第8話 不浄の部屋
縄ばしごに足をかけるたび、ギイギイと音がする。しかし、成人男性が二人ぶら下がっても問題無い辺り、丈夫な作りではあるのだろう。曽根崎らは、特に懸念すべきことも無く、降りていった。
やがて、地面に足がつく。壁も床もコンクリートで塗り固められており、幾人もの行き来があるのだろうと分かるほどには汚れていた。
曽根崎は辺りを見回し、小声で藤田に尋ねる。
「……監視カメラなどは無いはずだったな?」
「はい。少なくともオレがいた時はそうでした」
「まあ用心するに越した事は無いか。よし、それではまず書庫から行こう」
あらかじめ藤田から地下室内部の間取りを得ていた曽根崎は、迷いの無い足取りで書庫へと向かう。幸い、誰ともすれ違わずに、二人は地下一階の狭い通路の奥まった場所にある書庫へと到着した。
しかし、藤田はそのドアを見て、首を傾げる。
「……プレートが外されてる」
「プレート?」
「ええ。この地下室はいくつか部屋がある割に、どれも見た目が似てるので、プレートをつけてたんですよ」
そう言うと、藤田はドアノブを握り、そっと開けてみた。しかし、すぐにその軽率な行動を後悔することになる。
ドアの隙間から漏れ出てきたのは、血と腐った肉が混ざったような強烈な悪臭だった。
「……これは、不浄の部屋。何故ここに?」
青い顔をした藤田が、ドアを閉めることも忘れて呟いた。曽根崎は、仮面の下で引きつった笑みを浮かべながら、その隙間から中を覗き込む。
元の色が分からないほど変色した壁に囲まれた部屋にいたのは、数人の白装束。こもったような匂いを気にする様子も無く、ロウソクの光の中で何か物々しい準備を行なっているようだった。
「あれは……拷問器具か?」
伊達にオカルト専門のフリーライターはやっていない。資料でしか見たことが無いような悪趣味極める品々に苦い顔をした曽根崎に、藤田は頷いた。
「はい。不浄の部屋は、背信者など教団の教えに背くものが生まれ変わる場所と教えられました。不浄ゆえ、開祖の血を引くオレが入ってはならない場所だと」
「なら、見るのも初めてか」
「ええ。……恥ずかしい話ですが」
「おい、そこで何をしている!」
突然声をかけられ、曽根崎と藤田は飛び上がらんばかりに驚いた。慌ててドアを閉め、声をかけてきた人物に向き直る。
廊下の真ん中ほどに、自分達と同じ白装束に仮面をつけた男が立っていた。
「不浄の部屋は今、準備の最中だ。邪魔をするんじゃない」
「すいません、どうしても気になってしまって……」
曽根崎は、一歩踏み出して言った。どうやら怪しまれているわけではないと判断し、情報を集めるつもりのようだ。
「もうすぐ、我らの神が不浄の世界を覆い尽くしてくださいます。その事を思うと、居ても立っても居られず、ここに来てしまいました」
「呆れたものだ。何を聞いてきたか知らないが、神が顕現されるのは別の場所だぞ」
「そうなんですか? 私は、ここだと聞きましたが」
「ここは、神の器となる人間の精神を殺す場所だ。さあ行った行った。早くお前らの持ち場に戻れ」
白装束の言葉に、二人の心臓がドクンと跳ねた。仮面の下で伝う冷や汗を拭うことすらできず、曽根崎はなんとか頭を下げ、呆然としたままの藤田を引きずって廊下を引き返す。
いくつかの角を曲がった所で、藤田は曽根崎に掴まれていた腕を振りほどいた。
「……痛いです、曽根崎さん」
「あ、ああ……すまない」
「……」
「……」
何を言えばいいかわからない。いや、問うべき事はわかっているのだ。ただ、切り出そうとすると途端に言葉が霧散してしまう。
しかし、聞かねばならない。曽根崎は、仮面の藤田を見据え、口を開いた。
「……君は、かつて言ったな。教団は、一人の人間の中に神を降ろそうとしていると」
「……はい」
「あれは、そういうことなのか?器たる人間を拷問にかけ、精神を崩壊させた上で生贄にし、その空っぽの器に神を封じ込める」
「……」
「このままだと、その生贄になるのが景清君なのか?」
「……」
「……何とか言え、藤田君」
藤田は、頭を抱えて長いため息をついた。仮面から、消え入りそうな声が漏れる。
「きっと、そうなのでしょう。オレは、神を封じコントロールする為には、一人の生贄が必要だとしか聞かされていませんでしたが」
「……これは、何が何でも召喚を阻止しないといけないな。一刻も早く書庫に向かおう。部屋の配置が変わっているというなら、片っ端から開けていくぞ」
「わかりました。では、二手に分かれつつ、探しましょう。くれぐれもお気をつけください」
「ああ」
曽根崎と藤田は、別々の方向に姿を消す。時刻は、まだ夕暮れ時だ。いつ景清の元に迎えが来るかはわからないが、不浄の部屋の準備が着々と進んでいるのなら、そう遠い話ではないのだろう。
曽根崎は、阿蘇がうまく時間を稼いでくれている事を祈りつつ、目の前のドアを開けた。
「まったく、ここはどこなのかしらね!?」
気絶した教団員を運ぶ役を仰せつかった柊は、苛立ちに頬を膨らませながら言い放った。……さっきから、同じ所をぐるぐる回っているようにしか思えない。っていうか、どうしてこの車にはカーナビがついてないのかしら。ありえないったら。
柊は、方向音痴であった。
「……ま、警察ならどこでもいいわよね。適当に放り投げて、早くタダスケの所へ行きましょ」
目に付いた交番の裏に軽トラックを止め、荷台に積んだ教団員どもを下ろす。気づけば、すっかり夜も更けてしまっていた。
「すいませーん、そこの辺りで変なヤツ拾ったんだけどー……」
だが、交番の中はそれどころではなかった。無線から怒鳴るように飛び出す声に、それに答える声。せわしなく、三人の警官が動き回っていた。
「警官が一人刺されたとのことだ! 現場からは、数人の白装束が立ち去るのが目撃されている!」
「多屋町と連絡がつかないぞ!」
「血まみれの警官が西所で保護されたそうだ!」
「刺された警官の容体は!?」
「阿蘇とも連絡がつかない! 至急保護された警官の名前を寄越せ!」
最後に聞こえた名前に、柊は目の色を変えて一番近くにいた警官を捕まえた。美麗な鼻先を彼の顔面に押し当て、問いかける。
「――アンタ、今なんて言った? 阿蘇って、アイツに何かあったの!?」
「き、君は……!?」
「いいから答えなさい!! タダスケがどうなったの!?」
一瞬で静まり返った交番内で、無線からの声だけが響いた。
「阿蘇忠助巡査長が何者かに胸部を刺され、重体。現在、病院に運ばれ治療中で――」
その言葉に、警官を投げ捨て無線機に飛びついた柊だったが、何かアクションを起こす前に他の警官に止められた。
「アンタ達、離しなさい! タダスケのとこには景清もいたのよ! あの子はどうしたの!?」
「ま、待て! 君は何者だね!?」
「こっちの質問が先よ! あとタダスケの入院先を教えなさい!」
「めちゃくちゃだな、君は!」
しかし、その場にいた警官の一人が、何かを察したような顔で柊の前に出た。
「……阿蘇先輩から、話は聞いていました。曽根崎案件についてですね?」
「そうよ。話が分かる人もいるじゃない」
「景清君かどうかはわかりませんが、一人成人男性をここで保護する予定になっていました。しかし、その前に阿蘇さんが何者かに襲われ、今に至ります」
「……そう。じゃあ、景清もタダスケに付き添ってるの?」
そうであってくれと願った。せめて、彼が体を張ってあの子を守ったのだと。
しかし、警官は首を横に振った。
「……現場にいたのは、阿蘇さんだけです。他は、誰一人……」
その言葉を聞くなり、柊はスマートフォンを取り出した。端的に情報をメッセージにし、曽根崎に向けて送る。
――景清は、教団に拐われた。しかも、最悪の形で。
「……タダスケの入院先、教えてくれる?」
「すいませんが、それは……」
「あらそ」
柊は躊躇いなく無線機を掴んだ。それを制止しようとした警官らだったが、彼女の口から出てきた低い声に仰天し動きを止める。
「至急、阿蘇巡査部長の入院先を連絡せよ」
間も無く、無線の向こうから回答が返ってくる。絶世の美女から発せられた男声に唖然とした警官らに、柊は自慢の黒髪をなびかせ、元のハスキーボイスで言った。
「外に、男三人転がしてるわ。道でひっくり返ってたの。保護しといてよね」
そして交番を飛び出すと、軽トラックを放置しタクシーを捕まえた。最短距離で目的地に向かうには、結局これが一番である。
「さ、愛平病院へ行ってちょうだい。最高速度で頼むわよ」
乗り込んだ柊は、キャッシュトレイに一万円を叩きつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます