第5話 クソ野郎

「……こんばんは、父さん」


 ドアを開ける。中肉中背の男は、あの日と同じスーツを着ていた。僕は、できるだけ当たり障りの無い笑顔を作って、彼を出迎える。

 しかし、返ってきたのは温度の無い声だった。


「いやに出てくるのが遅かったじゃないか。お前は、わざわざ訪ねてきてくれた人を待たせることに抵抗は無いのか」

「……すいません」

「昔から謝ることしか能が無いな。謝ればなんでも済むと思っている。本当は、何故注意を受けているか理解すらしていないんだろう」

「……」

「図星を突かれると、すぐに黙る癖も直すべきだ。このままのお前が、社会に出てからやっていけるわけがない」


 うつむき、僕を傷つける為だけの言葉をやり過ごす。何を言ったところで、僕の言葉が届くことはないのだ。僕の言葉は、彼の耳から脳に行き着くまでに曲解され、違う意味となって彼の逆鱗に触れて終わる。幼少の頃から、何度となく繰り返されてきたやり取りだ。

 だが、反応の無い僕の態度は、またしても彼の怒りを煽ったらしい。


「聞いているのか!」


 父は突然僕の前髪を掴むと、腹部を膝で突き上げた。思わず胃の内容物を戻しそうになるが、歯を食いしばって耐える。……久しぶりだったから、反応が遅れてしまった。以前なら、もう少し受け身が取れたのに。

 一方父は、咳き込む僕を見て満足気な笑みを浮かべた。


「お前は言ってもわからないからな。これで少しは矯正できるだろう」

「……ッ」

「お礼の一つも言えないのか? せっかくここまで育ててやって、成人しても気にかけてやっている。お前はこんなに幸せ者なのに」


 ――ああ、なるほど。

 僕は、腹部を片手で抱えながら、曽根崎さんに言われた事を思い返していた。

 ――この感情は、怒りという名前だったんだな。


 だが、それを今ここでぶつけるわけにはいかない。なんとか踏ん張って背筋を伸ばすと、作戦通りの言葉を口にする。


「……ありがとうございます。僕も、生贄になって、少しでも父さんの役に立てるのが嬉しいです」


 思ってもいないが、演技となれば案外スラスラ出てくるものだ。


「だから、父さんの都合に問題が無ければ、僕を連れて行ってください。早く行って、儀式の準備を手伝いたいです」

「……しばらく見ない間にえらく傲慢になったな。お前のような人間が、崇高な儀式の準備なんかさせてもらえるはずがないことぐらい、少し考えたらわかるだろう。大学に行かせてやっても、肝心の気遣いはできないままなんだな」

「……」

「そんなだから、怪しげなアルバイトに身を沈めることになるんだ。いくら貰っているのか知らないが、どうせ人様に顔向けできないようなロクでもない事をしてるんだろう。雇用主も雇用主で、くだらない人間――」

「ちょっと、構いませんか」


 低い声が、父の言葉を遮った。父は振り返り、相手が警察官であることを確認すると途端に顔色を変えた。

 阿蘇さんはそれに気づかないフリをして、僕を見ながら抑揚なく続ける。


「夜分にすいません、警察です。あなたが竹田景清君ですか?」

「……はい」

「あなたに、麻薬取引の受け子の疑いがかかっています。今から、署で詳しい話を聞けませんか」

「え? いえ、僕はそんなことしてませんが……」

「その辺りも全部署で聞きます。さあ、行きましょう」


 阿蘇さんは、力強く僕の腕を掴んで外に引っ張り出した。……これ、怒ってるな。まあ、実の兄をああも言われたら、そりゃそうなるか。


「……あなた、この人のご家族ですか?」


 僕が外に出る間際、阿蘇さんは父に向かって鋭い目を向けた。すると父は、目を泳がせながら消え入りそうな声で答えた。


「……いや、知りません。たまたま通りがかって話していた、このアパートの住人です」

「……父さん?」

「そうですか」

「父さん! 僕はやってない! すぐ戻るから、部屋に入って待ってて!」

「な、なんだお前は! 黙れ! どうして僕を陥れようもするんだ! お前は僕の息子でもなんでもないだろ!」


 その一言に、僕は胸の真ん中にぽっかりと穴が開いたような気持ちになった。なんだ、これ。なんなんだ一体。

 呆然とする僕を引きずりながら、阿蘇さんは黙って父に背を向けた。

 去り際の阿蘇さんの舌打ちだけが、耳に残っていた。









「クソ野郎だな」


 誰もいない路地に来たところで、阿蘇さんが吐き捨てるように言った。


「景清君の話から、まあどうしようもないヤツだとは思ってたよ。それでも限度ってもんがある。ありゃダメだ。難癖つけて逮捕して懲役刑だ」


 どうしてだか、とても怒っているようだ。いつもの僕であればまあまあと取りなすのだろうが、不思議と今はそんな気が起きず、怒る阿蘇さんをぼんやりと眺めていた。


 父は、僕が幼少の時より厳しい人だった。褒められた記憶は無く、だからこそ、認めてもらおうと人一倍の努力はしてきたと思う。

 母は、僕を溺愛しているように見えた。だけど、よくため息をつく人だった。こんなに頑張っているのに、どうしてようやく人並みなのかしら、と。

 傍目からは、立派な父親と謙虚な母親、そして不出来ながらよく努力をする一人息子といった、理想的な家庭だったと思う。


 そんな両親は、僕が生まれる前から、生ける炎の手足教団の信者であった。母は教祖の息子の娘であったが、女性だった為か教団内でそれほど重んじられることも無かった。なんとなくであるが、母も、母と結婚した父も、そのことを不満に思っていたように感じる。


「……父の、あんな姿は初めて見ました」


 阿蘇さんに問いかけられ、小声で僕を知らないと言った父を思い返す。その姿は、僕のよく知る父とはかけ離れたものだった。


 今もなお、胸中に渦巻くこのモヤの正体は何なのだろう。


 僕の少し前を歩く阿蘇さんに尋ねれば、何か糸口が掴める気がした。


「……阿蘇さん、あの時、あなたは何故――」

「……景清君」


 ピタリと足を止めた阿蘇さんの背中に、口を開けたままの僕はぶつかった。状況を確認する前に、ぐいと強く引き寄せられる。


「話は後だ。あれを見ろ」


 阿蘇さんに促され顔を上げた僕は、息を飲んだ。


「……どうやら、あっさり君を連行させてくれる気は無さそうだぞ」


 僕らの行く手を遮るように立っていたのは、白いローブで全身を覆った四人組。彼らは、ローブの隙間から剥き出しの両腕を出して、僕に向かって伸ばしていた。


「……質問なら、こいつらをぶっ飛ばした後でいくらでも答えてやるよ」


 阿蘇さんの服を掴む僕を見て、察しの良い彼は笑いかけてくれた。その笑顔に、愚かにも僕は少し安心してしまう。


 ――その時が、永遠に訪れないなどと知らないままで。

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