第6話 Who Killed Cock Robin

 まず、右から二番目の白装束が、阿蘇さんに飛びかかった。彼はそれを無駄の無い動きでかわし、手首を掴んで小指を折る。そのまま体の向きを変えると、両側から襲いかかってきた二人の内一人の目を潰し、もう一人を回し蹴りで無力化した。

 最後の一人は、阿蘇さんの強さにまごついている間に頭を掴まれると、そのまま強く地面に叩きつけられてしまった。


 ――全て、一瞬のことである。迷いが無く、かつ的確な動きに、僕は圧倒されていた。


「何ボサッとしてんだ。逃げるぞ」


 痛みに呻き声を上げて転がる男共を踏みつけながら、阿蘇さんは僕の手を引いて走り出した。それに遅れを取らないよう、僕も慌てて足を動かす。

 走りながら、阿蘇さんは僕に謝罪した。


「……俺の判断ミスだ。警察の俺と一緒にいるところを君の友人に見られたらマズイと判断して、路地裏を選んだのが裏目に出た」

「そんな、気にしないでください」

「すまん。とにかく、早く人通りが多い場所に出よう」


 時刻は遅いが、車が行き交う通りに出ればヤツらも大っぴらには動けないだろう。だが、しばらく走ってやっと路地裏から出ようとしたその時、またしても道を塞ぐ影に遭遇した。

 反射的に身を固くし足を止めた僕だったが、その姿を確認した阿蘇さんは安堵に顔を緩める。


「大丈夫だ、景清君。あいつは俺の同期の多屋町だよ。一応、君を連行するって事で警察にも話を通してたんだ」


 そう言って、阿蘇さんは多屋町さんに向かって手を振った。彼も僕らを認識したのか、早足でこちらに歩いてくる。

 これで、ひとまずは安心だ。僕は保護され、父を含めた教団員はおいそれと手出しできなくなる。その間に、曽根崎さんらが召喚を邪魔してくれれば、僕は晴れて自由の身だ。


 ――果たして、本当にそうだろうか。


 僕の胸を占める言い知れぬ不安が、大通りへ向かう足を止めてしまっていた。


 ――どうして、さっきの四人組は、僕らがここを通ると知っていたのだろうか。父が連絡をしたのか?いや、あの時の反応を鑑みても、それは無いと考えていい。


 ならば、僕らの行動をあらかじめ知っており、それを教団に流した人物がいるとしたら、どうだ?


 そうだ、それならこの違和感にも説明がつく。そして、もしそんな人物がいるとしたら――。


 僕の考えに気づいたのか、多屋町さんは僕らに向かって走り出していた。その片手は、ポケットの中に沈められている。


「阿蘇さん、逃げましょう!」


 僕は、阿蘇さんの腕を掴んで元来た道を逆走しようとした。しかし、相手が同僚であった事による気の緩みと、よりにもよってこの僕の行動が、阿蘇さんに一瞬の隙を作ってしまった。


「……え?」


 刹那の衝撃の後、阿蘇さんの動きが止まる。彼の目は、自分の胸の辺りに向けられていた。


 じわじわと、彼の体を侵食するように広がる黒いしみ。その中央に突き出ていたのは――。


「……なんで、こんなものが」


 ――自分の体を貫いた、刃物の切っ先だった。


「……阿蘇、さん」


 僕は、目の前で起きた事がそれでもまだ信じられないでいた。これを現実だと認めてしまえば、いずれ阿蘇さんが辿るだろう結末まで受け入れてしまうことになる。


 だが、彼の胸を刺した男が後ずさる様に二、三歩離れた時、僕は見つけてしまった。


 男の体からヒラリと落ちた、一枚の黒い紙切れを。


「……野郎!!」


 あいつだ。あの黒い男の仕業なのだ。

 カッとなって多屋町とやらに掴みかかろうとしたが、その前に阿蘇さんが片腕を出して僕を制した。痛みに顔を歪め、脂汗を浮かべた彼の視線は、多屋町の後ろに立った何者かに注がれている。

 戸惑う僕に、聞き覚えのある下卑た低い声が聞こえた。


「……流石、阿蘇さんですねぇ。こんな状態でも、なお冷静に判断を下す事ができる。景清さんも見習うべきですよ?」


 全身真っ黒な男は、歯のない口を開けて笑い声を上げた。それにつられるように、多屋町もへらへら笑う。

 ヤツらへの怒りで焼きつきそうな胃を押さえる僕を見て、男はますます愉快そうに口をぐにゃりと曲げた。


「あの時ならいざ知らず、今の貴方では私に傷一つつけることはできません。よく覚えておくといいでしょう」

「何故、阿蘇さんを刺した!? あの時の復讐ってんなら、僕を刺すべきだろ!!」

「復讐? バカバカしい、貴方如きにそのような感情が湧くものですか。……もっとも、貴方はここで殺されるより、阿蘇さんを殺され彼らに連れて行かれる方が、より地獄を見る事になる。ああ、阿蘇さんの事に関して、私を恨むのはお門違いですよ」


 黒い男は、嘲笑する。


「……阿蘇さんを殺すのは、貴方です。貴方がこの選択をしなければ、この多屋町さんは、阿蘇さんを見て劣等感を抱き逆恨みさえすれど、直接手を下すような事はしなかった」

「そんなの……お前が、けしかけた、だけだろうが!」


 息が切れる。……動揺するな。ヤツの思う壺だ。

 今はそんな事より、阿蘇さんの手当てをしなければならない。しかし、この多屋町がそれをすんなり許してくれるはずはないだろう。だったら、いっそ僕がアイツを――!


 しかし、僕が一歩踏み出そうとするより先に、阿蘇さんの体がふらりと僕の前を遮った。


「ほんと……ゴチャゴチャと……うるせぇ」


 そして、背中に刺さった包丁を引き抜いた。今までそれで堰き止められていた血が大量に噴き出るのを気にも留めず、包丁を握り直し、多屋町に向かって一歩一歩進んでいく。


「なあ、多屋町。俺、お前はいいやつだと思ってたんだ」


 凄まじい形相に飲まれた多屋町は、短い悲鳴をあげた。瀕死だというのに、阿蘇さんからは絶対的な殺意があふれている。


「……そこ、動くなよ。ちゃんと、死ぬ前に殺してやる」


 そこまでだった。多屋町は恐怖のあまり、黒い男を手で跳ね除け、転びそうになりながら大通りへと逃げていった。多屋町に突き飛ばされた黒い男は、舌打ちをすると煙のように闇に溶けていなくなる。

 それを睨みつけながら見送る阿蘇さんだったが、突然プツリと糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。僕は、地面にうつ伏せになった阿蘇さんにすがりつく。


「あ、あ、阿蘇さん! 阿蘇さん!」

「……か、げ……」

「ど、どうして、あんな……! い、今、救急車を呼びますか、ら!! すいません、ぼ、僕のせい、で!!」


 呼吸をしろ、僕! 今その症状が出ている場合じゃねぇだろ!!

 阿蘇さんは限界だった。彼の体から流れ出た血はどうやっても止まらず、僕の手を汚す。その目は虚ろで、顔色もどんどん真っ青になっていった。


「……どこ、だ……景清……」

「はい! ここ、に! います!」


 彼は、手探りで僕の手を握った。瞬間、チクリとした痛みが走る。見ると、血まみれの阿蘇さんの爪が、僕の手のひらに食い込んでいた。


「……ぜっ……君、を……守……」

「あ、あ、阿蘇、さん!! しゃ、喋らない、で……!!」

「……」


 阿蘇さんは、視力が消えた目を僕に向け、ボソボソと何かを言っているようだった。しかしそれを聞き取るより先に、僕は救急車に呼ぼうとスマホを取り出す。


 だが、何者かによってそのスマホが奪われた。

 振り返ると、十人ほどの白装束が、奇妙な仮面越しに僕らを見下ろしていた。


「……今は彼に傷をつけるなよ。大事な生贄だ」


 知らない男の声を合図に、白装束達は僕を取り囲み、阿蘇さんから引き離した。抵抗するが、多勢に無勢でまったく歯が立たない。それでも、諦められなかった。


「阿蘇さん! 阿蘇さん! 阿蘇さん!!」


 狂ったように彼の名を呼ぶが、もはや指の一本すら動くことはない。……あの人を助けるんだ。こいつら全員、ぶちのめしても!

 引っ掻き、噛みつき、がむしゃらに阿蘇さんの元へ向かおうとするが、男は次なる指図を繰り出す。


「面倒だな。アレを使え」


 無理矢理、地面に頭を押し付けられた。叫ぶ暇もなく、僕の首筋に冷たい何かが刺さる。途端に意識が朦朧となり、全身の力が抜けていった。


 ――阿蘇さん。


 段々と、倒れた阿蘇さんの姿が見えなくなっていく。それでも、僕は手を伸ばした。


 ――僕はどうなってもいい。だから、誰か、あの人を助けてくれ。


 必死の抗いも虚しく、僕は呆気なく気を失った。

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