第7話 事態の急変

「景清君!」


 血相を変えた曽根崎さんが、山之辺から僕を引き剥がす。そして、僕の口から煙草の束を掴み取ると、床に叩き捨てた。


「大丈夫か!」


 口の中に、花のような香りが残っている。病みつきになりそうなほど甘く、舌が蕩けそうだ。あれを肺いっぱいに貯めることができたら、どんなに幸せだろう。

 両肩を掴む曽根崎さんには目もくれず、床に散らばった煙草を見る。ああ、勿体無いな。捨てるぐらいなら、僕にくれればいいのに。


「――すまん!」


 思いつめたような顔をした曽根崎さんの指が、僕の口の中に入ってきた。そのまま喉奥を圧迫される。

 あ、吐く。

 僕は膝をつき、盛大に吐瀉物を床にぶちまけた。


「……何すんだ曽根崎……!」


 一通り胃の中が空になった後、口元を手の甲で拭いながら曽根崎さんを睨みつける。曽根崎さんは、山之辺を締め落としながら悔しそうに口をひん曲げた。


「クソッ、まだ正気じゃないか!」

「正気ですよ!げぇ、口の中気持ち悪い……」

「ちょっと待ってろ、こいつ気絶させたら相手してやる」

「あーもう、なんでこんなことに……」


 ――やり方は荒いが、曽根崎さんのおかげで助かったようだ。とりあえず、水が飲みたい。うがいがしたい。やがて意識を失った山之辺をその場に放り出し、曽根崎さんは僕の元へやってきた。


「これ、どう思う?」


 手には、真っ黒な煙草。


「どうって、例のブラックですよね」

「吸いたいか?」

「まさか」

「よーしよしよし。合格」

「何がですか、鬱陶しいな。頭を撫でるのをやめろ!」


 手を払いのけ、部屋の惨状を再確認する。――倒れた山之辺と、散らばった煙草と、吐瀉物。どう見ても事件性しか無い。


「…これ、どうします?」

「どうしようかな。一応正当防衛で通りそうではあるが」

「僕が言うのも何ですが、過剰ですよ」

「ともかく、逃げるか、高城准教授を待つかの二択だ。幸い人質もできたことだし」

「真っ当な人間の口から出てくる言葉じゃないな…」

「君はどう思う」

「そうですね。せっかく気絶してるんだし、とりあえずこの人は医務室に運んで、あとは部屋を綺麗にして何食わぬ顔で山之辺に紹介してもらったって准教授に言えばスムーズなんじゃないでしょうか」

「今日の君はアクセル蒸すねぇ」

「毒を食らわば皿までですよ。僕が吐いた分、相手にも情報吐いてもらわなきゃ」

「うまい!」

「うっせぇな!」


  そうだ、相手が相手なのだ。真っ当な人間の手段なんて選んでいられない。


「でも、山之辺が起きた際に医務室にいたら、周りの人に煙草を勧めたりしないでしょうか」

「それについては、煙草に関して一定の理解、もしくはその人物と一定の関係性を構築している相手じゃないと、勧誘に移らないと踏んでる」

「……言いたくはないですが、さっきの僕は少量の煙草で依存状態になりました。つまり、適当な通行人捕まえて片っ端から煙草突っ込めば、どんどん広められるという考えには至りませんか?」

「君はさっきの一瞬で落ちたけど、君の友人はかなりの量を吸った上で、すぐ依存状態から抜け出したろ」

「三条のことですか?はい、そうでしたね」

「このことから導き出されるのは、依存度には個人差がある、という結論だ。だから、無差別テロ的な行動は周りの不信感を買い、行動を制限されかねない」


 曽根崎さんの人差し指が、仰々しく僕の眼前で揺れる。


「単純に、君だけこの煙草にべらぼうに弱いのだ!」


 腹立つなコイツ。


「気づかれてないといいんだがな。君ほど弱いと、確実に狙われるぞ」

「困ります…」

「また私の家に連泊するか?」

「お断りします…」

「それじゃあ帰る時は背後に気をつけて、戸締りをしっかりすることだ」

「……」


 阿蘇さんの所に行こうかな。いやでも、あの人巻き込むわけにもいかないか。いざという時に盾にすることを考えたら、このオッサンの家に行くのが一番だが――。


「行きません」

「う、うん。さっき聞いた」

「そんなことはいいから、嘔吐物の片付け手伝ってください」

「なんで私が」

「曽根崎さんが一因でもあるからです」

「げー」


 げー、じゃねぇ。気の進まない顔をする曽根崎さんに、その辺の新聞紙をぶつけた。








 それから、一時間が経過した。


「来ないな……」


 曽根崎さんがぼやく。既に山之辺を医務室に運び終え、今はただ高城准教授を待つ身だ。しかし、この高城准教授が研究室に現れる様子は一向に無かった。

 僕はミネラルウォーターを飲みながら、曽根崎さんに言う。


「山之辺が嘘をついたとかじゃないですか?」

「あり得るが、あの時点で嘘をつく理由が無い」

「それじゃあ講義でしょうか」

「そこに貼ってあるのが彼の講義スケジュールだろうが、それによるともう次の講義は無い。そもそも、昨日のアポ取りの時点で彼は我々の訪問を把握しているはずなんだよ」

「……なら、実はもう来ていた、とか」


 その言葉に、曽根崎さんは勢いよくソファーから立ち上がった。そして辺りをぐるりと見回し、准教授のものだろう机に目星をつけ漁り始める。


「ちょ、ちょっと曽根崎さん」

「君は早く友人の安否確認をしろ!」

「え、どうしたんですか?」

「来てたんだよ、彼は!我々が山之辺と揉めている時に!」


 なんだって?

 三条に電話しようと手に持ったスマホを、取り落としそうになった。


「それなら何故仲裁に入らなかったんですか?」

「それよりも情報収集を優先したんだ!私達が本当は何の目的でここに来ているか、それを把握するために!」


 そして、彼は姿を現さなかった。それは、何を示すか。


「――あった」


 曽根崎さんの手には、貸し倉庫の契約書。プールを挟んで、大学に隣接している敷地内の建物だ。そこのいくつかある内の一棟が、三ヶ月ほど前から高城准教授名義で借りられていた。


「……何が起こるというんです」

「わからん。クソ、今回は情報不足だな。しかし、もう既に事は動き出している」


 曽根崎さんは怒ったような顔をしている。相当焦っているのだろう。顎に手を当て、凄まじい眼光で紙を見つめながら口の中でブツブツ呟いている。

 そして、震える手でかけた三条の電話番号の先では、彼のスマホの電源が入っていないことを知らせる無慈悲な声が聞こえてきた。


 ――三条。


 一度会っただけなのに、すっかり友達になってしまった彼の明るい笑顔が蘇る。

 そんな僕の心情を知ってか知らずか、曽根崎さんは僕に向かって強い口調で言った。


「悠長にはしてられん。しかし、君が言うには相手の人数も多いのだろう。ならば、一度こちらも作戦を練る必要がある」

「そんなことしていたら、三条がどうなるかわかりませんよ!」

「そこは私が何とか時間を稼ぐ!」

「どう稼ぐっていうんですか!」

「――今は言えん!私を信じろ!」

「言ったな!?じゃあ信じるぞ僕は!頑張れ!」

「飲み込み早っ」


 グズグズしている時間は無いのだ。倉庫の契約書を彼の手から引ったくり、倉庫番号を頭に叩き込む。


「……僕は、どうすればいいですか」

「今から柊ちゃんと忠助に連絡する。その二人が到着次第、三条君を助けに倉庫に向かってくれ」

「わかりました。じゃあ僕は阿蘇さんに連絡します。ああ、結局巻き込んでしまった…」

「忠助はこういうの慣れてるから大丈夫だよ」

「慣れさせてんじゃねぇよ」


 それぞれ相手が電話に出るまでの、ほんの数秒。その間に、曽根崎さんは早口で僕に言った。


「いいか、目的を忘れるな。私達の目的は、“ 三条君を助ける ”、それだけだ」


 ――わかってますよ。彼の懸念を推し量ろうとすらせず、僕は口の動きだけでそう返した。

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