第11話 黒い男の正体
「……そんな、景清が」
隣に座っている藤田さんが、声を震わせて呟いた。彼のこんな声は、初めて聞いた気がする。
「本当なんですか、それは」
「状況から考えても、その可能性は高いだろう」
「曽根崎さん、どうにかできませんか。その引き寄せの呪文がわかっているなら、いっそオレにあしとりさんを取り憑かせても構いませんから」
さっきとは打って変わって真面目な藤田さんを、僕は驚いて見ていた。この人、こんな顔できるんだな。
しかし、曽根崎さんは無情に首を横に振る。
「無理だ。呪文が書かれていた紙は、この通り白紙になっている」
「景清! 呪文をオレに教えてくれ。そうすれば景清はあんな目に遭わなくて済む!」
藤田さんは僕の両肩を掴むと、懇願するように言った。
だけど、彼の期待に沿うことはできない。
「……すいません、本当に覚えてないんです。どんな音から始まったのかすら……」
「なんとか思い出せないか?このままだとお前、手足が認識できなくなって動かすことすらままならない廃人になるんだぞ!」
「……」
「……じゃあ、呪文を教えたってヤツの居場所はわからないか!? オレが直談判してくるから!」
「……すいません」
僕の謝罪に、一瞬藤田さんは今にも泣き出しそうな顔をした。しかしすぐに曽根崎さんに顔を向けると、強い口調で疑問をぶつける。
「そもそも、さっきから出てくるこの黒い男は何者なんですか? 曽根崎さん、あなたはご存知なんでしょう」
対する曽根崎さんは、深く頷いた。
「ああ、私は彼を知っている。黒い男は、私に関わりのある何かだ」
「何か? 何かって何ですか」
「兄さん、やめろ。藤田を巻き込むな」
ずっと沈黙を守っていた阿蘇さんが、制止するように腕を出して割って入った。その目には、焦燥の色が浮かんでいる。
それをじっと見据え、曽根崎さんは彼の腕に手を置く。
「もう手遅れだよ。景清君がこんなことになった今、むしろ知らないでいる方が危険だ」
「……知らなければ、目をつけられないかもしれない」
「そうじゃないことは、もう君と景清君が証明しただろ」
穏やかだが、有無を言わさぬ口調だ。阿蘇さんは悔しそうに歯を食いしばりながらも、伸ばしていた腕をゆっくりと下ろした。
曽根崎さんは一つため息をつき、改めて藤田さんに向き直る。
「今から、私はあの男について話す。信じがたい話だし、すぐには受け入れられないかもしれない。それでもいいね?」
「わかりました。話してください」
「ありがとう。では、男の正体から話そう」
男の姿が頭に浮かぶ。全身真っ黒で、闇から生まれたような異様な姿。
だからだろうか、僕には曽根崎さんの言葉がすんなり事実として入ってきた。
「まず、彼は人間ではない」
「……はぁ?」
藤田さんは、突拍子の無い曽根崎さんの答えに、思い切り顔を歪めた。だが、彼はこういう時にふざけるような人ではない。淡々と、曽根崎さんは真実だろう言葉を述べる。
「因縁のある相手でな。普通の人間では有り得ない力を使い、気まぐれに人をいたぶることを趣味としている。私はそいつに目をつけられ、一方的に嬲られてるんだ」
余りに突然過ぎて、途方も無く、現実感のない話だ。それでも必死で意味を理解しようとする藤田さんは、食いついていく。
「なら、どうして曽根崎さんじゃなくて景清が狙われるんですか。その男の目的は曽根崎さんなんでしょう」
「恐らく、誰でも良かったんだろう。たまたま私に近い人物で、単独行動を取っていたのが景清君だったんだ」
「そんな……!」
「彼は、仕掛けたゲームに私が慌てふためき足掻く姿を見たいんだ。ゲームが面白くなる為なら、手段は問わない。そこに倫理は存在しない。もっと言えば、私が解決できるかどうかもヤツは気にも留めない」
「……」
僕は、ずっと黙ったままの阿蘇さんを見た。きっと、彼は知っていたのだろう。その上で、今までずっと実の兄を見捨てる事はしなかったのだ。
あるいは、どこにも逃げる場所が無かっただけかもしれないが。
そして、今回とうとう僕の番がまわってきたのだ。曽根崎さんが踊る舞台の、引き立て役として。
「――だから、景清君は、絶対に助ける」
静かに、曽根崎さんは断言した。
「これはヤツが仕掛けたゲームだ。ゲームならば、必ずこちらが勝利する目がある」
「……相手は人間じゃないんでしょう。だったら、勝ち目が無い可能性もあるんじゃないですか」
「愚問だな、藤田君。ゲームとは楽しむものだろう」
責めるような口調の藤田さんに、曽根崎さんはクククと皮肉に笑いながら返す。彼の容貌も相まって、まるで悪役のボスのようだ。
「――100パーセント自分が勝つゲームなんて、何が面白いんだ」
しかし曽根崎さんの目は、全く笑っていなかった。
「だから、私は正解を必死で考える。危険な橋でも、架かっているのなら迷わず渡ろう。君たちにも協力してもらいたいが、何せ相手が相手だ。これ以上関わりたくないと言うなら、引き止める気はない」
そして曽根崎さんは喋るのをやめ、場に静寂が訪れた。時計の針がたてる音だけが、カチカチとやたら耳につく。その音と同じぐらい小さな掠れた声で、僕の隣に座る叔父は口を開いた。
「……これはオレが持ってきた案件です。景清を巻き込んでしまったなら尚更、オレは最後まで責任を持ちます」
藤田さんの言葉を確認して、阿蘇さんも強く頷いた。
「俺も協力するよ。景清君を放ってはおけないし、曽根崎案件には積極的に関わり報告しろというのが、上の本意だ」
「うむ、感謝する」
礼を述べる曽根崎さんに、二人は何も言わずに席を立った。
「……それじゃ、オレは今からもう一度涼香ちゃんの所へ行ってきます。何か手がかりが残されているかもしれない」
「俺もそこへ行く。二人いれば何かあっても対処できるだろ」
「ありがとう、阿蘇」
「いい、今更だろ」
そして出て行く直前、阿蘇さんは僕を振り返って言った。
「景清君、何かあればすぐ連絡をくれ。絶対に単独行動を取るなよ」
「わかりました」
「うん、じゃ、兄さんあとはよろしく」
「はいよ」
その言葉を最後に、ドアは音を立てて閉まった。
時刻は午後八時。本来ならば、家に帰ってテレビでも見るか、講義で出されたレポートを書いているところだろう。
だが、今はそんな当たり前が遠く思えるほど、僕は非日常に来てしまっていた。
落ち込む僕に気づいたのか、真正面にいる曽根崎さんが突然勢いをつけて立ち上がった。そして、淀んだ場の空気を変えるように明るい声を僕に向ける。
「じゃ、家に帰るか」
はい、と言いかけたが、さっき阿蘇さんから言われたことを思い出す。
単独行動を取るな。それは即ち――。
「……僕、また曽根崎さんの家に泊まるんですか」
「私今日はラーメンの気分だな。作れる?」
「調味料と具さえあれば……。いやいや、流石にそう何度もお世話になる訳には」
「言っとくが、拒否権は無いぞ。君の今の状況を鑑みて、私の監視下で強制入院するようなもんだ」
「でも、もし僕が廃人になったら、次取り憑かれるのは曽根崎さんですよ」
「それまでに解決してみせるさ」
「……そもそも、僕があの男の言う事を聞かなければ、こんなことにならなかったんです。いっそ僕をどこかへ監禁して、これ以上の被害拡大を食い止めるのが一番いいんじゃないですか」
少しヤケになった僕の言い分に、曽根崎さんは資料を鞄にまとめながら答える。
「藤田君も言ったように、あしとりさんと呼ばれる昆虫は壁をすり抜ける。ならば君を監禁した所で解決はしない。まあ、君がまた自分を犠牲にしたいというなら、寝ている所を始終観察させてくれ。どんな現象が起こっているか、客観的に確認しなければならない」
あれ、言葉に棘がある。珍しい。
僕は自分が落ち込んでいたことも忘れ、曽根崎さんの顔を覗き込んだ。
「……曽根崎さん、怒ってます?」
「私に怒る資格は無い。黒い男が君を狙ったのは私のせいだ」
「でも怒ってますよね?」
「なんだよ君は。言っていいのか? なら言うぞ」
いきなり開き直った曽根崎さんは、眉間に皺を寄せ、人差し指で僕の胸を突いた。
やはり怒っていたようだ。今回も珍しく、表情と感情が一致している。
「いいか、景清君」
「はい」
「君は、自己犠牲が過ぎるんだ」
彼の口から放たれた言葉に、僕は面食らった。
自己犠牲?
訳がわからないという顔をする僕に、曽根崎さんは続ける。
「前から思っていたが、君は自分が犠牲になる選択であればあるほど即決できてしまう。はっきり言うが、それは異常だ。自身より他者に重きを置く故の行動だが、言い換えれば自分の命を軽んじているだけの話だ」
「……言っている意味が、よく」
「うん、そうだな。えーと、あれだ」
曽根崎さんは、切れ長の瞳を僕に向けたまま、何か考えていた。しかしどうも言葉が見つからなかったようで、諦めた顔で吐き出す。
「……君が死んだら、私は泣くぞ」
「……なんですか、それ」
なんだか急にしおれてしまった。むしろ情けないぐらいの弱々しさで、曽根崎さんは言う。
「それぐらい君に価値を置いてるんだ。今死なれたら、正直だいぶ堪える」
「僕は曽根崎さんが居なくなっても結構平気ですが」
「嘘だろ? マジで? マジか……」
「冗談ですよ。実入りのいいバイトが無くなるのは辛いです」
「君って本当そればっかだな」
つい、誤魔化してしまった。オッサン相手でも、そんなことを言われたら落ち着かない。
今まで、存在を疎まれこそすれ、こうして面と向かって肯定されたことなど無かったのだ。
――奇特な人だな。自業自得でこうなった僕なのに。
僕は、ようやくソファーから腰を上げた。
「……ラーメンの材料、買って帰りましょうか」
「ああ、作ってくれるのか」
「まあ、お世話になるんですし、それぐらいはしますよ」
「豚骨ってどこで買えるかな」
「ガラから取れってか。朝日見るぞ」
嬉しそうに帰る準備を再開した曽根崎さんの背中を見ながら、僕は一人、決意に拳を握る。
――そこまで言ってくれるからには、何が何でも立ち向かってやる。
せめて、このオッサンが僕からあしとりさんの手がかりを得るまでは。
その時になってようやく、僕は僕の取るべき選択が見えた気がした。
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