番外編 阿蘇さんの訪問
「兄さん、いるか?」
とある平日の昼下がり。たまたま近くまで来ていた俺は、生活能力が皆無な兄の様子を見に事務所を訪れていた。
しかし、ドアを開けるなり漂ってきた異様な空気に、思わず半歩後ずさる。
「何事?」
事務所にいるのは、ソファーでぐったりしている景清君と、散らかった机に陣取る兄。一見で、この空気は景清君が作り出しているのだと理解できた。
ようやく顔を上げた兄が、俺の疑問を察し、景清君を指差して言う。
「みりあちゃんにフラれたらしい」
「誰だ」
「彼女。今は元カノか」
「よくわからんが兄さんのせいだろ」
「なんでも決めつけるもんじゃないぞ」
「大方事件に巻き込んだ結果、プライベートに弊害が出たんじゃねぇか?」
「弟が鋭い」
「兄さんは一回ナイアガラレベルの滝に打たれた方がいいと思う」
「それ死ねって言ってるも同義だからな?」
兄のことは無視し、景清君の元へ行く。涙も枯れ果てたのか、スマホを左手に持ってソファーでうつ伏せになっていた。
その肩を叩き、声をかける。
「なんでフラれたんだ」
その質問に、景清君はよろよろと顔を上げた。
「……お金持ってない人とは付き合いたくないって……」
「ンだそりゃ?」
「家に来させちゃダメだと思って、家賃払えなくて部屋引き払ったって嘘ついたら、そのまま……」
わかったような、わからないような。だけど、別れた理由が金の切れ目なら、それフラれて良かったんじゃねぇか? ロクな女じゃなさそうだ。
あー、でもそれまだわかんねぇかな。どう言ったもんか。
「……今回は相性が良くなかったんだろ。景清君なら、すぐにもっといい子が見つかるよ」
実際、性格と容姿から考えて、この子はよくモテるだろう。嘘の励ましを言ったつもりはない。
対する景清君は、淀んだ目でぼやいた。
「……一度好きだって言ってくれた子に拒否されるのって、精神的に来るんですよね……」
おや、結構重症だ。この子は思ったよりも自尊心が無いな。
こういう時、自尊心で登山ができそうな兄ならどう言うんだろう。気になって、兄を見ると……。
「よし、できた」
プリンターで紙を打ち出していた。何してるんだ。
それを人差し指と親指で挟み、景清君の目の前にチラつかせる。
「これ、今月のバイト代の明細書。出張だったり時間外だったり、その他諸々のボーナスをつけました」
「……」
その紙を見た景清君の目の色が、みるみるうちに変わる。そして最後には勢いよくソファーに座り直し、紙をひったくって穴が空くほど見つめた。
「……ゼロが一つ多くないですか?」
「それぐらいの働きはしたよ」
「曽根崎さん!!」
「ハハハ、これからもよろしく頼む」
「こちらこそお願いします!!」
一発で元気になった。なんだこいつら。
「阿蘇さん! 励ましてくださってありがとうございました!」
「お、おう……」
「よーし、今日も作りますよ! あ、良かったら阿蘇さんも食べてってください!」
「うん……」
兄さんを見ると、満足気にうんうん頷いていた。これでいいのか、こいつら。滅茶苦茶相性いいな。
……景清君は、また事件に巻き込まれるんだろうな。それこそ、お人好しと守銭奴っぷりを兄に付け込まれて。その時のことを思うとため息がこぼれそうになったが、なんとか飲み込んだ。
まあ、楽しそうだし、どうでもいいか。
やたら青い窓の外を見ながら俺は、景清君の作る料理を楽しみに待つことにしたのだった。
番外編 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます