第15話 さあ、準備を
あしとりさんに取り憑かれていようが、一晩中怪しいオッサンに寝顔を見られていようが、腹は減る。曽根崎さんは、僕の作った味噌汁を一気飲みして、言った。
「まず、準備が必要だ」
僕は真向かいに座って漬物をかじりながら、訝しげに目を細める。
「準備って、何のです?」
「決まってるだろ。君から出てきたあしとりさんをブチのめす準備だ」
「そんな得体の知れない物、どうやってブチのめすんですか」
「わからん。わからんから、ありとあらゆる手を使ってみる」
僕の目の前で空のお椀が揺れる。どうやら、おかわり要請のようだ。
口で言え、口で!
「でも、相手は壁をすり抜け、脳に取り憑くヤツですよ。対抗手段なんて、僕には候補すら挙がりません」
曽根崎さんからお椀を受け取り、表面張力の限界まで味噌汁を入れる。彼はその光景を微笑んで見つめていた。困っているのだろう。
僕も持って行くことができず、取りに来るよう指示したら、曽根崎さんはどこからともなくストローを取り出した。この人、ほんとなりふり構わねぇな。
彼はストローで味噌汁を吸いながら、先ほどの僕の質問に答える。
「電流、火炎放射、液体窒素、酸素遮断、打撃、刺突――これらを、全部やってみようと思う」
「全部ですか」
さながら殺意のオンパレードだ。こんなものに巻き込まれようものなら、普通の人間であればひとたまりもないだろう。
「場所もさることながら、物資を調達する時間も必要だ。それまで頑張って寝ないでくれ」
「必要って……そもそも揃うんですか」
「まあ、その辺りはアテがある」
「アテ?」
「ホームセンター」
「過信しすぎだろ!」
そういや前も行ってたな、この人。どんだけ好きなんだ。
しかし、それまで寝るなとは一体どれぐらい頑張ればいいのだろう。一日二日なら、いけるかもしれないが……。
尋ねると、存外軽い回答が返ってきた。
「ああ、今日の夕方まで耐えてくれたらいいよ。それまでには揃うから」
「早いですね」
「君の命がかかってるんだ。それぐらいするさ」
よくそういう事を平気な顔で言えるな。いつもの事だけれども。
それからは取り止めのないことを話しながら食べ進め、やがて曽根崎さんはお箸を置いた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「さて、景清君に伝えておかないといけないことがあるのだが」
「はい、なんですか」
曽根崎さんはお椀を片付けようともせず、僕の顔をじっと見る。なんだなんだ。何かついてるのか。
「もし、君が眠気に耐えられず、あしとりさんの夢を見てしまった場合についてだ」
「はい」
何か躊躇うように考えている曽根崎さんだったが、決心したように、一つ頭を振って言った。
「……そうなったら、私をあしとりさんに食べさせるよう言って欲しい」
「……はい?」
どういう意味だ。首を傾げる僕に、彼は説明してくれる。
「昨日の晩、忠助から連絡があったんだ。なんでも、美知枝さんは自分が助かる為に、朱美さんをあしとりさんに差し出したと。その結果、美知枝さんは朱美さんを認識できなくなったものの、自らが食われる事はなかったらしい」
「つまり、他の人を指定する事で、一回パスができたんですね」
「そうだ。とはいっても、何故か声は聞こえていたようだが。だから、万が一準備が完了する前にあしとりさんに遭遇する事があれば、私の名前を出すんだ。いいね?そうすれば君は私を認識できなくなるが、部位は失わなくて済む」
「わかりました。相手が曽根崎さんなら、僕も迷いなく犠牲にできますし」
「おい」
ちょっと傷ついたような顔をする曽根崎さんだったが、僕が何かしらのフォローをする前にドアのチャイムが鳴った。やってきたのは、阿蘇さんと藤田さん。
「うわ、飯食ってやがる。呑気だな」
「おはよ、景清。ゆうべ曽根崎さんは寝かせてくれた?性的な意味で」
「ぶっ飛ばすぞ」
曽根崎さんじゃなくて、このどうしようもない叔父を犠牲にした方がいいんじゃないだろうか。食器を片付けながら、僕は物騒な企みを頭の中でこねくり回していた。
しばらく曽根崎さんと話していた阿蘇さんと藤田さんだったが、すぐに外に出て行った。彼らは僕があしとりさんに襲われたと分かると一瞬言葉を失ってしまったが、一秒でも早く準備を完了させるよう請け負ってくれた。頼もしい人たちである。
そして、僕は曽根崎さんと事務所に向かった。大学は当然休まなければならず、かといって曽根崎さんから離れるわけにもいかず。仕方ないので、僕は事務所の大掃除を始めることにした。
窓を開け放ち、まずは天井の埃を落とす。なかなかの量がモサモサと床の上に溜まる中、埃の親玉みたいなモジャモジャ頭が机の上で揺れた。
「そういや、どうして二週間なんだろうな」
「何がです?」
「症状が出始めてから、入院までだよ。例えば他の人を犠牲にしないまでも、髪の毛一本ずつを差し出していけば、かなり長くもつと思うんだが」
「そういえばそうですね。ああ、髪の毛って手がありましたね」
言いながら、左手に目をやる。多少おさまった気がするが、治るものではない為か結構な痛みが残っていた。
「何故だ? 同じ名称は使えないとか、そんな理由か? いや、それだと……」
考え込んでしまった曽根崎さんを置いて、僕は掃除機をかける。そんなに広い事務所ではないので十五分もかからないうちに終わり、さて次は拭き掃除だと雑巾を手にした時だった。
ぐらりと視界が回った。
吸い込まれるように、強烈な睡魔に飲まれていく。抵抗しようとしたが、喉を握りつぶされているかのごとく声が出ない。
「……そうか。景清君、わかったぞ! そうなると、あしとりさんに他の人を食べさせるということは――!」
遠くの方で、曽根崎さんの声が聞こえる。
しかし最後まで聞く前に、僕は悪夢の中へと落ちていった。
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