第10話 さよなら

「景清君、これをやろう」


 曽根崎さんから手渡されたのは、真っ黒な石がはめ込まれたシルバーのアクセサリー。僕は光にすら透けないその色を掲げながら、彼に問う。


「なんです? これ」

「オニキスという石だ。邪気などを跳ね返す、魔除けの石。つまりまあ、お守りだ」

「へぇ、綺麗ですね」


 どこかで見たことがある色だ。どこだっけ。


 ああ、そうだ。


 曽根崎さんの瞳の色なんだ。


「どうしてこれを僕に?」

「プレゼントだよ。君、もうすぐ誕生日だろ」

「一ヶ月以上先ですが」

「いずれにしても一年以内の話だ」

「誰でもそうだよ」


 ツッコミながら、左手首につけようとする。しかし、やんわりと曽根崎さんに制された。


「それはアンクレットだ。だから足首につけるといい」

「そうなんですか。珍しいですね」

「左の方がいいぞ」

「なんでもいいですよ。大事なのはブランドです」

「貰ったそばから売ることを考えるんじゃない」


 しかし、この人からちゃんとした物を貰ったのは初めてだ。なんとなく気恥ずかしさはあったが、別に嬉しくないわけじゃない。またあの餌取られ老犬フェイスにさせるのは忍びないと思ったこともあり、僕は彼の目の前で左足首にアンクレットを付けてやった。

 曽根崎さんは、やっぱり偉そうに、僕に言う。


「肌身離さず付けておけよ。それはきっと君を守ってくれる」

「あまり使用感が出ると困るんですが……」

「だから売るなって」


 男からのプレゼントを肌身離さずなんて、ゾッとしない話だ。まあ、センスがいいだけ良しとするか。


「ありがとうございます、曽根崎さん」


 その時の僕は、多分笑っていたと思う。









 どうして、先週の事を夢に見たのか分からない。そんな胡散臭いお守りとやらにすら頼り縋りたいほど、ショックを受けていたのかもしれない。


 まどろむ僕を夢から連れ戻したのは、聞き慣れた女性の声だった。


「景清」


 ――この声は。


 僕は、息がしづらいほど生臭い匂いが立ち込めた部屋で、目を覚ました。ロウソクの灯りだけで照らされた薄暗い室内で、十人あまりの白装束が仰向けに拘束された僕を覗き込んでいる。


 宇宙人に拐われた人間は、こんな気持ちになるのかな。


「景清、目を覚ましたのね?」


 一番手前にいた白装束が、僕に向かって言った。その声に、僕は条件反射で無理矢理笑みを作ってしまう。


「――うん、母さん」

「ええ、そうよ。ああ、どこか怪我はない?私の景清」

「どこも痛みは無いよ」

「良かった。本当に良かった」


 仮面をつけた母は、僕の頬に触れながら吐き気を催すような優しく甘い声で言う。


「あなたは、今から神の器となる身だもの。できるだけ五体満足でいなきゃ」


 ――やはり、そうなのか。

 覚悟はしていた。だが、いざ目の前で母親にそう言われると、ぐらりと何かが揺らいでしまう。

 それでも、僕はできるだけ平静を装い、母に尋ねた。


「……生贄って、どうすればいいの?」

「簡単よ。あなたの中の精神を殺して、神に捧げるだけ。精神を殺すのはこっちでやるから、あなたは何もしなくていいわ。大丈夫」

「……精神を、殺す?」


 尋常ではない一言に、ギョッとして聞き返す。そういえば、僕の周りを取り囲むようにおどろおどろしい器具が並んでいる。母の視線に気づいた教団員の一人が、彼女の隣に大きな機械を持ってきた。

 母は機械に付属した棒を手に取って、先ほどの僕の質問に答える。


「例えば、これは電流を流す装置ね。うまく使うことができればいいのだけど」

「母さん、何を……」

「勿論、死なない程度にやるから安心して。だけど、欲を言えば精神傷害ぐらいはなってほしいものね」

「……母さんは、僕がいなくなっても、いいの?」


 つい、子供のような言葉が口をついて出た。母は、それに驚き動揺したように、僕を抱きしめる。


「そんなわけないじゃない。あまり私をがっかりさせるような弱いことを言わないで。あなたがいなくなる事を考えたら、胸が張り裂けそうになるわ」

「じゃあ、なんで僕を生贄にするんだ。そんなことをしたら、僕が僕じゃなくなるだろ」


 その問いを聞いた母は、スッと僕から離れた。そして、一転した冷たい声で、僕に告げる。


「だって私、あなたの中身には何の興味も無いもの」


 ――頭の中が、真っ白になった。


 呆然となった僕をよそに、彼女は機械のスイッチを入れる。その身はくるりと回り、僕の鼻先に火花が散る棒が向けられた。悲鳴を上げるべきだ。抵抗するべきだ。罵るべきだ。脳から命令が出ているにも関わらず、僕は動くことができないでいた。


 産まれて、育てられて、生かされてきた。人生の大半に恩があるはずの人間が、僕が僕であることを否定している。


 ――僕の人生は、意味があったのだろうか。


 息ができないほど苦しくなり、僕の中が黒いもので満たされる。悲しい。寂しい。だけど、それが埋められることはない。


 ここで、僕は死ぬのだろうか。


「母さん」

「何?」


 それならば、残った寿命で何ができるだろう。

 存在を否定された僕に、できることなんて。


 ――ふと、遠くに立っている教団員の足に、何か光るものがあることに気づいた。あれは何だろう。目を凝らし、その正体を見定める。


 それは、黒い石がはめ込まれたアクセサリーだった。


「……」


 僕は、最初に言おうとしていた言葉を引っ込め、母を見つめた。


「母さん、僕、幸せだよ」

「あらなあに、突然」

「こんな僕でも、母さんやみんなの役に立てて嬉しい。だから、できるだけ綺麗なままで器を空にするよ」

「素晴らしいわ、景清。お母さんの言う事を聞けるのね」


 母の顔は、仮面に隠れていて見えない。だけど、きっと笑っているのだろう。

 僕は、拘束された右腕を持ち上げ、懇願した。


「だから、手錠を外して。このままだと、醜いあとがついてしまう」


 母は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。せいぜい、最後の願いを聞いてくれたといった所だろうか。母の合図で、教団員が二人僕の側まで寄り、手足の拘束を解いた。


「ありがとう」

「とんでもないわ。かわいい景清のお願いですもの」


 甘い声と共に、棒が持ち上げられる。

 僕は、最後の最後にようやく、自然に微笑む事ができた。


「さよなら、母さん」


 ――腐った空気を飲み込むような、咆哮が轟いた。

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