第180話  屈辱と陰謀





 ラべ・タル王宮軍団将軍の息子グノーは恥さらしの屈辱に震えていた。

 心臓は興奮のあまり暴れるように鼓動している。 

 どうしてこうなったと自問する。


 王に一目置かれるため周到な準備を整えて、この選抜試合に臨んだ。

 手間暇かけて殺すのに調度よい罪人を用意したのだ。


 勝って当たり前と思われるような貧弱な相手では困る。

 適度に鍛えられた肉体の持ち主。

 それでいて戦闘には慣れていない者。


 だいぶ探して、ようやくそれらしい罪人を見つけ出した。

 連座によって刑罰を受けている、そういう男。 

 王宮軍団の力を使えば使者を送るなど苦労も無かった。

 そうして応じずにはいられないような巧みな交渉を持ち掛けた。


 お前は有利な条件で戦うことができる。

 少し試合に出るだけで無罪放免となる。

 生きて監獄から出られる最後の機会だ、と。


 そんな話に罪人は食いついてきた。

 そして、グノーと戦い、臓物を撒き散らして死んだ。

 話が違うと言わんばかりの無念な表情も、まるで気にならない。

 

 正々堂々とした戦いであったとグノーは心から信じている。

 実際、罪人が有利な条件で戦ってやった。

 その上で圧倒的に勝利したのだ。

 卑怯なところなど何一つない。

 

 爽快な勝利によって意気揚々とランバニア王女のもとへ行くと、あの奴隷がいた。

 くすんだ金髪の若い男。

 奴は試合で目立っていた。


 特に手強く凶悪なヨギという罪人を鮮やかに殺してみせた。

 両腕を斬り飛ばすなど簡単なことではない。それは広間に居た戦士や貴族なら誰でも分かる。 


 よって注目を浴びずにはいられなかった。

 奴隷ごときの小癪な試合がとグノーは不快になった。

 しかも、ランバニア王女までもが喜色を露わにしている。

 その様子が、ことのほか癇に障った。 


 あの程度の戦いで将軍の息子であるグノーの名誉が色褪せる。

 そんなことが許されるわけがない。

 王女も皆も奴隷の軽やかな動きに魅せられたようだが、あんなものは詐欺的な戦いであると見抜けていないのだ。


 実戦では、まず破壊力がなにより尊重される。

 あの奴隷が使う軽い斬撃は役に立たないのだ。

 どうしてもランバニア王女にそれを分かってもらわなくてはならない。


 なにしろランバニア王女は、手が届くかもしれない最高の女性なのだから。

 いや、このグノーだからこそ相応しいと確信している。

 二回の結婚を経験しているとはいえ、まだ二十代半ばの年齢。

 子も産めるに違いなかった。

 

 それに王女の美しさときたらどうだ。

 貴族の小娘など比較にもならない色香。

 挑発的な美貌はどの女と比べても劣らない。


 さらに政治力とて侮れない。

 イズファヤート王にいくつもの利権を認められているため財力もある。

 陰険な官僚どもを平伏させる能力もあった。


 そして、この世に二つと無い尊い血筋。

 アレキア王家の血だ。

 これを欲せずにはいられようか。

 

 狙いを同じくした男がいくらでもいる。

 誰も彼も王女が欲しいに決まっていた。

 闘技大会は、そうした争いに決着をつけるかもしれない。

 絶対に負けるわけにはいかない。

 

 そのはずが、あっけなく奴隷ごときに屈辱的な敗北を受けてしまった。

 信じたくない。何かの間違いだ。

 認めることができないグノーの思考は行き場を失う。


 あの奴隷。

 大剣は慣れていないなどと口にしていたが嘘だったのではないか。

 その証拠に下段構えという高度な型に誘い込まれてしまったではないか。

 そう思いつく。

 となればそれが真実でしかなかった。


「やられた……。騙されたのか」


 やり場のない怒りに震えているグノーへ声を掛けて来た者がある。

 血走った視線を向けると二人の男がいた。

 いかなる理由にせよ怒声を上げずにはいられなかった。


「何だ、お前らは!」

「グノー・タル様。身分を弁えずのお声がけをご容赦ください。私どもはヒエラルク様の弟子です。私はザルーファ、こちらは弟のプラジュ」


 グノーは訝しむ。

 ヒエラルクとは敵対しているわけではないが、強い協力関係でもなかった。

 ヒエラルクはイズファヤート王が認めた戦目付であり、王の側近だった。王宮軍団とは別組織なのである。

 普通なら組織の垣根は越えないものだ。余計な難事の元になりやすい。

 慇懃でありながらも鋭い顔つきをしたザルーファは小声で語り出した。


「あの奴隷はアベルという名です。恥を忍んで申し上げますが、我々は奴に生涯忘れられないほどの愚弄を与えられ、近いうちにその対価を支払わせるつもりでした」

「愚弄とな」

「奴隷アベルの戦い方は狡猾そのもの。人を欺くことに長けております。奴のせいで仲間が何人も殺されたに等しいのです。とある者は屈辱に耐えかねて自決したほど。そればかりではなく地下巡検の際には罪人ばかりを助けるなど素行の悪さは極めつけ」

「なんと……。そんな者が王女様の傍に居るのか!」


 目を見張り驚愕するグノー。

 ザルーファはさらに語る。


「奴隷アベル。奴はいくらか腕が立ちますが、それ以上に狡賢い。大剣も以前から熟していたのでしょう。あの動きを見れば分かります。グノー様は罠に嵌められたのですよ」


 グノーは、やはりという思いで強く頷く。

 自分の想像とぴったり一致していた。


「食わされたぞ! 報いてやらなければ気が済まぬ!」

「ところが、あれでも王様の奴隷だとか。どうした理由かランバニア様の召使いのような振る舞いまでしている始末。我々はとても心配しています。分際を弁えずグノー様のお力になれればと請うばかり」


 プラジュとザルーファは時が過ぎようとも敗北の記憶が少しも薄れない。

 体には大きな傷が残った。

 どす黒い内出血。

 鈍い痛みを発する痕を互いに見るたびアベルを想い出した。

 恨みはより一層、深まった。


 それだけではない。

 何度も侮辱された。

 それでいて少しもやり返せていない。


 そして、兄弟にとって決定的な出来事。

 崇拝する師であるヒエラルクが、どこかアベルを認めていると敏感に察知してしまった。

 

 身を捧げた弟子たちを差し置いて、敵にも等しい男へ注目されるとは悔しさで引き裂けんばかりだ。

 兄弟は誓った。

 必ず、復讐すると。

 

 そこへ来て、今日の顛末。

 ラべ・タル将軍の息子グノーの誇りはアベルによって粉々にされている。

 そこで思わず兄弟は声を掛けた。


「俺の力になるというが、お前ら。このことをヒエラルクは承知しているのか?」

「頂いてはおりませんが、これもまた師への忠誠と思っております」


 プラジュとザルーファの顔は憎しみによって歪んでいた。

 追い詰められた者の気迫だけがある。

 これなら利用できるとグノーは感じ、さらなる問い掛けは止めた。


「俺に迷惑だけはかけるなよ」

「お任せあれ」


 私怨と打算が三人の男たちを素早く結び付けていく。

 眉をひそめたグノーは絞り出すように言った。


「それしても王様の奴隷ではな、それなりの理由が無ければ制裁できんぞ」


 同意のザルーファは頷く。


「確かに仰せの通り。ですが例えば公的な勝負や試合となれば別です。闘技大会で始末するか……もしくは自分自身によって失敗させるか」

「どういう意味だ?」

「どうも奴隷アベルは罪人ども気心が通じていたようです。もと将軍のドルゴスレンや甥のリィテクなどを何度も助けていることから間違いなく」

「ふん。ではアベルとやらはドルゴスレンめの親戚か?」

「そうではないようですが、ともかく奴隷アベルは邪魔です。間違って王宮に入り込んだようなもの。あれが出世するなど我々としても許せません」

「ふん。さて、どんな手があるか」


 グノーは思い出す。

 地下巡検に従事した罪人たちには減刑が与えられると聞いた。

 だが、それは輸送船の漕ぎ手奴隷として払い下げることで果たされると。

 罪人たちはそれを知らない。


 いくら大幅な減刑があろうとも漕ぎ手ほど過酷な労働はなかった。

 自殺防止のため鎖で繋がれながら、昼間は櫂を漕ぎ続ける。

 そんな労役をやらされていると半数は一年以内に死に、残りも翌年にはほぼ例外なく過労死する。

 減刑されたところで無意味だったわけだ。 


「アベルとかいう奴隷めが罪人どもと親しいというのは気になるな。しかもドルゴスレンといえば王命に逆らった極悪人ではないか。王の慈悲により死罪を免れ、いまは王宮牢獄に入れられているがな」

「この件につきましては、さらに相談させていただきたく……」


 ここは父親の力を借りようとグノーは考える。

 王国に蔓延る毒虫をまとめて始末するのは、自分の義務でもあり、正しい行いであると確信していた。




~~~~~~~~


 


 邸宅に戻ると、ランバニアは改めてアベルを讃える。

 アベルの働きは期待以上だった。

 特に凶悪な罪人を鮮やかに殺してみせたこと、図々しく現れたグノーを上手くあしらったのも満足に値した。


 グノーに関しては前々から鬱陶しく思っていたのだ。

 宴では付き合いとしてそれなりに持て成したのだが、それを勘違いしたのか度々言い寄って来るようになってしまった。


 グノーは婚姻が狙いであり、そのために様々な好待遇を口にするが、何やら甘い期待を抱いているのも透けて見え、ひたすら愚かな男だと蔑まずにはいられなかった。

 もはやランバニアは結婚に幻想を持っていなかったからだ。


 王侯貴族の宿命として父王の指示に従い婚姻したが、二度とも死別した。

 それはそうだ。

 二人の亡夫は大貴族としての財力や権威を持ってはいたが、歳を取り過ぎていた。

 王家にとって利益となった結婚であったが、ランバニアの価値は地に落ちた。

 

 やがてランバニアは運命に従った結果に、深い疑問を抱くようになった。

 思い至ったのは、自分自身で未来を切り開くことの重要さだ。


 そうして国内の政治運営ばかりでなく不得手な戦争にすら参加して、ようやく父王に認められた。

 いくつもの利権を手にし、自らの価値を高め上げて自由を手にしていった。

 作り上げた財力と立場で好みの男……若く逞しい戦士と出会い、いずれも一度か二度ほど遊んで捨てた。

 

 というのも相手の男の眼の中に自分への情欲を感じたときほど幸福に酔い痴れる時はなく、それは常に新鮮であらねばならなかった。

 同じ相手と繰り返せば繰り返すほど色褪せ、失望してしまう。


 相手の男を嫌いになる前に、遠くへ放り投げるべきだった。

 だから気に入った男と少し遊んだあとは速やかに適当な官職を与えて送り出した。

 彼らは唐突な別れにおいて悲痛に泣き、なぜと訴えるが、すぐに慣れるに決まっていた。


 まったく邪魔臭いのはグノーのような男だ。

 下心があって、要するにアレキア王家の血が欲しいだけの男。

 グノーの父親、ラべ・タル将軍は成り上がりだった。

 どんな汚いことでも忠実に実行するあたりが父王から認められたようだが、その能力は平凡だ。


 息子グノーもまた、これといって見るべきところの無い男だった。

 あの程度の男に言い寄られるなど、うんざりする。

 ところが要職にある以上、あからさま邪険にもできなかった。

 向こうから持ち掛けてきた勝負で鼻っ柱を圧し折ってやれたのは、まさに好都合だった。 


 

「今日は本当に愉快でしたよ」


 部屋の中にはアベルとランバニアの二人しかいない。

 王女は絹のソファに身を横たえると、長い足を無防備なほど露わにさせた。

 張りのある艶やかな太腿が信じられないほど目の前にある。

 かろうじて薄絹で隠れている奥まで見えてしまいそうだ。

 

 何度かあったこんな瞬間、王女と奴隷という超えられないはずの壁が無くなっているような気がする。

 

「罪人の無残な姿と来たら本当に可笑しかったわ。両腕ばかりか首まで失うなんて! みな拍手喝采で大喜びしていましたよ。

 それにグノーの服を引き裂いたのも。無駄な筋肉ばかりの体を華美な布で覆っても、かえって嫌らしいものです」

「これで闘技大会には出られますか」


 ランバニアは優雅に頷く。


「アベル。今のお前は無名の奴隷。本来なら初日の前座が精々でしょうけれど、私が手を回して剣闘士を相手に戦わせてあげます」

「剣闘士、ですか」

「闘技大会を仕切っているのは内務大臣のヤザン・グラシャート。それに王宮軍団の協力が欠かせないことからラべ・タル将軍などです。彼らは自分の身内だけを活躍させ、名誉を独占しようと画策しています。ですが私の力でお前にも機会を与えて上げます」

「剣闘士と言っても、色々といるそうですが」

「お前の相手は並外れて狂暴な者ばかり集めていると話題になっている剣闘士組合ギルドです。組合の名は"狼の巣穴"というの」


――なんだよ、そりゃ!


 アベルは暗鬱な気分で答える。


「なんだか怖そうな組合ギルドですね……」

「辺境の蛮族やら狂ったような戦士崩れを揃えているそうよ。普通の剣闘士組合より遥かに殺したり殺されたりが多くて、他の組合からも忌み嫌われているのです。最近では試合を組まない仲間外れの処置を取られているとか」


 そう語るランバニアの視線には興奮と挑戦が含まれているが、瞳には甘い潤みがあった。

 楽しそうに笑っている。

 その顔は、むしろ無邪気なほど陰が無いものだが、それでいて心からアベルが危険な目に遭い、命を失う寸前で足掻くのを待ち望んでいる、そういう表情だった。


「剣闘士って奴らとは付き合ったことがないのですが、なんだかゴロツキの集まりみたいですね」

「狼の巣穴はもっと性質が悪いわよ。それなりに訓練もしてます」

「なんだってそんな連中が呼ばれたのですか」

「民衆たちは普段ではお目にかかれない特別なものを求めていますから、そこで利用することにしたのです。どうせ殺されても哀れむ者などいない連中です。それに格別狂暴なだけあって腑抜けた戦いをしないものだから一部には支持者がいるそうよ」


 アベルは考える。

 その狼の巣穴とかいう組織がどんなものかは想像するしかないが試合は成立させなければならない。


 特別な祝宴。

 特別な闘技大会。

 当然、いつもとは違うものが必要となる。


 それに相応しいのは数々の死闘だ。

 いかにも見世物と分かってしまうようなものではない。

 本当の殺し合いこそが観たいわけだった。

 

「いくら殺しても後腐れがない相手、ということですね」

「ええ、そうよ。他にも戦いだけではなくて有名な演者を呼んで演劇もやります。それから罪人の処刑。馬の競争。戦車の試合。魔獣どもとの死闘。捕えた皇帝国の将兵を使っての見世物。仕上げはガイアケロンとハーディアの登場……。面白くなりそうねぇ」


 目も眩むような演目が次々と述べられ、さらにはガイアケロンとハーディアの名まで出て来て、アベルは不安になる。

 あれほど活躍した英雄も、王命とあれば見世物の駒として扱われるのだった。


「ガイアケロン様は何をやるのでしょうか」

「さぁ。詳しいことは知りません。なんでも妹と一緒に魔獣と戦うらしいのですが」


 アベルの心は痛んだ。

 あれほど憎む父親の言いなりになって、くだらない役者をやらされる。

 どこまでも利用される。

 役に立たなくなれば、全て奪われ捨てられる。


「余計な心配をしている場合じゃないわよ。貴方の命がけの戦い、楽しみしているわ」


 油断のならない王女が、美しい顔で睨みを利かせていた。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る