第7話 僕は尾行し尾行される

「罠、だよな……」


 僕―――竹田景清は、自分の部屋のベッドに寝転がり、封筒に入っていた紙を眺めていた。黒い男から貰った黒い封筒。何から何まで胡散臭いのに、そこに書かれてある内容は輪をかけて怪しいものだった。


 あしとりさんを退散させる呪文。

 それが、この封筒の中身の全てだった。


「絶対罠だよなー!!」


 ゴロゴロ転がりながら、あの時のことを思い返す。……それまで普通だったのに、男が現れる直前あたりから突然思考がネガティブになった。何をやってくれたか知らないが、人の弱みに付け込むような事をしやがって。曽根崎さんの次に許さないぞ、アイツは。


 しかし、もしこの呪文が本物だったとしたら、すぐさま事件を解決に導くことができる。別に曽根崎さんの為だなんて露ほども思わないが、被害が止まるのは喜ばしいことだ。それに、失敗した所で、僕ぐらいにしか犠牲が出ないなら―――。


 ―――使うべきではないのか?


 しかし、いつ、どうやって?


 曽根崎さんの事務所は出禁になっているし、事情を説明しようものなら間違いなく止められるだろう。頭を悩ませた僕は、一つの結論にたどり着いた。


「よし、こっそり尾行してタイミングを見よう」


 結局、それが一番まずい手であることなど気づかずに。









 曽根崎さんは、藤田さんと病院に向かっていた。あそこに、あしとりさんに取り憑かれた人がいるのだろうか。

 しかし、病院内までには入れない。バレるからだ。尾行ってこんなに難しかったんだな。

 試しに外であしとりさん退散の呪文を唱えてみたが、全く何も起きなかった。


「早速手詰まりだなー……」


 ベンチに座り込み、澄み渡る空を見上げる。そもそも、情報が無さすぎるのだ。またあの黒い男でも現れれば、話は別だろうが……。

 ぼんやりとそんな事を考えていると、突然後ろから声をかけられた。


「そんなとこにいたら、出てきたシンジに見つかるわよ」


 ハスキーで強気な声の正体を、僕は急いで振り返って確認する。


 そこにいたのは、サラサラの黒髪をなびかせた絶世の“ 美女 ”だった。


「しゅ、柊ちゃん、何故ここに……?」

「シンジの原稿貰いに事務所に行ったら、出て行く二人とその後をつけるアンタが見えたの。面白そうだから、とりあえず追っかけてみたわ」


 なんだその愉快な絵面。そして恥ずかしい。尾行を尾行されるのめっちゃ恥ずかしい。

 柊ちゃんは隣に座ると、睫毛の長い人形のような目で僕の顔を覗き込んできた。


「なんでそんな妙なことしてんのよ?」

「……えーと」

「っていうか、どうしてシンジはアンタを連れずに変態野郎をお供にしてんの?」

「柊ちゃんも藤田さんを知ってたんですね」

「アレはボクの仕事界隈でも有名なのよ。あんなの連れて、日の当たる場所を歩くなんてどうかしてるわ」

「そこは僕も同感ですが」

「さ、なんで尾行してたのかをボクに教えなさい。じゃないとシンジにあることないこと言ってやるわよ。自分より変態を選んだシンジにヤキモチ妬いて、とうとうストーカー行為に至るまでになったって」

「全部ないことじゃないですか! やめてください!」

「それじゃ何なのよ」

「うーん……」


 ーー呪文のことは、説明するべきじゃないよなぁ。

 だから僕は、そこに触れない範囲で事実を伝えることにした。


「……今回の案件、僕は戦力外通告を受けまして」

「へぇ」

「危険だから首を突っ込むな、学生は学生らしく勉強してろと言われました。だけど、なんか腹が立って、こうやって何か役に立てないか探ってたんです」

「ふーん」


 柊ちゃん興味ないだろ。

 しかし気の無い相槌とは裏腹に、彼女の顔は真剣だった。長い指を自分の頬に当て、考える仕草をする。


「意外ね」

「しがないバイトとはいえ、僕だってミジンコサイズぐらいの情はあのオッサンにありますよ」

「アンタじゃないわ。シンジよシンジ」


 曽根崎さんが?

 驚いて顔を上げた僕を見ようともせず、柊ちゃんは続ける。


「アイツ、見ての通りマイペースな人間じゃない?冷たいヤツって訳じゃないけど、そもそも人に興味が無いのよ」

「それはわかります」

「多分アンタを連れ回すのも目的があってのことだろうと思って見てたんだけど、最近のシンジはアレね、人間ぽくなったわね」

「あれで?」

「あれで。前はもっと酷かったのよ。たった一人で世界を生きてるみたいな、まあボクからすれば寂しい人間だったわ」

「……」

「景清のおかげかもね。シンジがちょっと真っ当になったのは」

「あれで?」

「あれで」


 思いがけない話である。いや別に嬉しいとかそんなのではないけれど。

 だけど、それならどうして彼は僕と距離を置いたのだろう。疑問が顔に出ていたのか、柊ちゃんが僕の額を人差し指で軽く突いてきた。


「あのおバカはね、一丁前にアンタを心配してんの。自分の目的を脇に置いてまで」

「……」

「今までそういうの、身内ぐらいにしかやってこなかったから、ほんとヘタクソでしょうけどね」


 ――曽根崎さんが、自分の目的よりも僕の身を優先させた?

 いや、僕に対してそんな扱いは―――。


「アンタもさっさと、そういうのがちゃんと受け取れる人間になりなさいよ」


 僕の様子を見ていた柊ちゃんが、呆れたように言う。


「今までどんな人間に囲まれてきたか知らないけど、シンジがそんな男じゃないことぐらいわかるでしょう」

「……」

「……ああ、違うわね。アンタはシンジが信じられないんじゃなくて、自分を信用してないんだもんね」


 はぁぁ、と柊ちゃんは長いため息をつく。


 僕には、彼女の言っていることの意味が何一つわからなかった。


「バカな子ねー……」


 そう言って、柊ちゃんは僕の耳の辺りを片手で撫でる。その顔には、僕の知らない感情が浮かんでいた。


「自分は自分でしょ。他の誰に決められる事じゃないわ。アンタはもっと、自分が嫌なことを跳ね退けりゃいいのよ」

「……僕には、わかりません」

「やっと喋ったわね。ま、今はそれでいいわ。でも、今日ボクが言ったことは忘れないで」


 強い光を宿した彼女の目は、吸い込まれそうなほどに美しい。


「景清、アンタは、何を選んだっていいのよ」


 そう言い残して、柊ちゃんは去っていった。僕は彼女がいなくなったベンチに一人座り、じっと最後の言葉の意味を考えていた。

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