生ける炎の手足教団

第0話 僕と曽根崎さんの出会いについて

 家賃は払った。水道料金も、電気代も、ガス代も問題無い。学費も、なんとか振り込めた。

 僕は、パソコンの中の家計簿をもう一度見直し、ため息をついて仰向けに倒れた。――よし、ギリギリ黒字だ。これも、曽根崎さんのアルバイトのおかげである。

 色々と大変な事も多かったけど、なんせ金払いがいいのでやめられない。最初こそ、こんな胡散臭いバイトがあるのかと疑ったものだが。


 ――そうだ。初めて会った時から、変な人だったんだよな。


 僕は目を閉じて、曽根崎さんと出会った時のことを思い返していた。









「時給四千円!?」


 大学二年生の冬。家からの仕送りがストップした僕は、学費や生活費を稼ぐために高額のアルバイトを探して街を歩いていた。やっぱり、夜の仕事に身を沈めるしかないだろうか……。そんなことを考えていた時に、その張り紙は僕の前に現れた。


「内容は……お手伝いさん。主に料理や掃除……勤務時間は問わない、だって!?」


 なんという好条件。あまりにも話がうますぎて、どこかに都合の悪い文字が小さく書かれているのではないかと数分探した。しかし、いくら探してもそんなものは見つからない。


 ……いや、まだわからない。お手伝いさんとは名ばかりで、実際は表沙汰にできないようなサービスを求められるかもしれない。

 でも僕、男だしな。それはそれで、そういう需要もあるかもだけど。


 ……。


「……行ってみるか」


 どの道、このままでは辿る道は同じなのだ。それが早いか遅いかの違いだけで。

 ならば、僕は早い方がいい。


 ――こんな僕でも、役に立てる場所だといいのだが。


 張り紙が貼られた建物を見上げ、僕は二階へと続く階段に足をかけた。一歩一歩進むごとに、嫌な動悸に胸が痛くなる。

 そして、ドアの前についた。何の変哲も無い、看板すら掲げられていないドアだ。

 三回ノックし、声をかける。


「すいません、オモテの張り紙を見て来ました、お手伝いさん志望の竹田といいます」


 返事はない。もう一度同じことを繰り返したが、結果は同じだった。

 留守なのだろうか。首を傾げ、しかし少しホッとしながら引き返そうとした時だった。


 ドアの向こうで、誰かがドサリと倒れる音がした。


「……え?」


 だが、その後は何の音もしない。……事件?事故?それとも病気?様々な可能性がよぎる中、もし病気であれば助けなければと判断し、僕は恐る恐るドアノブに手をかけた。

 カチャリ、と軽い金属音と共に視界が開ける。

 埃っぽく、陽の差し込まない室内。それでもそこそこの広さのフロアは、なぜかキッチンが併設されていた。

 さて、音の出所はどこだろう。ドアから顔だけ出して様子を伺っていると、奥に置かれた大きな事務所机の後ろで、もじゃもじゃした黒い塊が転がっている事に気付いた。


 ――いや、あれ、人間じゃね?


「……大丈夫ですか?」


 尋ねるも、反応はない。僕は、思わず中に足を踏み入れていた。

 もじゃもじゃは、人間だった。きっちり着込んだスーツに、目の下の濃いクマが印象的な頭が乗っかっている。

 僕は、彼の肩を叩いた。


「救急車呼びましょうか?警察の方がいいです?」

「……っ」


 あ、目を開けた。目つき悪いな、この人。謎の男は、どろんとした目で僕を見上げると、掠れた声で言った。


「多分……水」


 多分ってなんだ、多分って。

 しかし危険な状態であることには変わりなさそうだったので、僕は慌ててキッチンに駆け込むと、コップに水を汲んで帰ってきた。

 差し出すと、男は力無くもじゃもじゃ頭を横に振った。


「飲ませて」


 世話の焼ける人だな!仕方ないので、頭を片腕に乗せて口にコップをあてがった。

 ゴッゴッと一気に飲み干し一息つくと、男はさっきよりはしっかりした目で僕を見た。


「なんか食べたい」


 次から次へとこいつは!初対面の僕がそんなホイホイ言うこと聞くと思うなよ!


「じゃあなんか買ってきます」


 いや、だってまあ、相手は病人っぽいし。僕は、駆け足で近くのコンビニに向かったのだった。









「……それじゃ、君は表の張り紙を見てお手伝いさん志望としてここに来てくれたのか」


 インスタントの味噌汁とおにぎりを一瞬で平らげた男は、ソファーに座って言った。いつのまにやら面接然としている。僕は頷いた。


「はい。具体的にどのようなことをするんですか?」

「紙に書いていた通りだよ。空いた時間にうちに来て、掃除や料理、それらの家事をお願いしたい」

「一週間のうちどれぐらい働けばいいですか」

「いくらでも……と言いたいところだが、多い方が助かるな。人間、食べないと死ぬから」


 ……この人、僕が来ないと食事をしないつもりなのだろうか。先程まで餓死しかけていた人間が言うと、妙に真実味がある。ならば、僕の他にいるだろうアルバイトと相談し、この人が餓死しないようシフトを組む必要があるだろう。

 その点について尋ねると、男は奇妙な顔をした。


「何言ってるんだ。私は一人しか雇うつもりはないぞ」

「……え?」

「そもそも、人付き合いはあまり得意じゃないんだ。だから早い者勝ちだよ、このバイト」

「……」


 時給四千円で、いくらでも働いて良くて、先着一名限定のアルバイト、だと?

 頭で考えるより先に、口が勝手に動いていた。


「やります」


 後々になって、僕はその判断をまあまあ後悔することになる。

 男は、怒ったような顔を僕に向け、右手を差し出した。今思えば、笑おうとしていたのだろう。


「曽根崎慎司だ。普段はオカルト専門のフリーライターをしている。これからよろしく頼む」

「竹田景清といいます。岡都大学の二年生です。よろしくお願いします」


 僕は、骨張った冷たい手を握った。









 あれから、色々あったな。


 僕は、仰向けになったまま目を開けた。


 曽根崎さんがボロボロになって一人帰ってきた時もあったし、金につられて僕が巻き込まれた事もあった。それでも、なんとか無事でいる。

 あの人は、今までどんな人生を生きてきたのだろう。想像した所で、僕などでは全く及ばない。


 だが、それでいいのだろう。僕はただのアルバイトで、あの人はただの雇用主だ。せいぜい、人生の中の一瞬、すれ違いざまに袖が触れ合ったようなものだ。ため息をつき、起き上がった。


 ――すると、玄関のチャイムが鳴った。


 こんな時間に誰だろう。時計は、夜の九時を指していた。


「はい、今出ます」


 三条だろうか。あいつ、時々何の前触れも無く酒持って現れるからな。一度、僕が彼女といた時も「良かったら一緒にどうぞ」と部屋に上がってきたし。遠慮しろ。なんでお前が誘う側になってんだ。


 相手を三条と決めつけていた僕は、覗き窓から外の様子を伺うことを怠った。


 それがいけなかった。


「……景清」


 僕の目の前に立っていたのは、くたびれた背広を着た一人の男。一見優しそうに見える冷たい笑顔を貼り付けた彼は、僕を見てわざとらしく両手を広げた。


「久しぶりだな」


 その姿に、僕の息が細かく千切れる。恐怖のあまり脳が混乱し、どうやって呼吸をしていたかわからなくなった。

 それでも、好意を示してくれている彼を無視することは許されない。切れ切れの息の中、僕はなんとか言葉を絞り出した。


「――久しぶり、父さん」


 ぬるい温度の手の平が、僕の頬を張った。

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