清。お前が、曽根崎さんを正気に戻せ」
「……僕が?」
「そうだよ。オレは、景清にならできると思う」
藤田さんは、どこまでも真摯に僕に言う。だというのに、僕はすぐに頷くことができないでいた。
――できるのか?狂気にいる曽根崎さんを、こちら側に戻すことなんて。
――この、僕が?
戸惑う僕を置いて、藤田さんはドアに向かう。
「オレが時間を稼いでいる間に曽根崎さんが正気に戻ったら、二人で白装束を羽織って、出口に行くんだ。その際に、金槌を忘れるなよ」
「……藤田さん」
「何?」
彼は振り返った。――遠い。聞かなければならないことも、言わなければならないこともたくさんある。なのに、どうしてこんなに距離を感じるんだ。
これしか方法は無い。わかっているにも関わらず、どうしても最後に見た阿蘇さんの姿がチラついて、藤田さんを引き止めようとしてしまう僕がいた。
そうしてやっと選んだ言葉は、情けないほどに日常を望むものだった。
「……今週末、何か予定ありますか?」
「予定?」
案の定、藤田さんは拍子抜けしたような顔をした。だけど、すぐに考えて返事をしてくれる。
「今週末は無かったかな……。なんで?」
「どこか二人で食べに行きませんか。おススメがあるなら、合わせます」
「何それめっちゃ行く。え、どこでもいいの?」
「構いませんよ」
「辛いの大丈夫?」
「平気です」
「なら、いいとこがある。ラーメン屋なんだけどさ、彼氏や彼女と行けなくて困ってたんだよ。これがまたいい激辛出すんだ」
「じゃあそこで。ああ、財布は持ってこないでくださいね」
「どうして?」
「どうしてって……僕が奢るからですよ。今日のお礼には足りないと思いますが」
「景清が!? 奢り!?」
驚きすぎだろ。失礼だな。
藤田さんは両手で口を覆い、なんならちょっと涙ぐんでいた。
「あの守銭奴の景清が、オレの為に……! ちょっと聞きました?曽根崎さん。あの子オレの甥っ子なんですよ」
「今その人に話しかけてもダメですよ。おかしくなってますから」
「あーもう、俄然やる気出てきた。早く終わらせて早く週末にしよう」
時を操る神のようなことを言い出した藤田さんは、そこで思い出したように手を打った。
「そうそう、曽根崎さんを正気に戻すヒントがあるかもしれない」
「何ですか?」
「この人、普段から色々鈍いだろ。実際、痛覚や味覚、触覚あたりちょっとやられてるんだ」
「へぇ」
それは初耳だ。確かに、焦げてようが熱かろうが平気で食べるもんな。ただそういう人なのかと思っていた。
「だから、例えばショック療法をするなら、身体の中でも特に敏感な部位を狙えばいい」
「はあ」
「そんなわけで、ディープキスが有効だと思います」
「なわけねぇだろ」
「曽根崎さんもびっくりするだろ」
「するだろうけどやらねぇよ」
むしろあの鈍さならディープキスも効くかどうか疑問だ。っていうか、言いたいだけだろ、この人。
しょうがない叔父だな。
「……無事に帰ってきてくださいね」
「景清もね。曽根崎さんのことは頼んだよ」
「ええ、任せてください」
さっきとは違って、やけにあっさりと言葉が出るもんだ。あんな会話のどこに勇気づけられたのやら。
藤田さんは、小さい子の頭を撫でるように僕の頭に手を置くと、最後にもう一度微笑んだ。その笑顔に、僕の脳裏に幼少期の思い出が蘇る。
親に冷たく当たられ、泣いている僕に、この人は何度こうやって慰めてくれたのだろうか。
そのたびに、僕は何度勇気づけられてきたのだろうか。
僕の頭から彼の手が離れる。思わず掴もうとしたが、すんでのところで思いとどまった。
「それじゃ、またな」
僕と良く似た背格好の藤田さんは、片手を上げてドアの向こうへ消えていった。
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