第9話 地下二階と書庫の本
曽根崎は、ここに来る前にした、藤田との会話を思い出していた。
「教団の祭壇は、地下三階にあります。そこに大きな部屋が一つあり、そこで神への祈りを捧げていました。だから、儀式が行われるとしたら、ここでしょう」
「なるほど。それでは、地下二階と地下一階は?」
「地下一階は、書庫や物置などの部屋がありました。地下二階は、儀式の準備の為の部屋です。情報がありそうなのは、書庫ですかね」
「一回目の潜入先としては、そこが適切そうだな」
「ええ。重要な物は、もしかしたら祖父が――教祖が、手元に持っているのかもしれませんが」
「その時はその時だ。ひとまず、書庫を目指してみよう」
――不浄の部屋は、恐らく本来であれば地下二階にあったのだろう。それが、何故か地下一階に移動していた。
部屋を変えたいだけなら、同じ階でいいだろう。しかし、それをわざわざ一階上の部屋にしたというのならば、そこに理由があるはすだ。
曽根崎は、何の変哲も無い物置き部屋から出ると、外の様子を確認する。少し離れた所で、藤田とおぼしき白装束が別の部屋を開けていた。
――一度、地下二階を調べる必要がありそうだ。
そう決めた曽根崎は、藤田がいる方向とは反対の位置にある階段に向かった。
一段一段降りていくそのたびに、不気味なお経を大勢が一斉に唱えているかのような声が大きくなっていく。
曽根崎は、階段に身を隠したまま、慎重に廊下を覗き込んだ。
地下二階は、地下一階の様相と殆ど変わらなかった。ただ、廊下に面した全ての部屋の小窓に、まるで牢獄のような鉄格子が嵌められていた。
幸い、他に誰の姿も見かけなかったので、思い切って一つのドアの前まで行ってみる。鉄格子越しに中を見ると、三人の白装束が地面に置かれたロウソクを取り囲み、一心不乱に呪文のようなものを唱えていた。その隣の部屋も見てみたが、全く同じ光景であった。
――やけに人の姿を見ないと思ったが、ここに集まっていたのか。
曽根崎は、妙に納得してしまっていた。
しかし、見た目こそ牢獄であるが、不浄の部屋が移動させられるほどのものでも無いように思う。これらの部屋は、一体何を意味するのだろうか。
高低様々な声が入り混じる斉唱の中考えていた曽根崎は、自分の背後に忍び寄る影に気づいていなかった。
「お前、さっき上にいたヤツか?」
振り返ると、恐らく先ほど地下一階で声をかけてきた白装束が立っていた。頷くと、彼は凄むように曽根崎に言った。
「神への祈り以外興味を持つな。我らは選ばれし者なのだ。不適切な行動は慎め」
「すいません」
「お前の部屋はどこだ。そこまで付き添ってやる」
まずい。どうやら、自分もこの部屋の住人だと思われてしまったようだ。適当な部屋に入るのは難しいことではないが、問題はそこからだ。外から鍵をかけられてしまえば、調査ができなくなってしまう。
焦っていた曽根崎は、うっかり返事をすることを忘れてしまっていた。
「……お前、本当に我らの仲間か?」
訝しげな声色に、曽根崎はようやく自分のミスに気がつく。しかし、時すでに遅しである。
「……フォーマルハウトより来たる?」
白装束の男は、怪しげな文言を口にした。――しまった。合言葉まであるのか。
曽根崎は、男に当身をくらわせて逃げ出した。
「待て!!」
誰が待つものか。逃げ足には自信がある曽根崎だったが、あいにく着ている服が悪く、ヒラヒラの白装束の裾を男に掴まれてしまった。
「逃がさないぞ……! 背信者め!」
曽根崎は迷い無く自分の仮面を外すと、唯一剥き出しの部位である男の首に叩きつけた。痛みに男が手を離し咳き込んでいる間に、曽根崎は再び逃げ出す。
背中から、悔しそうな声が聞こえた。
「なんで、能面っ……!」
やはりつけていて良かった。なんでも準備しておくものである。
長い足を存分に駆使し階段を駆け上がり、地下一階の曲がり角まで差し掛かる。
しかし、そこで何者かによって部屋に引きずり込まれた。驚き抵抗しようとするが、曽根崎より強い力で抑え込まれる。
「曽根崎さん、オレです!」
それは、藤田であった。見かけによらず、パワーだけでいうと曽根崎は彼に負けてしまうほどには力が強い。抵抗をやめた曽根崎に、藤田はホッと息を吐いた。
「なんて無茶をするんですか。気をつけてって言ったでしょ」
「すまん、どうしても気になってな」
「だからって……!」
「……静かに」
二人は黙り込む。部屋の外で、幾人かの足音がドタドタと通り過ぎていった。
「……行きましたね」
「行ったな」
「仮面どうしたんですか?っていうか、下に能面つけてたんですね」
「仮面は落とした。能面でも無いよりマシだろ」
「いっそ無い方がマシだと思いますが……」
やがて、暗闇に目が慣れてくる。どうやら、ここは本来の目的地であった書庫のようだ。
「随分な蔵書数だな」
「半分倉庫のようなものですからね。この中から探すとなると、骨が折れますよ」
「君が幼い頃に見た本などは無いか。案外そういうものが重要だったりする」
「ええ、探してみます」
そう言い、藤田は懐中電灯を取り出した。曽根崎も、ボールペンに内蔵されたライトで本棚を照らす。
二人は無言で、本を探し始めた。
――閉鎖された空間の中で、どれぐらい時間が経っただろうか。藤田は、ふと顔を上げた。
「思い出した」
その声に、曽根崎は分厚い洋書を脇に退け、尋ねた。
「思い出したって何をだ」
「オレが小さかった頃、勝手に書庫に入って遊んでたんです。そしたら、姉さんが入ってきて……」
「姉さんというと、景清君のお母様か」
「はい。そして、他の本には目もくれず、一冊の本を手に取ったんです。その際、オレがいたことには気づいていないようでした」
「……君がいたら、読んでいないような本だった?」
「そうだと思います。姉はしばらく本を眺めた後、上機嫌で去って行きました。だからさぞ面白い本なのだろうと思って、読んでみたんですが……」
藤田の言葉が詰まる。それは、彼にとってあまりいい思い出ではないようだ。
「……描かれていたのは、炎の神を宿した人間の姿でした」
――かの人間から放たれる炎は悪意を宿し、燃え広がっていく。全ては、世界の不浄を焼き尽くし、選ばれた民による新世界を創り上げるために。
その本は、炎の神を宿した人間を作る為の手順書だった。
仮面を外し、青い顔を露わにした藤田は、曽根崎を見た。
「古ぼけた赤い背表紙の本です。探しましょう」
「了解」
こうなると、もう書庫の体裁など二の次である。二人は、書庫中の本をひっくり返し始めた。
「――あった」
先に声を上げたのは、曽根崎だった。彼の手に掲げられた本の表紙を見た藤田も、しっかりと頷く。
「本のタイトルは横文字のようだが、掠れてしまって読めないな……。しかし、内容は日本語で書かれてるのか」
呟きながら、貢をめくる。本というよりはメモのようで、誰かが手書きで残したものだった。
「……生ける炎、クトゥグアの召喚」
目に留まったなんとも発音しにくい言葉を口に出すと、藤田は驚きで目を開いた。
「曽根崎さん、どうしてその名を?」
「どうしても何も、ここに書いてる」
「……それは、生ける炎の手足教団が信仰する神の名です」
「どうして教えてくれなかったんだ。初耳だぞ」
「人間たる我らが、神の名を口にするのは禁忌とされているんです。口にすれば、その瞬間炎に身を焼かれると。……迷信だと分かっているんですが、やはり、染み付いたものは、なかなか……」
嘘偽りの無い事実なのだろう。藤田は、一層青ざめていた。だから曽根崎も責めることはせず、また本に目を落とし、読み上げる。
「召喚の為には、まず、次の呪文を途切れる事なく詠唱しなければならない」
「呪文ですか」
「……数ページに渡って破られているな」
「それが全て呪文だとしたら、かなり長い詠唱になるのでしょうね」
「だろうな。続きを読むぞ。……生贄となる人間に呪術を施し、その精神を拷問により殺して器を空にする。そこに召喚したクトゥグアを降ろせば、呪術により人間の器に封じられ、術者の思う通りに動く傀儡の神となるだろう」
「……」
「しかし、人ならざる者となった生贄は、生命維持の為に大量の生き血を必要とする。用意しておき、すぐに与えねばならない」
「大量の生き血ですか?」
「ああ。……地下二階には、何人もの教団員が閉じ込められていた。彼らは、この為に集められたのかもしれないな」
「じゃあ、最近姿を消していた若者って……!」
「彼らの可能性が高いだろう」
「……!」
藤田は立っていられなくなり、その場に座り込んでしまった。……抜けたとはいえ、かつて自分が所属していた教団が行おうとしている非倫理を目の当たりにしているのだ。耐えるのがやっとなのだろう。
だが、本の内容はここまでだった。具体的な召喚の方法や呪術の内容などは、対応するページが破かれてしまっており知ることはできない。曽根崎は何度か確認した後、ため息をついた。
「まあ、今回はこんなとこだろうな」
本を服の中にしまいながら、曽根崎は言った。藤田はしゃがみこんだまま、彼を見上げる。
「しかし、どう脱出しますか。曽根崎さんは仮面を落としているのに」
「能面じゃ誤魔化せないかな」
「無理でしょう。そもそも選択肢として入れないでください」
「君、景清君に似てきたな」
「あっちがオレに似てるんです。まったく、無事だから良かったものの、仮面の落とし損じゃないですか……」
「そうでもないぞ。ほら」
どことなく得意げな曽根崎が、白装束の下から何かを取り出そうとしたその時だった。
胸ポケットに入れたスマートフォンに、連絡が入った。
「……柊ちゃんか?」
取り出し、メッセージを見る。内容は短く、一瞬で読み終わってしまう程度のものだった。
しかし、それを読み終えた曽根崎の口角は、みるみる吊り上がっていく。
「……曽根崎さん、どうしました?」
曽根崎の様子に、藤田は不安げに声をかけた。そんな彼に曽根崎は何かを言いかけ、だがすぐに首を横に振る。
「……景清君が、教団に拐われた」
「は? 阿蘇は何やってるんですか」
「忠助は……」
言葉を飲み込む。曽根崎は、目の前の藤田の為に代わりのものを差し出した。
「教団に襲われて、気絶したらしい。我が弟ながら抜かったな。今は、柊ちゃんに付き添われて病院にいるとさ」
「なんだ、無事なら良かった」
「君は先に帰って、忠助の様子を見てくるといい」
「オレも残りますよ」
「ダメだ。今を逃すと――」
その時、外で数人の足音がした。
「……どうやら、遅かったようだな」
曽根崎は、手元のスマートフォンを見ながら言う。
「――景清君が、この施設に来てしまった」
「……景清が」
「何とかしなければ。儀式が、始まってしまう」
そうすれば、彼は……。様々に入り混じる感情を噛み殺したような曽根崎の言葉に、藤田は無意識の内に強く左腕を掴んでいた。
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