第6話 豹変
翌日、僕は曽根崎さんから指定されたスーツを身に纏い、大学前で彼を待っていた。時刻は午後五時。僕らは今から、
山之辺渉――彼こそ、三条に煙草を譲って依存状態にさせ、挙句禁煙した彼に暴行まがいのことをして煙草を吸わせようとした張本人だ。
「やあ」
正直、そんな相手と面と向かって話すなんて気が重い。だけどもまあ、曽根崎さんがメインで話してくれるというので、信用して乗っかってみようと思う。
「景清君」
しかし遅いな、曽根崎さん。性格的にきっちり到着しそうなもんなのに。
「なぁ景清君」
「ああもううっさいな! ほっといてください! 僕は今、人を待ってるんです!」
しつこく声をかけてきた長身の男を振りほどき、また壁にもたれて曽根崎さんを待つ。
――ん?
「……あなた、誰ですか?」
僕に振り払われてショックを受ける男に、改めて声をかける。ミディアムヘアのパーマは、ワックスで整えられ綺麗にまとまっている。スタイルのいい男性にしか着こなせないような細身のスーツも、切れ長の目のこの人によく似合っていた。だけど、その目、どこかで見た覚えが――。
いや、え? 嘘だろ?
「誰!!!?」
「酷いな君は! 雇用主の顔すら忘れたか!」
いやいやいやいや!?
目の下のクマも無いし、モジャモジャじゃないし、無精髭も無いし、いつものスーツじゃないし!!
誰このイケてる大人!!?
「そそそそ曽根崎さん?」
「いかにも。私は曽根崎慎司だ」
「目の下のクマどこ行ったんですか? ピクニック?」
「落ち着け。なんだよ、そんなにこの姿が珍しいか」
不服そうに口を尖らせる曽根崎さん。いつも通り伸びた背筋も、洗練されたデザインスーツを引き立てている。
なんだこの少女漫画みたいな展開。でも悲しい哉、僕は男で、これから一緒に出かけるのはヤニ中毒の大学院生がいる研究室だ。どうしてこうなった。
唖然とする僕に、曽根崎さんは不満げに言う。
「確かにこのスーツ、私には少し小さすぎると思ったよ。だけどそこまで露骨に無視しなくてもいいだろ」
スーツじゃねぇよ。そこは些細な変化だよ。
「なんでそんな見た目になっちゃったんですか……?」
「柊ちゃんに任せたらこうなった。そんなに変わったかな」
「別人ですよ……。イソギンチャクがジュノンボーイになるレベルの変化です」
「昨日までの私は君にイソギンチャクと思われてたのか?」
なるほど、柊さんの仕業なのか。おそらく曽根崎さんが、まるきり見た目を変えてくれとお願いしたのだろう。そして出来上がったのがこちらである。
「化粧と髪型でこんな変わるんですね。柊さんも、まさか……?」
「や、あれは素がいいタイプだ」
「それでなんで化粧してるんです?」
「前に聞いたら、“ 最強の剣士だって全裸で戦わないでしょ? ”って言ってたな」
なるほど、化粧って武装だったのか。超ド級美人の柊さんが言うと、説得力がある。
しかし、今からこのイケてる曽根崎さんと行かなきゃいけないのか。昨日とは違った意味で目立つけど、いいのかな。もうこの時点で痛いくらいの視線を周りから感じるんだけど。
――行くしかないんだけどさ。
「っていうか、どうしていつもその格好をしないんです?」
「維持が面倒な割に、目立った効果も無いからだ」
平気でそんな事を言ってのける曽根崎さんに突っ込もうかと思ったが、調子に乗られては迷惑なので、黙っておくことにした。
向かうは、研究室である。
「初めまして、山之辺渉といいます」
研究室で出てきたのは、スポーツ刈りの至ってごく普通の青年だった。
「こちらこそ初めまして。国際煙草販売社ITSの曽根崎慎司と申します。こっちは部下の竹田です」
いつの間にか僕はオッサンの部下になっていた。だが今は話を合わせ、微笑んでお辞儀をした。
彼も礼儀正しく頭を下げ、研究室の中に通してくれた。温かいお茶を淹れてくれながら、山之辺は話し始める。
「電話で聞きましたが、“ THE BLACK ”の外部販売をされたいんですってね」
「はい」
「誰からこの煙草の話を聞いたんですか?」
「申し訳ありませんが、それをお教えすることはできません。何卒秘密にと言われたもので」
人差し指を口に当て、内緒のポーズを取る曽根崎さんは、まるでホストか何かだ。
対する山之辺は、そうですか、と軽く返し、真っ黒な煙草を口に咥えた。そして火をつけ、思い切り吸い込む。
ごくりと、喉を鳴らして煙を飲んだ。――辺りに、花のような香りが広がる。
「この煙草を外部販売できること自体は嬉しいのですが、何せ国内での製造は違法でしょう。明るみに出てはまずい。加えて、これは大量製造できるものではないんです」
「そこは、我々の会社にて大量製造できるよう開発しましょう。私共の拠点は海外なので、日本の法律に縛られることもありません」
「それはありがたい話ですが……」
「どうでしょう、一度あなたの上司に当たる方とお話しさせていただけませんか」
曽根崎さんは突然の喫煙にも動じず、畳み掛ける。こうして見ると、本当にその筋の営業マンだ。つくづく普段の不審者っぷりが惜しい。
果たして、山之辺はどう返事をするのだろう。僕は、向かいに座ってなおも煙草を吸い続ける彼の顔を窺い見た。
――山之辺は、一瞬、僕らを品定めするような不気味な笑みを浮かべた。
「……上司に当たる人間は、この研究室の
曽根崎さんに、煙草が差し出された。山之辺と同じように、曽根崎さんからも笑みがこぼれる。ただし、こちらは怖気からだろう。
曽根崎さんは、ゆっくりとした動作で煙草を受け取った。当然だ。受け取らない訳にはいかない。
「……今、家内に言われて禁煙中なのですが」
「かまやしないでしょう。これは匂いもいいですし、バレませんよ」
「人間ドックの結果が芳しくなくてですね」
「とても健康にいいんです」
「……私にとって、煙草はあくまで商品でありまして」
往生際悪く逃げ口上を続ける曽根崎さんに、突然山之辺はぐいと身を乗り出し、彼の髪を鷲掴んできた。そして、咥えている煙草が接触するスレスレの所まで顔を近づける。
「吸わないのですか? 吸わないのですか? 吸うに決まっています。だって、こんなに素晴らしいものなのですよ。吸わないなんてどうかしている。人間のはずがない」
「痛いですよ、山之辺さん」
「ほらほらほら、どうぞどうぞどうぞ」
――先ほどまでの山之辺とはまるで別人である。曽根崎さんは、恐怖に目を見開いて笑っていた。両の目に狂気を宿した山之辺が、曽根崎さんの顎を押さえ自分が咥えている煙草を押し込もうとする。
なんだ、これは。僕は、どうするべきだ。ぐるぐる回る思考の中、気づけば口と足が勝手に動いていた。
「……気色悪ぃ!!」
僕は、思い切り山之辺にタックルを食らわした。山之辺の口から煙草が飛び出し、僕と一緒に床に倒れる。
「なんだこいつは。変態なのか」
未だ恐怖に顔を引きつらせて、曽根崎さんは言い捨てる。悪口言う前に僕に感謝しやがれ。
こんなヤツをいつまでも下敷きにしておくのは真っ平なので、急いで起き上がろうとする。しかしその前に、山之辺のギョロリとした目が僕を捉えた。
「……え」
山之辺の手には、いつの間に用意していたのか、煙草の束が握られている。
ーー状況が理解できず呆然とする僕の口に、煙草の束が突っ込まれた。
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