番外編 トラブルメーカーと罰ゲーム

「やっぱりここだったか」


 穏やかな午後の事務所に、藤田さんが颯爽と現れた。曽根崎さんと阿蘇さんとジェンガに興じていた僕は、ドアの風圧で崩れたタワーに目を見開く。


「……いや、これノーカンでしょ」

「運も実力の内だよ、景清君」

「恨むならタイミングの悪いアイツを恨め」

「……藤田さんこの野郎!」

「何? 抱こうか?」

「会話して!」


 藤田さんは、いつもと変わらない優しい笑みで両手を広げている。誰が飛び込むか馬鹿野郎。

 僕は、ガラガラに崩れたジェンガを恨めしく見つめながら、藤田さんに尋ねた。


「……で、どうしたんですか。誰か探しにきたんですか?」

「ああ、そうなんだよ。阿蘇、ちょっといい?」


 藤田さんの誘いに、阿蘇さんは手元のココアを口に運びながら返す。


「無理。忙しい」

「嘘つけ。ジェンガしてたじゃん」

「今から景清君にやらせる罰ゲーム考えなきゃいけねぇんだよ。お前に割いてる時間ねぇわ」

「暇だね? それ絶対暇だよね?」

「忙しい忙しい」


 相変わらず、平時とあっては藤田さんには冷たい阿蘇さんである。まあ、幼稚園からの付き合いで、たびたび彼の尻拭いやら騒動に巻き込まれているとあっては、無理からぬ事かもしれないが。

 とはいえ、僕にとってはお世話になった叔父なので、シュンと肩を落としている藤田さんを見てしまうと、フォローせずにはいられない。


「……阿蘇さん、話だけでも聞いてあげてくださいよ」

「しょうがねぇな。今日だけだぞ?」

「今後はダメなの? 冷てぇ……」

「いいから話せよ。なんだよ」


 そう言われ、藤田さんは、本日初めて笑顔以外の顔を見せる。憂いを帯びたような、真面目な顔。だが、大抵こうなると、次に彼の口から出てくる言葉はロクなものではない。

 まるでプロポーズをするように藤田さんは阿蘇さんの隣で片膝をつくと、その手を取った。


「……オレの彼氏のフリをしてくれ」


 ほらね!!?

 裏切ってもいいような期待は本当裏切らねぇんだよ、この人!!

 っつーか何言ってんの。


「却下。回れ右して元カレだか元カノだかに殺されてこい」


 手を振り払った阿蘇さんも、当然の反応である。焦った藤田さんは、何故か阿蘇さんの肩を揉みながら泣きついた。


「じゃあ彼氏! マジの彼氏になってください!」

「なんで譲歩したフリしてグレード上げてんだよ! 下げろ下げろ!」

「このままじゃ曽根崎さんと景清君が危ないんだ!」

「え、まさか二人が狙われてるとか……!?」

「いや、阿蘇が断ったら代わりに引っ張っていく」

「断れ! 断れよ兄さんと景清君!」


 僕らを振り返り、阿蘇さんは怒鳴った。僕はすぐに頷いたが、曽根崎さんは完全に他人事といった様子で新聞を広げ出した。


「経緯ぐらいは聞いてやりなさい。案外困ってるかもしれん」

「むしろ困ればいいと俺は思うね」

「や、今回はオレ悪くないんだよ。誓って手も出してないし、ましてや体の関係なんてあるわけがない」

「へぇ、珍しいですね。じゃあどうしたんですか」


 好奇心に負けて、つい聞いてしまった。阿蘇さんは嫌そうな顔をしたが、藤田さんは嬉しそうに続ける。


「妄想が激しい子がいてね。オレと付き合った事もないのに、噂だけ聞いて、真に愛されているたった一人だと思い込んでる」

「女の子です?」

「そう。しかも過激な子みたいで、適当にかわしてたら昨日とうとうカッター持ってオレの家の前で待ち伏せてた」


 何それ怖い。流石に藤田さんもマズイと思ったようで、警察に通報したらしい。


「でも、素直に聞く子でもなさそうなんだよな。だから、オレが真に愛してるのはこの男ですーって言ってやれば、諦めるかと思って」

「諦めますかねぇ」

「むしろ火に油じゃねぇか?」

「そうだとしても、襲いかかってきたら、阿蘇がその子を現行犯で取っ捕まえる事ができるだろ」

「あー、そういう事? でも、他でもないお前なら、そんな子でも愛せるだろ。愛してやれば?」

「愛せるけど自由が無くなるのは嫌だ」

「ああそうかい……」


 ここまで欲望に忠実でいられると言葉も出ないといった様子で、阿蘇さんはため息をついた。そして、顎に手を当てて考える。その眼差しの先には、僕と曽根崎さんがいた。

 ……とても、悪い顔をしている。嫌な予感に僕が何も言えないでいると、視線に気づいた曽根崎さんが新聞から顔を上げた。


「……忠助、何を企んでる」

「いや何、どう罰ゲームと絡めようかと思って」

「それなら景清君だけ連れて行けばいいだろ」

「……兄さん、俺の今の状況を見て、楽しんでるだろ」


 曽根崎さんの肩がビクリと動いた。図星だったらしい。


「……兄弟だろ? 一緒に地獄へ落ちようぜ」


 兄の肩に手を置いて、阿蘇さんはにっこりと笑った。








 傾いた太陽が、長い影を作る。人気の無い小さな公園に、藤田さんは一人立っていた。

 そんな彼に駆け寄る、小柄な可愛らしい女性。藤田さんは、彼女を見て薄く微笑んだ。


「……よくオレがここにいるって分かったね」

「だって、ずっと見てたもの。あなたは、私のものなんだから」

「そのことで、今日は話しておきたいことがある」


 そう言うと、藤田さんは一人の男の名を呼んだ。夕陽を眩しそうに手で遮りながら、ガタイの良い男が滑り台の陰から現れる。

 阿蘇さんの手が自分の腰に回されるのを確認し、藤田さんは言った。


「オレ、この人と付き合ってるんだ。だから、君とは付き合えない」

「……どうして」

「悪いけど、オレの事は諦めてほしい」


 女性は、唇を噛み締めてワナワナと震えていた。すると突然、その右手が、勢いよく上着のポケットに突っ込まれる。取り出されたのは、刃がむき出しになったカッター。


「……そんなのがいるから、私とあなたは結ばれないの? だったら、だったら、私が切ってあげる!!」


 彼女は、それを振りかざし、叫び声を上げながら阿蘇さんに襲いかかろうとした。しかし、彼にたどり着く前に、横から出てきた長身の男に彼女は突き飛ばされた。


「な、な、何!? 誰よあんた!?」


 混乱する彼女を見下ろし、長身の男は言い放つ。


「私は、藤田君の彼氏だ!」


 そして、藤田さんの元に行くと、少し考え、藤田さんの腰に腕を回す阿蘇さんに抱きついた。いや、どう判断したらそうなるんだよ。大きなカブじゃないんだから。


 ところで、僕が出て行くタイミングはここでいいのかな?


 理解しがたいオッサンの宣言に、それでもよろよろと立ち上がろうとする彼女の所へ、僕は歩み出す。そして、彼女が何かしようとする前に、僕はカッターを持った右手を押さえた。

 驚いたような顔で僕を見つめる彼女に、台本通りの言葉を伝える。


「……僕も、藤田さんの彼氏です」


 彼女の顔が泣き出しそうに歪む。救いを求めるように藤田さんを見たが、彼は黙って首を縦に振った。

 あまりのショックに、女性はその場に崩れ落ちる。


「こんな人だと、思わなかった……」


 涙声の彼女に、少し同情してしまう。だが、悲しいことに元々この人はこんな人だ。たまたま、ここにいる誰一人と肉体関係が無いだけで。


「……私じゃ、あなたのたった一人にはなれないの?」

「ごめん、あと十人ぐらいはいる」

「嘘……流石に無理……」


 それは、生理的に無理という意味か、もしくは全員は殺せないといった意味か。その辺りは不明だが、すっかり彼女の柱は折れたようだった。

 女性はカッターを放り投げると、逃げるようにその場から立ち去っていった。


「……終わりましたね」


 彼女の背中を見送った僕は、ポツリと呟く。


「僕の何かが汚された気がします」

「オレは大いに助かりました。ありがとう」

「これに懲りたら、ちょっとは性生活改めましょうよ」

「性生活と書いてライフスタイルと読むんだ」

「だから何だよ。じゃあライフスタイル改めろ」


 これ、また同じことが起こるんだろうな。我が叔父ながら、ほとほと呆れてしまう。

 僕は、彼女が落としていったカッターを拾い上げた。そのまま自分の物にするわけにもいかず、ひとまず藤田さんに渡そうと体を向けた時――。


 公園の入り口にいる人物と目が合った。


「……」


 彼は、わざとらしく口笛を吹いている。その誤魔化しもどうやら効かなそうだと判断すると、及び腰になりながら後ずさりした。


「誰にも! 誰にも言わねぇから! それに全然見てないよオレ!」

「三条ーーーーーーっ!!」


 三条であった。全然見てないって、一体どこから見てたんだ三条!


「オレ、この人と付き合ってるからってとこからです!」

「最初からじゃねぇか!!」

「オレいいと思うよ! 景清が男好きでも! でも流石にその四人で色々回すのはどうかと……」

「最悪の誤解が生まれてる! やめて! この人達と僕関係ないから!」


 このままではマズい! 僕は、応援要請の為に残る三人を振り返った。


 が、大人というものは時として悪ふざけが過ぎるものである。


「嘘だろ、景清……。オレ達の関係は、そんな薄いものだったのか?」

「君を取り囲んで迎えた朝を今でも思い出すよ」

「しかしこんなに薄情なヤツだとは思わなかったな。散々私のベッドを使い倒していたくせに」

「左から叔父、あしとりさん、経過観察!! っていうか阿蘇さんまで!!」

「家に帰るまでが罰ゲームです」

「知るか! 僕の今後の交友関係かかってんだよ!」

「景清、マジか……!」

「ああもう! 三条、ちょっと後で話そう! な!?」

「景清に食われるー!」

「食わねぇよバカ!!」


 大の大人が、夕焼けの公園でやいのやいのとやっている。この後、怒りのあまりカッターを振り回し始めた僕に藤田さんが土下座することで、ようやく収拾がついた。


 ――二度とこの叔父のトラブルには首を突っ込まない。ついでに、ジェンガにも負けない。

 沈む夕日に、僕は強く誓ったのであった。



 番外編 完

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