第19話 日常へ
「腹が減った」
事務所に到着するなり、椅子に座って新聞に顔を埋めたままの曽根崎さんがブー垂れた。ほんとこの人何もできねぇな!
「アンタ金持ってんだから、コンビニで何か買えばいいじゃないですか!」
「その手があったか」
「あったか、じゃねぇ! 赤ちゃんか!」
阿蘇さんは、どうも用事があるようであのままどこかへ行ってしまった。そんなわけで、また僕はこのオッサンと二人である。
正直、あの不気味な老夫婦のことがあったので、事務所に行くのは気が引けた。しかし、予想に反して事務所は血の跡すら残さず綺麗になっていた。
曽根崎さんが片付けたとは思えないし、何があったんだろう。
まあいいか。
「作るのめんどくさいから、何か買ってきます」
「私は君の作った料理が食べたいんだよ」
「アンタ何食べたって一緒でしょうよ」
「そんなことないぞ。焼きそばが食べたい」
「うわ、ちゃっかりリクエストまで……」
「塩がいいな。タレじゃなくて塩な」
「うるせぇー」
しかし、僕は雇われている身である。雇用主の依頼なら聞かないわけにはいかない。渋々、キッチンに向かった。
エプロンをしながら、気になっていたことを曽根崎さんに問う。
「……佐谷田の所、行ってきたんですか」
「うん」
「どうでした」
「何も。久作さんを渡して終わりだ」
「そうですか」
ほら、何も無かった。僕は冷蔵庫から材料を出しながら、ふう、と息を吐いた。
「っていうか、久作さんのお弔いをするなら僕も呼んでくださいよ」
「すまん。ぐっすり寝てたから、起こすのも悪いと思って」
「……後で場所、教えてくださいね」
「わかった」
曽根崎さんは新聞を逆さに持ったまま、返事をした。さてはあの人、新聞読んでねぇな?
「曽根崎さん?」
「うん?」
「そこで何してるんですか」
「何って?」
しらばっくれている。ちょっと腹が立ったので、曽根崎さんの元までズカズカ歩いて行った。
「読みもしない新聞広げて、何してるんだって聞いてるんです」
渋る曽根崎さんを無視して新聞を引っ掴み、無理矢理剥ぎ取った。すると、そこには――。
「……こっちを見るな」
目の下のクマを一層酷くして、苦しそうに口元を手で押さえた曽根崎さんの姿があった。
「……ど」
どうしたんですか。大丈夫ですか。何があったんですか。言わなきゃならない言葉が次々思い浮かぶのに、どれも口から出てこない。
まさか、昨日の佐谷田の件か?僕がいない間に、一体何が起きた?
「曽根崎さ……」
「ゲホッ」
体を二つ折りにして、曽根崎さんは激しく咳き込んだ。驚いて、手すら差し伸べられない僕を見上げた曽根崎さんの口からは――。
――万国旗が出ていた。
「――は?」
ポカンとしていると、曽根崎さんが手にしたスマホから、真珠の首飾りのメロディーが流れ出した。その音楽に合わせ、曽根崎さんはスルスルと口から紐で繋がった万国旗を出していく。
そして、最後の紐の先を口から取り出すと、手の中にしまい込む。そのまま僕の眼前まで手を持ってくると、ポンと一輪の小さなバラを咲かせた。
「……拍手!!」
くたばりやがれ!!
僕はあらん限りの力を込めて、曽根崎さんを蹴り飛ばした。
「いったぁ! 何すんだ君!」
「こっちのセリフだ! 何してんだアンタ!」
「マジックだよ。見たことないのか?」
「あるよ! あるけどなんで今アンタがやってんだ!」
「今回、景清君には色々お世話になったからな。そのお礼にと思って」
「いらねぇー!」
「結構練習してた」
「知らねぇー!」
まさかアンタ、これの為にさっさと帰ったんじゃねぇだろうな? バカか? バカなのか?
もういやだ、早く家に帰りたい。ああ、でも家散らかってるしな……。いや、いいよ。別にいい。このオッサンと一緒にいるより百倍マシだ。
僕はうなだれたまま、曽根崎さんに右の手の平を上にして突きつけた。
「……曽根崎さん、家の鍵を貸してください」
「合鍵?」
「なんでもいいです。アンタん家から、僕の荷物回収して家に帰ります」
「まあもうちょっとゆっくりしていきなさい」
「断る」
「いやほんと。第三者のこともあるからな」
第三者――つまり、謎の老夫婦のことだ。アホなマジックを見たせいか、すっかり頭から吹き飛んでいた。
「経験上これ以上の接触は無いとは思うが、念には念を入れた方がいい。命は一つしか無いからな」
「…………どれぐらい経てば、僕は家に帰れますかね」
「君が安心するまででいいよ。三日も経てば十分じゃないか?」
長いような、思ったよりは短いような。でも、少なくとも三日はこのオッサンの家に厄介になるのか。嫌だなあ。
露骨に不満を表明する僕に、曽根崎さんはケロッとした顔で言う。
「それより、焼きそばだ。マジックも成功したことだし、手早く頼む」
――一輪の赤いバラを持つその手は、きっちり包帯で巻かれていて、痛々しかった。
ああもう、世話の焼ける人だな。
「……アンタのマジックの出来は心底どうでもいいですが、料理は僕の仕事なんで、ちゃんとやりますね」
「よろしく」
不本意ながらもそう言った僕に、曽根崎さんは嬉しそうに笑った。なんとなくつられて笑い返し、僕はキッチンに向かう。
さあ、何から始めようか。
机の向こうでは、すっかりご機嫌になった曽根崎さんが鼻歌を歌っていた。
第1章 完
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