第8話 資料の中身

 喉の渇きで目が覚めた。むくりと起き上がり、痛む頭を押さえて辺りを見回す。――知らない部屋だ。僕の部屋でも、彼女の部屋でもない。

 ああ、そうだ。曽根崎さんの家に泊まることになったんだった。

 まだ外は暗い。傍に置かれていたスマホを起動させると、2時半と表示された。

 どうも、酔い潰れて寝てしまったらしい。着替えてすらいないので、服もなんか焼肉臭い。よくこんな僕にベッドを貸してくれたな、あの人。

 風呂に入りたい。水を飲みたい。

 セミダブルサイズのベッドを降りて、リビングへと続くドアを開けた。


「うわ」


 目に飛び込んできた光景に、心臓が止まるかと思った。


「曽根崎さん、何してるんですか」

「おお、起きたか」


 リビングのソファーに、ヘッドライトをつけた曽根崎さんが寝転がっていた。手には、あの時入手した資料が握られている。


「起きたか、じゃないですよ。なんでいるんですか」

「家主が家にいちゃいかんのか」

「夜中の二時半にヘッドライトつけて資料読んでる家主がいるか!寝ないんです?」

「眠れないんだよ」

「ベッドじゃないと眠れないとか、そんなんですか?それだったら僕、ソファーで寝ますよ。ベッド貸してくれてありがとうございました」

「いや、ただの不眠症だよ。ベッドはそのまま使ってくれていい。買ったはいいけど、全然使ってなかったんだ」

「その文言、ベッドに対して使う人初めて見ましたよ……」


 キッチンに行き、持ってきていたコップに水道水を注いで、勢いよく煽った。あーうまい。ただの水がこんなにうまい。

 その後シャワーも借り、部屋着に着替えて戻ってきた頃には、すっかり目が覚めてしまっていた。


「……やっぱり寝ないんですか?」

「眠れないな」


 相変わらず、曽根崎さんはヘッドライトをつけてソファーに沈み込んでいる。いや、だからそのヘッドライトをだな。


「電気つけたらどうですか?」

「夜は暗くしとくもんだ」

「アンタの頭がやたら眩しいことになってんですよ。つけますよー」

「やめとけ。君まだ寝るだろ」

「僕も目が覚めたんですよね。いいですよ、土曜日だし」

「眠れる時に寝ていた方がいい」

「どの口が言いますか」


 しかし、なんだか本当に嫌がっていたので、明かりをつけるのはやめておいた。僕もベッドを借りてもう一眠りしても良かったのだが、それも悪い気がして、曽根崎さんの隣に腰を下ろす。


「どうした」

「資料から何かわかりました?」

「うん。どうして小指氏が解き放たれたか、書いてたぞ」

「小指氏」

「ホームレスの名前すら書いてないから、便宜的に呼んでる。悪いやつだよ、ほんと」


 その言葉に、また腹の奥がムカムカした。ただの二日酔いではないだろう。

 しかし、今はそれを押し込めておこう。まずは、小指氏がどうやってあの状況になったのかを聞きたい。


「小指氏をバケモノにした後、しばらくの間は周りの研究員にも内緒で飼育していたらしい。言っとくが、小学生がウサギを可愛がるようなもんじゃないぞ。実験と称し、大いに悪意を持って嬲っていたようだ」

「嬲れるような相手なんですか?だって、コンクリを小指で突き破って前進するぐらいのパワーはあるでしょ」

「この頃は、まだ非力だったんだよ。……ターニングポイントは、一つの実験だ」

「内容は?」

「硫酸を、口の機能をもった小指に流し込んだんだ」


 顔をしかめた。……悪意なんてもんじゃない。人間としての姿を失ったとはいえ、まだ意識が残っていただろう彼に、よくもそんなおぞましいことを。


「すると、組織に変異が起こった」


 ヘッドライトで資料を照らしながら、曽根崎さんは淡々と言う。


「硫酸でボロボロに溶かされた小指を、別の小指がこぞって引きちぎった。すると、そこから新しい小指がみるみるうちに生えてきたそうだ」


 なんという再生力だ。


「最初は佐谷田も喜び、研究所内で公表したようだが、人体実験の成れの果てを世間に公にできるわけがない。研究所は、佐谷田に小指氏の破棄を命じた。そこで佐谷田は、小指氏に即効性の毒を大量に注入し殺そうとした」

「はい」

「すると、また変異が起こった」


 次の変異は、予想がついた。


「次に小指氏が得た能力は、怪力だった」


 うん、そうだろう。


「いよいよ手に負えなくなった小指氏を、佐谷田は研究所の助けを得て山に生き埋めにしに行った」

「いきなり雑ですね」

「しかし、小指氏がそこから穴を掘り進めながらじわじわ帰ってくるとは、思わなかったろうな」

「字面だけで見るとちょっと面白いな……。自業自得じゃないですか」

「まったくだ。研究所側も同意見なのか、佐谷田をそこまで守ろうとしていないようにも見える」

「飛行機で海を越えれば……。あー、わかんないな。それでも小指氏がついてったら、大事になりますしね」

「研究所側としては、私が解決すれば良し、解決できずとも佐谷田を餌にし小指氏を仕留められれば良し、といった所か」


 資料を腹に乗せ、伸びをする。目の下のクマが、酷くなっているように見えた。


「つまりあれだ。刺殺や銃殺は効かん。薬品は変異の恐れがあるので使用不可と考えておこう」

「やっぱり殺しますか」


 そりゃそうだ。その為に資料を読んでいたのだから。

 曽根崎さんは、鋭い目つきで僕を見た。


「まだ割り切れてないのか?」

「いえ、小指氏を楽にできるなら、それでもいいかと今は思います」

「そうか」

「はい」


 嘘ではない。嘘ではないが、そうなると佐谷田がのうのうと無傷で生き残ってしまうことに、苦い気持ちを抱いてしまう。


「……まだ、小指氏の意識って残ってるんですよね」

「佐谷田はそう言ってたけど、実際は怪しい所だ。脳の大きさもさる事ながら……」

「……さる事ながら?」


 口をつぐむ曽根崎さん。訝しむ僕に、彼は少し悩んだ様子を見せたものの、ため息と共に続けた。


「――佐谷田が施した拷問に、精神をまともに保っていられたと、私は思わない」


 どれほど凄惨な内容が、彼の手にある資料におさまっていたというのか。曽根崎さんの青い顔には、暑くもないのに汗が浮かんでいる。

 これは、確かに曽根崎さんの仕事だ。だから、それらの把握も、対処を考える作業も、彼の管轄である。

 僕には本来、関係の無いことだ。それは、わかっちゃいるけども。


「……味噌汁でも作りましょうか」

「え、いいの?」

「別に構いませんよ、すぐ作れますし。ああでも、材料が無いですかね」

「それは大丈夫。君、焼肉から帰る途中にコンビニ寄って、朝ごはんの材料買ってたから」

「なんだそれ全然覚えてない……怖い……」


 これも一つのワーカーホリックなんじゃないか。

 自分の優良アルバイターっぷりにげんなりしたが、気を取り直し、キッチンに向かうことにした。


「あ、そうだ。曽根崎さん」

「なんだ」


 ふと思い出し、曽根崎さんを振り返る。


「僕、ちょっと気になってたことがあるんですが」

「いいぞ。助手っぽくなってきたな、景清君」

「助手じゃねぇ。お手伝いさんだ」

「で、どうした」

「ええと、昨日、初めて小指氏に遭遇した時のことなんですけど……」


 曽根崎さんの推測と、彼の発した言葉の間に生じた矛盾。何故それが起きるに至ったかも含めて、僕は自分の考えを伝えた。

 曽根崎さんは、最初はだらしなくソファーに寝っ転がっていたものの、段々身を起こし、最後にはソファーから転げ落ちた。


「私としたことが、すっかり抜かっていた……」


 天井を眺めながら、ぼやく。この人の自尊心、富士山より高いな。


「小指氏を倒す目処がついたぞ、景清君」


 しかしその顔は嬉しそうではなく、やむなく決意したといった様相ですらあった。

 どうしてそんな思いになるのか。それが僕には痛いほどわかって、彼に何もかける言葉が無く、僕は味噌汁を作りにキッチンに逃げたのであった。

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