第179話 ランバニアの思惑
アベルは必死に考える。
イズファヤート王に認められ身辺に近づくにはどうすればよいのか。
闘技大会に出るための選抜試合。
凶悪な罪人を派手に殺したもののイズファヤート王は、こちらに興味の欠片も示さなかった。
この程度では注目に値しない、ということらしい。
――何か方法は……。
アベルは悩むが答えは出ない。
無関心なイズファヤート王に対してランバニア王女は上機嫌。
動きが優雅だったとか、狂暴な罪人の両腕を斬り落とすなど簡単には出来ないなどと褒めてくる。
「顔に血がついているわ。拭きなさい」
返り血を浴びたアベルにランバニアが手巾をくれた。
見れば絹の高価そうなもの。
血など付けば二度とは使えないと思うが、これで拭けと言うのだから従っておく。
ランバニアは満足そうに頷く。
アベルの試合に興奮を感じたらしく、瞳は甘く潤んでいる。
その時、ひときわ大きな怒鳴り声が聞こえる。
円形をした舞台を見れば巨漢の男が相手を挑発していた。
「俺に糸ほどでも傷をつけたら、お前の勝ちでいいぞ!」
そんな余裕の言葉を叫ぶ男は貴族のようであった。
纏った服は質素なものであったが振り上げている大剣は、どう見ても逸品だ。
刃は輝き、柄に宝石がいくつも煌めている。
「ランバニア様。あの男は……ちょっと雰囲気が違いますね」
「あれはラべ・タル将軍の息子よ」
ランバニアは横目で舞台を見て、うっすらと小馬鹿にしたように言う。
王宮軍団を束ねる将軍の息子ならば、王道国でもかなりの幹部のような気もするが、王女の表情からはそうとも思えなかった。
「彼の名前はグノー……。ずいぶん張り切っているようですけれど」
アベルは試合を観察する。
グノーと相対している罪人は、それなりに鍛えられた体をしていた。
手に持つのは、肉切り包丁を大型化したような幅広の直刀だった。
武骨で迫力のある武器だ。
グノーは意図的に大剣を上段に掲げる。
もちろん目立つためだ。
まるでイースが使っていたような長い剣。
当然のことだが得物が長ければ攻撃範囲は広がり、それだけ有利である。
とは言え、必然的に武器は重くなる。
最初は調子よく振り回していたはずの道具が疲労と共に思うほど動かせなくなる、という状況をアベルはいくつも見てきた。
結果として、自慢の武器が原因で殺された者が無数にいる。
試合が始まる。
すぐに攻撃を仕掛けないグノーは挑発を繰り返した。
「どうした! どうした! 毛ほどの傷も負わせたなら俺は降参してやるぞ? それだけで数十年の懲役が帳消しぞ!」
グノーはまるで自分の計らいによって罪人有利の状況を作り出した、と言わんばかりだ。
だが、これは茶番だとアベルは思う。
罪人の武器は、それなりに頑丈なものだが大剣ほどのリーチがない。
乱戦ならともかく、こんな一対一の状況でなら武器は長い方が有利になりやすい。
達人の世界でなら話は別だが……。
どう見てもそういう雰囲気ではない。
挑発を繰り返していたグノーが踏み込む。
罪人が大剣に恐れをなして後ずさりした。
これを追うようにグノーが大剣を振る。
切っ先が罪人の肩に掠る。
血が流れ、痛みと恐怖で罪人がパニックに陥る。
手に持つ武器を必死に振り回す。
だが、間合いが悪い。
グノーにまるで届かない。
「では、決着と参ろうか」
グノーは上段に構えた大剣を勢いよく振り落とす。
罪人は辛くも武器で防ぐが、グノーは巻き技を使った。
大剣で相手の武器を巻くように捻り、隙を抉じ開ける。
瞬時に罪人の顔を斬りつけた。
悲鳴を上げて罪人が倒れたところで、大剣を腹に突き刺した。
周りの関係者から歓声が上がった。
グノーは勝利を雄叫びをしてアピールする。
残念ながらイズファヤート王は興味の欠片も見せてないが……。
どうも芝居じみた戦いだとアベルは感じた。
一見、罪人に対して有利な条件を与えたようである。
しかし、罪人は体格こそ大きかったが戦いの技術には劣っていた。
武器もグノーの持つ大剣のほうが優れている。
言ってみれば勝って当たり前の条件が揃っていたわけだ。
親子揃って卑怯な奴らだな……。
アベルは内心、ラベ・タル将軍とグノーを蔑む。
すると返り血を浴びたグノーが、どうしたわけかランバニアの方へ歩んでくる。
ランバニア王女には勝利の報告やら挨拶やらを試みる者が多く、周囲を取り巻いているような状態だったのだが、グノーは彼らを押し分けてきた。
「すまぬが俺はランバニア様に挨拶したいのだ。お前らは待っていてくれ」
身分の差があるため、呼びかけられた者たちは渋々と応じ離れていく。
間近で見るとグノーは二十五歳ほどの年齢に感じる。
従者から長衣を受け取り、それを羽織った。
花鳥風月を表した細かな刺繍が施され香水の香りまで付いている。
甘ったるい芳香がアベルの鼻に纏わりついた。
グノーは長身だ。
固そうな筋肉で全身が膨れているのに、そこそこ贅肉もあるせいか引き締まった肉体ではない。
顔には傲慢さと自信が漂っている。
鼻と口が、やけに大きく見えた。
牛みたいな鈍重さを消そうとして消えていない、そういう男だった。
グノーはランバニアへ慇懃な礼をする。
ついさっき派手に人を殺した大男がへりくだる様子は、なんだか奇異でもあった。
「ランバニア様。私の戦いをご覧になりましたな。えらく狂暴な罪人が用意されていると聞いていたのですが、やってみれば期待外れ。いやはや、毛ほどの傷でもつけられたら負けとまで譲ってやったというのに情けない」
「あら、そうだったの。
ランバニアは戦いを理解していたらしい。
褒めるどころか的確な皮肉を与えた。
グノーは図星らしく牛に似た顔を引き攣らせている。
それから何故かアベルを睨みつけて言う。
「そこな奴隷のごとき、ちょこまかとした剣技は実戦では役に立ちませぬ。お考え、改めてくだされ」
「ふぅん。グノー、どういうことかしら?」
大して興味も無さそうにランバニアは聞く。
ところがグノーは、ここぞとばかりに必死に語り出した。
「相手に防具が無ければ刀を軽妙に回し、隙を狙って勝ちを手にすることが出来る、としましょう。ですが、本物の戦場で敵は良く作られた鎧兜を身につけております。そうなったとき刀を軽々と使う者ほど防具に阻まれ手も足も出せずに負けて殺されます」
「あらそう。でも奴隷アベルはガイアケロンの配下として実際に戦ってきましたから、そうでもなかったようですけれど」
グノーは驚いた顔をしたが、それから意地の悪い視線を向けて話しかけてくる。
「おい、奴隷。お前はさきほどヒエラルクから借りた刀を使っていたが、大剣は使えぬであろう。戦い方を見れば分かる。つまり、戦場では乱戦ゆえの隙を見出して背後から襲うような、いわば狐が虎の獲物を盗み取る、そういう戦いを得意として来たのだろうが。ランバニア様に俺とお前の違いを説明しろ」
説明しろ、といっても脅迫のようなものだった。
奴隷と将軍の息子という身分差を弁えて答えろ、従わない場合は……という意味だ。
しかし、アベルはこの会ったばかりの男に媚びる気持ちが湧かない。
ランバニアが軽んじる相手にそうしたところで何が好転するとも思えなかった。
「……大剣はほとんど使ったことがないですが、別にやってやれないこともないですよ」
アベルは正直に言ってみたまでだったが、癇に障ったらしいグノーは顔を真っ赤にさせている。
それにランバニアから、まともに相手にされていない恥辱も加わっているのだろう。
「ぬかすわ、下郎。では、この私のように大剣を使って本当の戦いができる、と言うのだな。嘘には相応の処罰があるぞ」
アベルは頷く。
グノーは睨み、即座に答えた。
「よし、いいだろう! では、のちほど俺と大剣を使って立ち会えよ。自慢の戦場で鍛えた技を見せてもらおうか。逃げるなよ」
――何でそうなるんだ……。
「ランバニア様に聞いてください」
ランバニアは酔うような眼つきで、それでいて冷静な声色をして言う。
「それは結構なことですけれど、お互い命を失わないように。お遊びにしておきなさい」
ランバニアが王族らしい貫禄で珍事を治めるとグノーは頭を下げて去っていく。
「ランバニア様。何なんですかね、あの男」
「あいつはねぇ、私を娶りたいと思っているのよ。既にラべ将軍とグノー本人から打診があるの」
「娶る……。結婚をしたいと」
「そうよ。ラべ・タルは今でこそ王宮軍団を束ねる重鎮ですけれど、もともとは兵卒だった男。家格の無さをどうにかして挽回したいのでしょう」
「それで王女様を望むのですか」
「呆れるほど過分な要求ですけれど父王様の許しがあれば叶うことでしょう。私にも色々と交渉を持ち掛けています。婚姻なればこれをする、あれをするというような、ね」
ランバニアの美しい顔には軽侮の感情が見て取れた。
身分の差もそうだが単純にグノーのような武張った男に好意が無いのだろうと感じる。
さらに、何となくだが筋肉と脂肪で固太りしたあの手の男が趣味ではないのだとも察せられた。
ましてや一見、派手なグノーの立ち回り。それでいて内容は薄いと見抜いているのだ。
それからも試合はしばらく続き、最後には無様な振る舞いで戦いが成立しなかった奴隷や罪人が集められる。
彼らは恐怖から試合放棄してしまったため、これを殺したとしても勝利と言えないほどの有様だった。
引っ立てられてイズファヤート王の前に跪く。
王の冷厳な視線が注がれながら、処分を申し渡される。
「それほど死が恐ろしいのなら、死罪ではなく王の慈悲をくれてやろう」
数人の拷問吏がやってきた。
彼らは手に
アベルが見たことも無い道具だった。
それを押さえつけた奴隷の眼球に近づけると、狙い済まして突き刺す。
掴み出された、眼球。
眼窩の奥から伸びてきた紐のような視神経を鋏で切断した。
あまりにも無残な様子にアベルは思わず目を逸らす。
イズファヤート王は平然とそれを眺めていた。
悲痛な鳴き声が重なる。
「輸送船の漕ぎ手に目は必要ない。ゆえに盲目の奴隷でも働けるのだ。これより新しい役目にて過ごすと良い」
アベルは溜息を吐きながら冷や汗を流す。
いつか人に聞かされたことがあった。
沿岸に限って船の運航が可能な海域がある。だが、漕ぎ手は極めつけの重労働なため成り手がおらず、罪人や奴隷をもって当たらせるらしい。
船倉の中で鎖に繋がれ、視力を失った者ですら死ぬまで働かされるという。
「試合に勝利した者たちよ。闘技大会にて存分に名誉を掴み取るとよい」
イズファヤート王はそれだけ言うと、立ち上がって広間を出て行った。
警護のヒエラルクもだ。
そうしてアベルは全身の緊張を解く。
あの王を前にすると体が嫌でも震えそうになる。
今日も今日とて酷いことばかりだった。やっとこれで終わりかと思ったら、あのグノーが再び、やってきた。
将軍の息子は相変わらず傲慢な態度で言い放つ。
「では、約束通りの余興と参りましょう」
グノーは大剣を二振り、携えている。
ひとつは自分用。もうひとつはアベルのためだ。
やたらと大きく重たそうな代物だった。
垂直に立てると全長はアベルの肩に達するほどもある。
両刃の大剣で、基本的には両手持ちするものだ。
よほど魔力による身体強化が得意でなければ片手で扱うことなど出来ない。
見たところ刃は潰していない。
嫌な予感しかしないアベルは言う。
「今更ですけれど、稽古というのは信頼の置ける者とするものです。やっぱり止めませんか?」
「ふん。稽古だと。ランバニア王女が申されたように、これは遊びだ。稽古にもならんぞ。下郎には惜しいことだが、この俺が直々に戦いを教えてやる、ということだ。感謝して早く剣を取れ」
ランバニアは無言のまま優雅な微笑を浮かべていた。
仕方なくアベルは大剣の柄を掴む。
ずしりと重い。
普段、使うような刀の五倍ぐらいはありそうだ。
実戦で大剣を使ったことは無い。
しかし、ごく身近にこの武器を自由自在に操っていた者がいた。
イースだ。
あれほど美しく強い剣は見たことが無い。
それと他にはガイアケロンも大剣を使う。
殺人能力という意味でヒエラルクの鬼気迫る不気味さは計り知れないが、ガイアケロンの剣には威風があった。
ともかくイースのそれと比べればグノーの技術など児戯と呼んでもよかった。
アベルは三度ほど素振りをして下段に構える。
それを見たグノーが堪えられないというように嘲笑った。
「はははっ、愚かなり。お前のような腕力の無い者が下段とは。それは難しい構えだが……まぁいい。では行くぞ」
グノーが大剣を肩の上に掲げた「憤激の構え」で突進してくる。
そのまま得物をアベルの頭へ振り下してきた。
遠慮ない攻撃。
当たれば死ぬ。
迫りくる大剣。
アベルは体を捻って躱し、バックステップで距離を稼ぐ。
剣は空を斬った。
グノーは意外そうな、というか、呆気に取られているようだ。
「なんだ……。逃げ足だけは本当に速いな。どうやって避けた?」
「グノー様。今のって避けなければ死んでますよ」
「ふふん。遊びはこれぐらいだから面白い。耳か鼻でも削げた方が男前になりそうだな。もっと面白かろう」
アベルは再度、下段でグノーと向き合う。
さすがに殺すのはまずい。
この異常な状況をランバニアは悠然と眺めている。
「なるほど、分かったぞ。剣が重すぎて振り下したら勢いのまま腕をもっていかれると恐れているのだな。それで下段か」
グノーが一人、合点がいったという風に頷いていた。
「それは当然、そうなるだろう。勝負ありだな。よしっ。下郎よ、ここで頭を地面に擦り感謝しろ。それで遊びは終わりにしてやろうぞ」
――なんだ、こいつは。
アベルに思わず怒りが湧いて来る。
「ここまで来て、そりゃないでしょう。締まらない」
まさか断られるとは思っていなかったグノーは痛くプライドを傷つけられた表情を浮かべ、先ほどと同じ攻撃を仕掛けてくる。
違うのは所作を遅らせて、より狙い澄ましてきたことだ。
一応の工夫らしい。
それで今度こそは斬りつけられるという浅はかな算段。
遅ければ、それだけ対処しやすいだけだ。
アベルは力を込めて下段の大剣を一気にすくい上げる。
それに辛うじて反応したグノーの剣にぶち当たった。
派手に火花が散った。
アベルは大剣を押し付けて力比べ。
グノーの生臭い息を感じる。たしかに力だけは、そこそこあるが……。
アベルは瞬時に剣を引いた。
渾身の力を出そうとしていたグノーは突然と支えを失って、前のめりになる。
アベルはグノーの服を掴んで、思いきり引っ張った。
絹が裂ける音が響く。
それから素早く距離を取った。
ランバニアの笑い声が耳に届く。
「まぁ、可笑しい。グノー。そんなに服を破かれてしまっては無様よ。遊びはこれで終わりね」
顔面から汗を流すグノーは酷い表情で立ち竦んでいた。
この状況が半ば理解できてないらしい。
無視してランバニアは歩いていく。
しばらく歩いたところでアベルは聞いた。
「あの、仕方なくやりましたが良かったのでしょうか」
「グノーは父親の立場を利用して増長しているところでしたから丁度良かったのです。
どうやら王女は王女で思惑があったということだ。
グノーの慢心を潰して求婚の意図を挫けさせるという。
アベルなら勝てると見極めてもいた。
澄んだトパーズのような瞳が嬉しそうに輝いているのを見ると、おそろしく魅力的に感じた。
「さて、三日後には闘技大会が始まります。けれど、あまり焦らないことね。私の言う通りにしていれば天にも昇るような出世ができる……かもしれないわよ」
そう嘯くランバニアには、思わずひれ伏したくなるような風格というか度量があるのだった。
アベルの胸には不安と期待が渦巻いている。
もう少しで、この張り裂けそうな欲望が叶うのだろうか。
それとも五体が引き裂かれるような破滅が待っているのか……。
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